When The Sun Goes Down
鬼ヶ島を取り囲む戦艦部隊と、空母『ハチ公』。
その甲板では、たくさんの水兵たちが走り回り、島に向かって伸びる砲台にせっせと弾を運んでいた。その様子を、一際高い露天艦橋から眺めている一人の女性の姿があった。金箔を全面に散りばめた、何処ぞのお姫様のような紫の和服姿に身を包んだその女性は、水兵たちの働きぶりに目を細めた。
「首尾はどう?」
「ハッ。全て順調です、オンモラキ様!」
「ふふ……」
操舵装置に手にかけていた若い水兵の一人が、すぐに手を離し和服の女性に向かって敬礼した。オンモラキと呼ばれた女性は、彼の返事に満足した顔で孔雀羽の扇子を優雅に仰ぎながら、遥か向こうで爆発を繰り返す鬼ヶ島の様子を楽しそうに見つめた。ちょうどオンモラキの視線の先で、爆弾の雨が島の西にある岩場に降り注ぎ、雲にも届かんばかりの爆炎を上げた。
「……フン」
すると、同じく艦橋の片隅で双眼鏡を覗いていた、袈裟姿の大男が不機嫌そうに鼻を鳴らした。オンモラキは妖しげな笑みを絶やさず、ジャラジャラと身につけた宝石を揺らしながら、その大男にしな垂れかかった。
「気に食わんな」
「何が……?」
オンモラキが大男の胸に自分の体を預け、露わになった首筋に緑色の手を滑らせた。袈裟男は双眼鏡から目を離し、眼鏡の奥から鋭い目つきでオンモラキを睨み返した。その顔は……人の形をしておらず……誰がどう見ても犬そのものであった。白い犬の僧侶が、口から赤い舌を突き出したまま低く唸った。
「雉が『空』ってのは分かる。猿の野郎が『陸』ってのもな。だが、何故俺が『海軍担当』なんだ? 『犬かき』くらいしか、海に犬の要素はないんじゃないか?」
「所詮人間の考えることよ、犬神」
オンモラキが吹き出しそうになるのを堪えながら目を細めた。犬神と呼ばれた僧侶は、なおも憮然とした表情を浮かべていた。
「……あそこにゃ、俺の親戚の山犬たちもたくさん棲んでるんだ。いくら総司令官の命令とは言え、この作戦だけはどうも乗り気になれねぇ」
「本土出身は、人間との共存を選んだ」
二人の近くで、羅針盤がゆらゆらと揺れた。オンモラキは小さくほほ笑み、それからスルスルと帯を紐解き、その場で着物を脱ぎ始めた。
「鬼ヶ島出身の妖怪は人間を拒み、未だに古臭い昔の慣習にしがみ付いて生きてる。ふふ……まあ、生きてるとも死んでるとも言えない連中ばかりだけれど」
「フン。異世のモンは、みんなそうだろうが」
ますます顔が険しくなる犬神の前で、オンモラキは和服をパサリと床に落とし、一糸纏わぬ姿になった。彼女の体は、びっしりと美しい緑色の羽毛に覆われていた。やがて、犬神が見ている前で、人間だった彼女の顔にみるみるうちに嘴が生え、鶏冠が生え……顔全体が雉のように真っ赤に染まって行った。横で盗み見ていた水兵がゴクリと唾を飲み込んだ。怪鳥・陰摩羅鬼は妖艶な笑みを浮かべると、空へと飛び立たんとしてその翼を大きく広げた。
「人間と物の怪、何方についた方が利口かしら。犬神もそれがちゃんと分かってるから、この艦に乗ってるんでしょ?」
「…………」
犬神は眼鏡を光らせひと睨みするだけで、何も言わなかった。オンモラキは犬神の返事に期待してなかったのか、そのまま風を切って鬼ヶ島へと踊るように飛んで行った。
「『雉部隊』、出動ォオッ!!」
司令官自らの出陣を受け、幾重ものサイレンが鳴り響き空母『ハチ公』から次々と戦闘機が飛び立って行く。大量の爆弾を積んだ戦闘機は、蝗の群れのようにたちまち周辺の空を埋め尽くした。
