Stairway To Heaven
「ぎゃああああああっ!?」
「ちッ……そこォどきやがれ! このクソ河童が!」
「ひぃぃいっ!? だ、だだだ、誰がどくかァッ!!」
怒鳴り声を上げて刀を振り回す猿田彦に、かっぱえびが泣き叫んだ。猿田彦がニヤリと笑った。
「オイオイ。協力するってンなら、お前の命だけは見逃してやってもいいんだぜェ……!?」
「うおおおおおッ!? こんなに信用できない言葉は、聞いたことがねェえッ!!」
ギラリと光る刀剣と銃を前に、かっぱえびは薄い桃色の水に姿を変えたまま、ブルブルと水面を震わせた。かっぱえびは今、我愛無の口全体を水になった体ですっぽりと覆っていた。自らが水の盾となり、フランを追って体内に入ろうとする猿田彦を、必死に押し返しているのだった。
「オラァッ!」
猿田彦は口から入るのを諦め、我愛無の首元に勢いよく剣を突き立てた。だが、怪物の体からはほんの少し血しぶきが上がるだけで、みるみるうちに傷口が塞がって行く。悪意に満ち満ちた猿田彦の狂刃では、他に突破口を開くどころか、我愛無を活性化させるだけに過ぎなかった。
「巫山戯やがって……! そこどけ! さっさと心臓を渡しやがれ!!」
ドォンッ!! と衝撃音を轟かせ、猿田彦が怒りに任せてかっぱえびに向けて発砲した。さらに持っていた剣で闇雲に水面を切り続けるも、桃色の水はゆらゆらと波打つだけで、撃ち抜かれも切り裂かれもしなかった。無理やり通ろうとすると水圧で押し戻され、その手に掴もうにも水は指の間をするりと流れ。どうにもならない状況に、猿田彦はギリギリと歯軋りを繰り返した。
「だ……だはははは! これぞニンポー・『みずになるの術』!」
「ンだとォ……!?」
「学習能力無いんか、このお猿さんはよォ! 水が、切れるわけねえだろ!」
どうやら自分に危害は及ばないと分かると、途端に元気を取り戻すかっぱえびだったが、
「だったらあの、クソ小鬼どもだ」
「うっ……!」
猿田彦が踵を返したのを見て、再び息を詰まらせた。
フランと心臓を諦め、鬼娘たちを追って駆け出して行く猿田彦を見つめ、かっぱえびは祈るように声を震わせた。
「頼むぞォ……。二匹とも、上手く逃げ延びてくれよ……!」
□□□
「うっ……!」
「オイオイ、頼むぞ。まだこれくらいで死らんでくれよ」
帝が穏やかな笑みを携え、地面に跪く桃太郎を見下ろした。その脇には、桃太郎の右手から零れ落ちた草薙剣が転がっている。桃太郎は、今しがた起きたことが信じられない、と言った顔で相手を見上げた。
「神器を取れ、桃太郎。相手に歯が立たない程度で諦めるなど、まだまだ英雄とは程遠いぞ」
「……こんなこと聞くのもなんですが」
帝が厳かに声を張り上げた。桃太郎は思わず苦笑いを浮かべた。帝は今、何一つ武器を持っていない。こっちは神器とやらで、さっきから何度も何度も切りつけている。それなのに、鋼のような帝の肉体には、ほんの少しの切り傷ですら与えられなかった。
「あなた本当に、人間ですか?」
「人間じゃよ。ただ、桃から生まれた……それだけの」
帝が不敵に笑った。桃太郎は再び草薙剣を手に取り、つま先に吽と力を込めて一直線に帝に向かって突進した。だが切っ先が帝に触れるや否や、またしても剣はそこで止まり、微動だにしなくなった。驚きに目を見開く桃太郎の前で、帝は汗一つ掻くことなく、ふわっと右手を掲げた。すると、その『風圧』でたちまち桃太郎の体はぐるんッ!! とひっくり返り、為す術もなく頭から地面に叩き落とされた。
「ぐぁあッ……!?」
「全く、拍子抜けじゃ」
帝が肩をすくめた。
「あれほど迷いなかったお主の怒りは、一体どこへ消えた? 最後の最後で有象無象なんぞに気を取られ、戸惑うなどと……。まだまだお主の心は若く、弱い。弱さでは、国は護れんぞ」
