The Choice Is Yours
『さぁッ!! 場内は俄然盛り上がって参りましたッ!!』
歓喜と悲鳴が入り混じる観客席を、実況の陽気な声が盛り立てて行く。だが観客はもう、ほとんど誰も実況の声など聞いていなかった。今や全員が総立ちになり、闘技場の中に釘付けになっているか……あるいは迫りくる巨大な”怪物”に押し潰されまいと、我先にと出口を目指していた。
『御安心くださいッ! 観客席と闘技場は最新の科学を駆使した障壁で隔たれております故ッ! 決して皆様がお怪我を負うようなことは……』
拡声マイクから放たれた音声は、再び湧き上がった絶叫に掻き消された。
桃太郎の放った試製四式七糎噴進砲によって、吹き飛ばされた我愛無の腕が障壁に激突し、その表面に巨大なヒビを作った。さらに二発、三発……合計六発打ち込まれた噴進穿甲榴弾は、いずれも我愛無の巨躯を引き千切り、薙ぎ倒し、抉り取って……その度に透明な障壁は不気味な音を立ててひび割れていった。
『……ご、御安心下さいッ! 恐らく皆様がお怪我を負うようなことは……多分……もしかしたら……』
「逃げろォーッ!!」
何処で、観客の一人が叫んだ。
晴れ渡った青空に、吹き飛ばされた我愛無の頭部が天高く舞い上がった。真昼の太陽と重なったそれは、観客席にぽっかりと巨大な影を作って、やがてゆっくりと放物線を描いて落ちてきた。
『……ご、ごご御安心下さいッ! 障壁は天井にも……なァ、あったよな?』
メキメキと鉄骨がひん曲がる音がして、隕石のように降り注いだ怪物の頭部が実況席を押し潰した。
□□□
入り混じる血と火薬の匂いに、油断すると意識が持って行かれそうになる。半壊した闘技場内では、黒子たちが必死の救助活動に当たっていた。そんな中、桃太郎はただ一人標的から目を離すことなく、素早く次の武器を持ち替えていった。手足を捥がれ、頭を吹き飛ばされようとも決して倒れることのない怪物は……吹き飛ばされた箇所から次々に新たな手足が生え、より強く逞しく再生していった。
「グオオオオオオッ!!」
硝煙の中、悪意に満ちた咆哮が轟き、二つになった頭で我愛無が牙を剥く。その口の中に手榴弾や手投げ火炎瓶が投げ込まれ、すると再び頭が生え変わり……終わりの見えない戦いの連鎖に、さすがの桃太郎も息を切らし、額の汗を拭った。
「おかしいな……アイツ、攻撃を受ける度に大きくなっていってる気がするぞ」
桃太郎が、その言葉とは裏腹に、嬉しそうに笑みを浮かべた。実際我愛無の体躯は、最初に現れた時の二倍、三倍に膨らみ、今やその胸の辺りが帝の見下ろす最上階へと届きそうになっていた。
「グオオオオオオオオオッ!!」
我愛無は鼓膜が破れんばかりの叫び声を上げると、今度は目の前にいる桃太郎を無視して、片隅に積み上がっていた死体の山へと顔を向けた。それから大木のような腕を伸ばし、掌に出来た”口”で、ガツガツと物の怪の死体を貪り始めた。
「……そうか。『悪意で出来た怪物』……周囲の”悪意”や”邪気”を、食べてるんだ」
桃太郎が両手に剣を構え、納得したように頷いた。
「困ったもんだ。僕が悪意を持って接すれば接するほど、向こうは強くなるのか」
すると、”食事”中の我愛無の体が突然ブク! ブク! と泡立ち、たちまち入道雲のように膨れ上がっていった。だが体が大きくなるにつれ、次第に我愛無の動きは鈍く、その表情は苦悶に満ち溢れていった。
「どっちにしろ、あっちも限界みたいだな。 ……ん?」
桃太郎が怪物を切り刻まんと勇ましく駆け出そうとしたその時、ふと誰かに足首を掴まれた。
「……行くな」
