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It's In The Way That You Use It

「じゃ、行って来るよ」


 まだ少し冷たさの残る朝の空の下。

 吐き出す息を白く染め、桃太郎は玄関を振り返った。

「元気で。母さん」

「…………」

 玄関にいた母親は、自分より背丈の大きくなった息子を黙って抱きしめた。しばらく物憂げな表情を浮かべていた母親だったが、やがて一度奥へと引っ込むと、大きな黄土色の巾着袋を持って再び現れた。


「これは?」

「”きびだんご”よ。持って行きなさい」

 桃太郎は巾着袋を開けてみた。中には昨日拵えたと思われる、出来立ての丸っこいだんごがいっぱい詰まっていた。「すごいや。本当に伝説の勇者になったみたい」興奮気味でそう囁く桃太郎に、母親は真剣な眼差しで見つめ返した。


「桃太郎や。困ってる人やお腹の空いている人を見かけたら、このきびだんごを分けてやりなさい。きっと、いつかあなたの助けになってくれますからね」

「……分かったよ。ありがと、母さん」

「体に気をつけてね。くれぐれも、無理してはダメよ」

「母さんこそ」


 最後に桃太郎はもう一度母親を抱きしめ、それからきびだんごを腰にぶら下げ、意気揚々と歩き出した。桃太郎の”出陣”を聞きつけ、村の子供たちがわんさか集まって彼の足元に群がった。歓声と祝福の高揚が、小さな村をあっという間に飲み込んでいく。桃太郎は苦笑しながらも、まんざらではない様子でそれに応えていた。


「あいつを拾った時から……こうなることは『運命』だったのかもしれん」

「あなた……」

 すると、二人の様子を見守っていた父親が後ろからやってきて、不安げな母親の肩を抱きしめた。笑顔で溢れる人々の輪が、だんだんと二人から遠ざかっていく。桃太郎の両親は、徐々に小さくなっていく息子の背中を、いつまでもいつまでも見つめ続けていた。


□□□


「あれっ!?」


 朝になり、深い眠りから目を覚ました鬼子は、飛び込んできた景色に思わず大きな声を上げた。キラキラと輝く星空から一転、朝になると今度は世界が驚くほど青く染まっていた。飲み込まれそうなくらい広がる青。実際、鬼子は飲み込まれていた。昨日の晩まで乗っていたはずの、イカダがなぜか跡形もなかった。よくよく目を凝らすと、海のそこら中に木片の残骸や見慣れない白い塊が無数に浮いていた。鬼子は溺れていた。イカダの残骸に『布』の切れ端を引っ掛け、波に流されるままに海を漂っていた。


「きゃ……きゃああああっ!?」

 自分の首から下が海の中に浸かっているのに気がついて、鬼子はようやく悲鳴を上げた。鬼子は泳げなかった。()()を見るのは好きだったが、泳ぐのは全然好きじゃなかった。人間の世界の()()は青かったんだとか、そんなことに驚いているヒマもなかった。昨日まですぐそばにいたはずの父親の胴体も、鬼美の姿も、どこにも見当たらない。一体何がどうなっているのかも分からないまま、鬼子は必死に手足をバタつかせた。


「だ……誰かぁ!? 助けてぇ!!」

「だはははは!!」

「ひッ……!?」

 すると、突然鬼子の足元からブクブクと笑い声が聞こえてきて、彼女は思わず体を強張らせた。鬼子が恐る恐る海中に目を凝らすと、突然「ぬっ」と”何か”が現れた。

「きゃあああっ!?」

 鬼子はひっくり返りそうになり、慌てて木片の残骸にしがみついた。口の中に入り込んできた塩水を吐き出しながら、鬼子は”何か”をマジマジと見つめた。そこにいたのは、頭にツルツルのお皿を乗っけて、アヒルのような(くちばし)をつけた……河童だった。やけに桃色な肌をした河童の子供が、水中から顔を覗かせ大笑いしていた。鬼子は叫んだ。


「だ……誰!?」

「だははは! お前も相当、マヌケな妖怪だなあ! あんだけ攻撃されて、ちっとも気づかないで朝まで居眠りだなんて!」

「誰なの?」

 涙を流しながら笑い続ける河童の子供に、鬼子はちょっとムッとした顔を作った。

「見てないで、助けてよ!」

「助ける?」

 河童の子供が首をひねった。


「なんで?」

「なんでって、溺れてるから。あなた、河童でしょ?」

「違うよ。おいらは”かっぱえび”さ」

「”かっぱえび”さん?」

「そうさ。ホラ!」


 初めて出会う海の妖怪に、鬼子は目を白黒させた。鬼子の目の前で、河童の子供は水中でくるりと前に回転して、桃色に染まった長い海老のしっぽを突き出して見せた。そのままかっぱえびは一回転して、再び鬼子と顔を突き合わせた。