その『圧』で、桃太郎は今日初めて、敵対する相手に言い知れない恐怖を覚えた。てんで相手になっていない。遥か彼方の高みから……我が子の成長を見守る親鳥のように、文字通り赤子の手を捻られている。その実力差は、歴然であった。帝は嬉しそうに桃太郎を手招きした。
「さぁ来い! 物の怪どもを斬り殺した時の怒りを、我愛無から皆を守るために奮った勇気を、もう一度余に見せてみろ!!」
「……望むところだ!!」
桃太郎は雄叫びを上げ、再び剣を握りしめ、勢い良く帝に向かって突進して行った。
□□□
「待ちやがれェ!! このクソ餓鬼どもォ!!」
「きゃあああっ!?」
死体の山の間を縫うように、鬼子が親友の首を抱え、右に左に逃げ惑った。だが、元々運動神経など無いに等しい鬼子は、あっという間にゼエゼエと息を切らし、
「ガハハハハ!! 鬼の首、討ち取ったりィイ!!」
背後に迫った猿田彦の刀で、いとも簡単に首を斬り飛ばされた。
「大変……!」
ぽーん! と空中に投げ出された鬼子の首は、そのままそばにあった死体の山へと突っ込んだ。頭部を失った彼女の体は、ふらふらと二、三歩よろめいた後……抱きしめていた親友の首を、そっと千切れた部分に当てがった。
「ふぅ……!」
「はぁ!?」
すると鬼子の胴体にくっついた鬼美の首が、『ようやく体が手に入った』とばかりに一息ついた。さすがに猿田彦も、その様子にぽかんと口を開けて立ち尽くした。
「何だそりゃ!? そんなことも出来ンのかよ! お前ら、化け物か!?」
「やっと気づいたか」
鬼美が、猿田彦に背を向けたままぐるりと首を真後ろに回転させ、『ベー』っと黄色い舌を突き出した。
「だから首を取ったくらいじゃ死なないって、何度も何度も言ってるだろうが!」
「クソがぁッ!!」
「おっと」
猿田彦は怒りに任せて銃を撃ちまくり、鬼美はひょいと体を捻らせて狂弾を避けた。鬼美はそのまま軽やかな足取りで山の上まで登ると、青筋を浮かべる猿田彦を見下ろして、ニヤニヤと笑った。
「ふ、くくく……あたしは鬼子よりは、もうちょっとマシだぜ」
「”首をすげ替える”たぁ……こいつぁますます、生かしちゃおけねェ!」
「追いついて見やがれ! こちとら何年、鬼ごっこやってると思ってんだ!」
山の向こうへと姿を消す鬼美を追って、猿田彦が歯を剥き出しにして走り出した。
(行っちゃった……)
それからしばらくして、鬼子は彼らがいなくなったのを見計らって、いそいそと死体の山から這い出てきた。その首から下には、先ほど桃太郎に屠られた、烏天狗の胴体がくっ付いていた。
(ごめんなさい……ちょっとだけ、借りるね)
鬼子はなれない胴体を必死に動かし、羽を広げ、父親を探しに地面にできた大きな穴の中と飛んで行った。
□□□
「チッ。行き止まりか……」
死体の山でできた迷路を辿り、闘技場の壁のところまでやって来たところで、猿田彦は立ち止まった。確かにこっちへ、鬼が逃げ込んだような気がしたのだが……。
(まだこのどこかに、隠れてやがんのか……)
壁際にまで、打ち寄せる波のように積み上がった物の怪たちの死体を一瞥し、猿田彦は静かに唸った。彼はわざとらしくボリボリと頭を掻き、引き返すフリをして、周囲に異変が無いか目を凝らした。するとほんの一瞬、死体の山の端で、こっそりと猿田彦を覗く影が蠢いた。
「ガハハ! そこかぁ!」
「……!」
右斜め前の山の麓。すぐ近くだった。慌てて山の奥に逃げ込もうとする鬼娘の肩をひっ掴んで、猿田彦は豪快に笑った。
「どんなに逃げ足が速かろうが、行き止まりじゃ意味ねェなあ。 えぇ? オイ……」
猿田彦が逃げようと暴れる小鬼を羽交い締めにしようとして……不意に笑顔を引っ込めた。