「……利口に生きるだけが、生き方じゃねえや」
オンモラキの後ろ姿を見送り、犬神は静かに目を閉じると『しゃらぁ……ん』と一回、鈴を鳴らした。艦橋に転がった鎮魂の音は、しかしながらエンジン音とプロペラ音の大合唱に掻き消され、誰にも届くことはなかった。
□□□
「豪鬼さん!」
「豪鬼隊長ッ! もう持ちませんッ!!」
「いいからありったけの玉持ってこい!!」
ぐちゃぐちゃになった稽古場に、若い鬼たちの悲鳴と、それから一際大きな赤鬼の怒声が轟く。豪鬼は地面に並べられた巨大な鉛玉を片手で鷲掴みにすると、そのまま助走もつけずに空に向かってぶん投げた。玉は一直線に空を掻っ切り、飛んでいた戦闘機の鼻先に命中した。たちまち黒煙を上げた戦闘機はフラフラと岩陰の向こうに飛んで行き、派手な音を立てて墜落した。
鬼たちの歓声が上がるのもつかの間、戦闘機は次々に飛んできて、休む間も無く爆弾の雨を降らせて行った。島の北側に位置する稽古場は、たちまち阿鼻叫喚の地獄と化した。
「もうダメだァ!! 敵の数が多すぎる!!」
「しっかりしやがれ!! 地獄が鬼の持ち場だろうが!!」
部下たちを叱咤する豪鬼ではあったが、流石にこの爆撃の激しさに焦りを感じずにはいられなかった。いつもの偵察や小競り合いとは違う、島への直接攻撃。本土決戦など、それこそ百年前……あの伝説の桃太郎が島に乗り込んで来て以来、一度も起きていない……絵本で語られるほど昔の話だった。
「豪鬼隊長ッ! 玉がもうありませんッ、倉庫がやられました!!」
「ちッ……!」
そして、百年前とは劇的に変化を遂げた人間たちの攻撃に、豪鬼は戸惑うばかりであった。いつの間に、空を自由に飛べるようになったのか。いつの間に、海を自由に渡れるようになったのか。いつの間に……『雨を降らす』ことに、躊躇いもなくなったのか。
豪鬼は目を血走らせ唸り声を上げた。島で暮らす鬼や物の怪たちは、もちろん人間よりも体は幾分か頑丈に出来ている。だがこの量は……百年前の戦を生き延びた豪鬼の目から見ても、明らかに異常であった。
「豪鬼サン、あれッ!!」
黄鬼の副長が、戦闘機で埋め尽くされた真っ黒な空を指差した。赤鬼の隊長はバラバラと絶え間無く降ってくる爆弾の雨の中に目を凝らした。
「あれは……」
「オンモラキの姉さんじゃねえか!?」
「間違いねえ! 雉の姉さんだ!」
手や足を吹っ飛ばされた若い鬼たちが次々に騒ぎ出す中、豪鬼はこちらに飛んでくる雉の姿を見つめ、拳をぎゅっと握りしめた。
『撃ち方やめぇ!!』
やがて空にサイレンが鳴り響き、『雨』が次第に収まっていく。
何十台もの戦闘機が、壊された稽古場の上空を弧を描くように回りながら待機し、下から覗くその様相は、さながら鉄で出来た台風のようであった。
『雨』が止んだ頃、手負いになった鬼たちの前にオンモラキが羽を広げストンと降りてきた。すぐさま何十匹もの鬼たちが金棒を構え、一斉にオンモラキを取り囲む。オンモラキは動揺することなく、旧知の顔を懐かしむように目を細めた。
「ふふ……久しぶりね」
「オンモラキ……! テメェ、どのツラ下げて帰ってきやがった……!!」
鬼の輪の中でも、一際大きな豪鬼が一歩前に出て唸り声を上げた。肩をすくめて澄ましてみせるオンモラキの首筋に、豪鬼は手にしていた楠の幹よりも太い金棒をずいっと押し当てた。
「裏切りモンが……人間の靴舐めて喜んでる妖怪が、今更この島に何の用だ。今すぐ人間を腹一杯差し出せ。そうしたら、昔のよしみで今日の所は帰してやらあ」
「相変わらず威勢だけはいいのねえ」
「何だと?」
「逆よ、逆」