「見たろ。おいら、”河童”でもない、”海老”でもない。ピンク色の、”かっぱえび”さ。おんなじ色した奴が泳いでると思って、仲間かと思ってかけつけて見たら……」

 かっぱえびは鬼子の桃色の肌をジロジロと眺め回した。

「まさか、鬼っ子だ。いっつも金棒振り回して、()()()()な鬼っ子が溺れてるだなんて、こいつァ”けっさく”だ! だはは!!」

「あのねえ……」

 再び笑い出したかっぱえびに、鬼子は深々とため息をついた。


「お願いかっぱえびさん、助けて。イカダはどこ? 鬼美ちゃんたちはどこに行ったの? あなた、何か知ってるんでしょう?」

「ああ知ってるよ。知ってるけど、教えない」

 かっぱえびは鬼子に「べっ」と真っ赤な舌を突き出した。


「まあ! ”いじわる”ね!」

「ああそうさ。妖怪だからね。それに河童なんだから、溺れてる奴をもっと溺れさせるのが、おいらの役目さ」

「でもあなた、さっき自分で河童じゃないって言ったわよね。かっぱえびさんなんでしょう? だったらせめて”えび”の部分だけでも、鬼子を助けるべきだわ」

「助けて欲しかったら、何かくれよ」

 かっぱえびが桃色の鱗に覆われた両手を突き出した。


「ただで”鬼助け”なんて、まっぴらだ。何かいいものくれなきゃ、助けてあげない」

「えぇ〜!?」

 大声を上げる鬼子の前で、かっぱえびがわざとらしく頭を抱えて見せた。

「あァ、腹減ったなァ。誰かきびだんごでも持ってねえかなァ」

「そんなこと言われても……鬼子、何も持ってきてないよ」

 鬼子が水面から顔だけ出し、途方にくれた。かっぱえびが鬼子の着ている『布』をジロジロと眺めた。


「例えばその、今着ている『布』とかさァ」

「えっ?」

 かっぱえびの子供は目尻を下げニヤリと唇の端を釣り上げた。

「おいら、知ってるぞ。稲妻模様の鬼の『布』は、滅多に手に入らない高級品だって。何でも遠いお空の雷雲の中で作られて、どんな妖気もはねっ返すっていう……」

「やぁよ! 鬼子、それじゃ素っ裸になっちゃうじゃない! このエロがっぱ!!」

「”かっぱ”じゃないもん」

「エロえび!!」

「助けて欲しいんだろ? だったら、”それそうおう”のものを出してもらわなくっちゃあ」


 かっぱえびが海の中でピンクの尻尾を振ってニヤニヤ笑い続けた。その間にも、鬼子は残骸ごと波に流されて、今にも頭まで沈みそうになった。鬼子は「う〜ん」と唸りながら、やがて自信なさげに声を絞り出した。

「鬼美ちゃんだったら、勾玉のイヤリングとか、食べ物とかなら持ってるかも……?」

「へええ。その鬼美ちゃんってのは、昨日イカダに乗ってたあの黄色い鬼っ子かい?」

「知ってるの?」

 鬼子が目を丸くした。かっぱえびが頷いた。


「ああ。お前の乗ってたイカダは、犬神っていう人間に雇われた妖怪がやってきて、あっという間に壊しちゃったのさ。それからお前くらいの歳の鬼っ子と、あと首のない大きな鬼の体も担いで、船に持って帰っちゃった。鬼美ちゃんかあ。お前はちっこいし、布に包まってたから気づかれなかったんだろうなあ。そうかあ、鬼美ちゃんかあ……」

「そんな……」


 鬼子が言葉を詰まらせた。自分が寝ている間に、そんな大変なことになっていただなんて。もしかしたら人間の襲撃に気づいた豪鬼の胴体が、とっさに自分だけ逃してくれたんじゃないだろうか、と鬼子は思った。


「すぐに助けに行かなきゃ……」

「おいおい。さっきまで助けてって叫んでた奴が、一体誰を助けに行くつもりなんだよ?」

 かっぱえびがまたしても「だはは!」と笑いだした。かっぱえびは「でも……」と言いかけた鬼子の股下に潜り込んで、突然鬼子の体を下から持ち上げた。


「きゃああっ……何するのよっ!?」

「しっかり捕まってな。おいらが、その犬神のところに案内してやるよ」

「えっ? あ……」

 気がつくと、鬼子は海の上でかっぱえびに馬乗りするような形になっていた。水の中からようやく這い上がれた鬼子は、かっぱえびの背中についた亀の甲羅のようなものにしがみついた。かっぱえびはそれを確認すると、鬼子が乗っていたイカダとは比べ物にならないスピードで海を泳ぎ出した。


「ひゃあああっ!?」

「その鬼美ちゃんが、おいらに『布』をくれるんだな?」

「え? え〜、あ〜……」

 ゲヘヘ、と下品な笑い声を出して、かっぱえびが期待に目を輝かせた。鬼子は喉から「はい」とも「いいえ」ともつかない音を出して誤魔化した。そんなことを鬼美に言い出したら、金棒で頭の皿を力一杯叩き割られるに違いないと思ったが、今は黙っておくことにした。今はそれどころではないのだ。早く人間の側に囚われた二人を助けないと、きっと大変なことになってしまう。


「でも大丈夫かなァ……このエロがっぱエロえびさんで」

「それはこっちのセリフだい」

 海の上を滑りながら、鬼子が少し呆れた顔でかっぱえびを見下ろした。ピンク色したかっぱえびが、ペロリと上唇を舐めた。


「なぁに、人間様と犬っコロが()()()()に……おいらたちの海の上でふんぞり返ってやがるから。少し”いたずら”してやらなきゃと、おいらもちょうど、そう思ってたところさ」

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