地べたから嗄れた声を出したのは、犬神であった。傷だらけで倒れた犬神が、最後の力を振り絞って、桃太郎を足止めした。
「お前も、逃げろ……。アイツは、お前がどうこう出来る相手、じゃ……」
「犬神さん。今の僕には、これっぽっちの”悪意”もありません」
桃太郎が肩をすくめて、屈託のない笑顔を見せた。
「ただあの化け物からみんなを守りたいという……”善意”だけです。今アイツを倒せるとすれば、僕だけだ」
「オイ! 小僧、よせ! 行くな……」
「いいや」
桃太郎は血走った目で、足元にすがりつく犬神の手を振り払った。
「僕は、行くよ」
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暗く、滑った洞窟の中を、ひたすら転がり落ちて行くような感覚だった。
我愛無に食べられた鬼子は、為す術もなくそのまま食道を転がって、巨大な胃袋にまで辿り着いた。ぼちゃん! と大きな音がして、鬼子の体が熱い胃酸の海に投げ捨てられる。途端に彼女の皮膚が焼けつくように真っ赤に爛れ、ゆっくりと泡を立てて溶け出していった。周囲には、消化しきれなかったのであろう物の怪の骨や皮が、プカプカと漂っていた。
それでも鬼子は溶かされる痛みも、熱も恐怖も悲しみも、何も感じちゃいなかった。
未だ彼女の瞳に焼き付いていたのは、先ほどの、変わり果てた親友の首。
やがてふつふつと彼女の腹の底から湧き上がってきたのは、底知れない”悪意”だけであった。
「よくも……」
周囲の燃えるような熱さと相反して、鬼子の体は、彼女の心はどんどん冷たく凍りついていった。彼女の後を追って、同じく怪物に食べられた死体の山が、次々に胃酸の海へと落ちてきた。鬼子が顔を歪ませ、ギリギリと奥歯を噛み締めるのに呼応して、我愛無の体内はボコ! ボコ! と泡立った。何処かでブツン! と血管の切れる音がして、鬼子の目が真っ赤に染まった。
気がつくと鬼子は全身の毛を逆立て、声にならない叫び声を上げていた。
たちまち胃酸の海は荒波を立て、怪物の体内は激しく揺れ動いた。天地がひっくり返るほどの嵐の中、鬼子が己の悪意に身を任せ、怪物の体内にその爪と牙を突き立てんと再び吠えた時……ふと、彼女の足首を誰かが掴んだ。
それは、鬼美だった。
我愛無に食べられ、たくさんの死体と一緒に落ちてきた鬼美の胴体が、鬼子の足をがっしりと掴んでいた。その瞬間、鬼子の血走った赤い目の、さらにその奥の奥で、いつぞやの鬼美の声が響き渡った。
”そっち”に行くな、鬼子。お前はいいから、落ち着け……。
実際にそう言われた訳ではない。
だが確かに鬼子は掴まれた腕から、そこから感じる熱から、鬼美の言葉を聞いた。
「うん……」
嵐の中で、鬼子は一人静かに頷いた。それからゆっくりと、彼女の血走っていた目が元に戻っていった。
そうだ。
心臓を潰されない限り、鬼は生きている。
まだ鬼美ちゃんは死んじゃいない。外に出れば、豪鬼の首だって待っている。それに……。
「オイ!」
落ち着きを取り戻した鬼子の腕を、かっぱえびが上から引っ張った。
「何ボーッとしてんだよ! 熱いわ!」
「……うん」
鬼子が少し目を丸くして頷いた。それに、自分はまだ独りじゃない。そう思った途端、鬼子の胸にどんどん勝手に湧き上がってきたのは、今度はどうやら”悪意”ではなさそうだった。鬼子はそれが嬉しくて、ちょっぴり目に涙を浮かべた。鬼子の気持ちを知ってか知らずか、かっぱえびが胃酸の中で慌てて唾を飛ばした。
「行くぞ、鬼子! チクショウ、こんなトコに居たら溶けっちまう!」
「……ううん」
鬼子が涙を拭いて、今度はゆっくりと首を横に振った。
「鬼子、行かない」