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B.O.B.

 それはまるで、鉛玉で出来た雷雨のようだった。

 突如局地的に発生した豪雨(スコール)のように、懲罰房の中に爆発音を轟かせ、白い『骨』が絶え間無く速射され続けた。ガリガリと、鉄の軋む音が鬼子の耳を(つんざ)いた。時間にして約数十秒、いや数分程だろうか。やがて“骨ガトリング砲”の銃口が煙を上げ、約六〇〇発の弾を全て吐き出し終える頃には……咎人を閉じ込めるはずの鉄格子はボコボコに削り取られ、その形はぐにゃりと変わっていた。


「……!!」

 やがて機関銃の『雨』は止み、まだ警報は鳴り続けてはいるものの、辺りは幾許(いくばく)か静けさを取り戻していった。鬼子が恐る恐る閉じていた目を開けると、窓一つなく薄暗かった懲罰房には、外から明るい光が差し込んでいた。分厚い壁には銃撃によって大きな穴が空き、そこから青い空と、鮮やかな海が覗いていた。白い雲の間に見え隠れする太陽の光に、鬼子は思わず目を細めた。

 犬神が「ふぅー……!」と息を吐き出し、骨ガトリング砲を背中に担ぐと、半壊した懲罰房の中にゆっくりと足を踏み入れた。鬼子が顔を上げると、そこに映っていたのは、懐から取り出した短刀を構える犬神の姿だった。銀色に輝く刃の切っ先が自分の方に向いているのを見て、鬼子は声を失い縮み上がった。


「ひっ……!」

 犬神は仏頂面のまま、怯える鬼子をじっと見下ろした。

「よせ……鬼子に手を出すな!!」

 近くにいた鬼美が、縛られたまま叫んだ。しかし彼女の制止も虚しく、犬神は鬼子に向けて素早く短刀を振り下ろした。

「鬼子ォオオオオ!!」

 鬼美があらん限りの怒号を腹の底から響かせた。鬼子は思わずぎゅっと目を閉じた。

しかし次の瞬間、鬼子の予想に反して、「はらり」と彼女を縛っていた縄が切り裂かれた。


「え……?」

 手足が自由になった鬼子は、その場に横たわったまましばらくぽかんと口を開けていた。二匹の鬼っ娘たちが呆然としていると、犬神は黙って大きく穴の空いた壁に寄りかかり、短刀をしまう代わりに取り出した小さな煙草に火を点けた。

「……行け」

「……え?」

 やがて犬神が静かに唸った。二匹は、最初犬神が何を言っているのか分からず、眉をひそめ顔を見合わせた。犬神は仏頂面のまま目を閉じ、見え隠れする牙の隙間から白煙を吐き出した。

「行けと言ってるんだ。お前ら、そこから逃げろ」

「なに……?」

「どういうことだ?」


 犬神はまだ半信半疑と言った鬼美に近づくと、彼女と、それから豪鬼の縄も切り落とした。二匹が戸惑いを見せる中、彼はやや疲れた顔をして、煙草を咥えたままその場にずるずると腰を下ろした。