「何だ……?」
彼が掴んだのは、鬼子の体だった。
その桃色の、小さな体には、首から上が付いていなかった。
「体だけ……首は?」
猿田彦が戸惑った声を上げると、途端に彼を囲んでいた死体の山が一気に燃え出した。
「何だぁ!?」
「こっちだ!」
すると、突如燃え盛り始めた死体の山の上で、首だけになった鬼美が叫んだ。彼女は今、自分の首を妖怪・輪入道の車輪の部分に嵌め込み、火の車と化していた。
「オイオイ……体を囮にして……」
「そのまま焼かれっちまえ!」
「……そんなんで、策を練ったつもりなのかよ。えぇ、オイ!!」
輪入道の姿を見た猿田彦が、我慢できなくなったかのように吹き出した。さらに勢いを増して行く怪火の中で、猿田彦はしかし、歯を剥き出しにして不敵に嗤った。
「教えてやろうか? 何故ワシが、元はただの人間でありながら……」
「何だ……!?」
猿田彦はそう言うと、死体の山の中に手を突っ込み、そこから千切れた妖怪の足を取り出した。
「……もう百年近く、こうして生きながらえているのか!」
「お、おい!?」
鬼美が見ている前で、猿田彦は大きく口を開け足に喰らいついた。
「マジかよ……」
「ガ……ハハハ! 喰ってるんだよ、妖怪の血肉をなぁ!」
「オエェッ!?」
屍肉を貪るその光景に、思わず吐きそうになる鬼美を前にして、猿田彦は勝ち誇ったように嗤った。
「犬神の言う『共存』だとか、あのクソ鳥の『利用』、あるいは帝が目指した『滅殺』……どれもこれも、生温いんじゃ! 物の怪どもはワシらの『養分』!! 一生『奴隷』として、こき使ってやるけえのぉ!!」
「いやいや、それ死体だぞ……!?」
ようやく落ち着きを取り戻した鬼美が、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「お前本当に、人間かよ?」
「ガハハハハ!! もはやワシを、ただの人間と思うな! 炎に焼かれたくらいじゃ、ワシは殺せんぞ!!」
「……あぁ、そう。で、誰がアンタを殺すって言った?」
「何……?」
猿田彦の眉がピクリと動き、揺らめく陽炎の向こうで、鬼美が静かに笑った。
「今度は何だ……?」
両手を広げ勝ち誇っていた猿田彦が、ようやく異変に気がついて辺りを見渡した。
燃え盛る死体の山々……その遺体の一つ一つが、今ゆっくりと起き上がり始めていた。
「何だァッ!? 何が起こってる……!?」
「『葬い』だよ」
猿田彦を見下ろして、火車になった鬼美がボソリと呟いた。
「あの世に逝っちまった魂は、『葬い』をしなきゃならねえって。島で青鬼の爺ちゃんが死んだ時、あたしのおっ父が言ってた」
「クソが……お前ら、離せッ!! 離せって言ってるだろうが!!」
怪火に焼かれた死体たちが、ゆらゆらと猿田彦に群がって来た。猿田彦が怒鳴り声を上げ、縋り付く死体を振り払おうともがいた。しかしそこら中に積み重なった死体は、次から次へと、途切れることなく彼に押し寄せて来た。
「やめ……!? クソ餓鬼が、テメーら舐めやがって!! オイッ……!?」
「それが、生きてるモンの務めだって。死んだ物の怪たちは、最後に炎で弔われて、歩いていっちまうんだ」
「ンだと……!? ど、どこに!?」
「さぁ……」
猿田彦は、ゾロゾロと歩き出した大量の『死者の行列』に巻き込まれ、今や顔だけしか見えないほど埋もれてしまっていた。彼が完全に死体に飲み込まれてしまう前に、鬼美は猿田彦と目が合った。鬼美は少し遠い目をして、崩れ行く山の上で、ゆっくりと白い煙を吐き出した。
「ヒィィ……ッ!? ま、待ってくれ! 助け……」
「……すぐに分かるだろ。生きたままその中を、永遠に彷徨ってろ。このクソ猿が」