オンモラキは退屈そうに欠伸を噛み締め、豪鬼は眉をピクリと動かした。
「今すぐ、あなたの首を差し出しなさい。そうしたら、今日のトコロはここら辺で勘弁してアゲル」
「……ッざけんじゃねえぞ!!」
ブツン!! と血管の切れる音がした。
瞬間、ビリビリと大気を震わす咆哮が豪鬼の大口から放たれ、赤鬼が力の限り金棒を振り回した。だがオンモラキは既の所でひらりと身を躱し空へと飛び上がると、妖艶な笑みを携えたまま、胸の谷間から取り出したガスマスクを顔に装着した。
「何だぁ、そりゃあ……!?」
「ふふ……近代兵器よ。知らないでしょう? こんな辺鄙な島に閉じこもってちゃあ、なおさらね」
口をポカンと空け、戸惑いを隠せない鬼たちをあざ笑うかのように、オンモラキは空中で一度くるりと宙返りを決めて、手にしていた大量の九二式手榴弾をばら撒いた。
「ぐあああああッ!?」
その途端、辺りに催涙ガスが充満し、煙に巻かれた鬼たちは叫び声をあげて転げ回った。
オンモラキは地面に膝を付き咽び泣く豪鬼の元にひらりと着地し、それから彼の首筋に足を乗せ思いっきり地面に叩きつけた。
「ぐあ!!」
「目が熱くて開けてらんないでしょう? これが今の戦いなのよ、昔話の赤鬼サン?」
鋭く尖った三本の爪は赤鬼の首に食い込み、つう、と真っ赤な血の筋を地面に滴らせた。催涙ガスを真正面から浴びた豪鬼は一時的に失明し、ほとんど無抵抗のままオンモラキに倒された。
「テ……テメェ……ッ!!」
「さあ、あたしと一緒に都に出かけましょ? 愛しの豪チャン?」
オンモラキが豪鬼の耳元に嘴を近づけ、ドロッドロの甘ったるい声を囁きながら、首にかけた爪でズブズブと皮膚を抉っていった。
□□□
「オンモラキ様」
「何?」
「島に残った兵士たちの連絡によると、まだ妖怪たちの生き残りがいるようですが……どのようになさいますか?」
「そうね……生かして」
「ハッ! ……ハ? ハ、はい? えッ!?」
てっきり殲滅せよとの命令が下されると思った兵士は、思わず素っ頓狂な声を上げた。オンモラキはクスクスと笑いながら、紫の扇子で顔を仰いだ。
「無駄よ、無駄。どうせ妖怪なんて、元々この世のものじゃないんだし。どれだけ踏み潰しても、また闇からわんさか現れてくるわ」
「し、しっかし……!」
「分からないの? これは帝の勅令よ。あいつらを生かしなさい」
オンモラキが扇子をパシン! と閉じ、『出て行け』と言わんばかりに司令室の出口を扇子の先で指し示した。取り付く島もない空軍司令官に、兵士は食い下がるように言葉を絞り出した。
「しかしッ、ならば何故我々は今回このような作戦を……!?」
「そんなの、帝の『パフォーマンス』に決まってるじゃない」
頭に疑問符を浮かべる部下を前に、オンモラキは楽しそうに目を細めた。
「『パフォーマンス』……?」
「あのねえ、『利用』されてんのよ。物の怪たちも、鬼退治も」
とりあえず悪い鬼を退治しとけば、国民の皆々様はスカッとするでしょう?
「飢饉も、疫病も、経済格差も……お国への不満を、全部悪い鬼たちにぶつけてみんなで憂さ晴らししてもらおうってワケ。全部滅ぼしちゃったら、もし次にお国に問題が起こった時目眩ましがいなくなっちゃうじゃない」
「は……」
ケラケラと嗤うオンモラキを前に、部下はようやく頭を下げ、汗を拭きながらすごすごと帰って行った。
司令室の扉が閉まるのを待って、オンモラキは机の上にごろんと転がった豪鬼の首を抱きしめ、その顔を優しく撫でながら小さく呟いた。
「だったら物の怪たちも、人間を『利用』しなくちゃ。ねえ、豪チャン?」