「お前らの目的は分かってる。父親の首を助けに来たんだろ? ()()()()()()()、あの女が仕向けたからな」

「あの女?」

「どうして……?」

「あの女って誰だよ? 詳しく聞かせてくれよ」

「聞け。ここからまっすぐ浜に向かっちまうと、陸軍の奴らが手薬煉(てぐすね)引いて待ち構えてる。そうじゃなくて……」

 騒ぎ出す二匹を制し、犬神は壁に空いた穴から見える、東の海に伸びる岬を指差した。

「……あっちの不落不落(ブラブラ)岬から陸地へ迂回しろ。そこに村がある。俺の生まれた村だ。妖怪たちもたくさん棲んでる。そこで匿ってもらえ」

「村? 妖怪が棲んでる村があるの?」

 鬼子が少し目を丸くした。

「待てよ。なんでわざわざ、そんなこと教えてくれるんだ? オッさんは人間たちと一緒にこの(ふね)に乗って……あたしたちの敵なんじゃないのか?」

 鬼美は鋭く目を尖らせ、鬼子を庇うように彼女の前に立った。犬神は黙って煙草を咥え、しばらく沈黙した後、やがて白い煙を吐き出した。


「さぁな」

「は?」

「さぁ……ったく。一体誰が敵で、誰が味方なんだかな……」

「なんだよそれ。ちゃんと答えろよ」

 鬼美がイライラしたように地団駄を踏んだ。犬神はそれでもしばらく黙っていたが、やがて警戒心を強める二匹をじろりと横目で見て、重たい口を開けた。


「……俺にも故郷にゃあ、ちょうど、お前らくらいの歳の娘がいたんだが」

「娘?」

「懐かしいモンだ……さくらは、あの子は毎日公園に散歩に行くのが大好きだった」

「んだよ? その子と友達にでもなれってか?」

「いや……死んだよ」

「「!」」

 犬神の静かな、だけど重たいその一言に、鬼子たちは息を飲んだ。


「もう何年も前の話だ。元々病気がちの娘だったが。たまたま家の近くで鬼と人間がぶつかり合って……。それで、兵隊さんに優先するってんで、いつもの薬がとうとう回って来なかったんだ」

「そんな……」

「死んだのは、ちょうどお前らと同い年くらいの時だ」

 袈裟を着た大型犬が、遠い目を浮かべて廊下の奥を見た。

 穴の空いた懲罰房を、再び重たい沈黙が包んだ。

 鬼子たちは何も言うことができず、黙ってその横顔を見つめていた。犬神が俯き加減にポツリと呟いた。

「俺ァ何も餓鬼まで……わざわざ死ぬこたねぇと、そう思っただけだ」

「…………」

「オッさん……」

「……おじさんは、鬼子たちの味方なの?」

「……勘違いすんなよ。これは、何も俺からの『提案』ってワケじゃねぇんだ」

 犬神が「フン」と鼻息を鳴らし、床で気絶していたかっぱえびを片腕で引っ掴むと、二匹に投げて寄越した。二匹ともかっぱえびを受け止めなかったので、かっぱえびは再び足元にどさりと落ちた。犬神が白煙を揺蕩(たゆた)わせ、目つきを鋭く光らせた。


「……これは『命令』だ。お前ら餓鬼どもは、今すぐその穴から出て行け。もう二度と戦場(ここ)には帰ってくるな。俺は『艦長』として、その鬼のお頭を都までしょっ引いて行く」


 犬神の『命令』に、鬼美が隣で抗議の声を上げるのを、鬼子は黙って聞いていた。

 ……確かに滅茶苦茶な『命令』だった。犬神のことを、どこまで信じていいものか……そもそも鬼子の父親を助けるために旅立ったはずなのに、その豪鬼の胴体を敵の(ふね)に残して行けるはずもない。

 だけど鬼子は、犬神に何も言い返せなかった。

 鬼子は黙って床を見つめていた。揺らめく白煙が鬼子のそばまで漂ってきて、彼女は顔を歪めた。彼女の頭の中には、島で死んでいった仲間たちの顔と、それから先ほど犬神から聞いた話が、ぐるぐると駆け巡っていた。


 すると、今まで脇でじっと座り込んでいた豪鬼の胴体が(おもむ)ろに立ち上がった。

 鬼子がハッと顔を上げた。娘がじっと見ている前で、豪鬼の胴体は壁に空いた穴まで歩いていくと、鬼子に向かい合い、それからゆっくりと右手を上げ外を指差した。

「お()っちゃん……」

「……”行け”って、そう言ってるのかな?」

 豪鬼の胴体の身振り(ジェスチャー)に、鬼美が小さく首をかしげた。鬼子はしばらく黙ったまま、父親の胴体と、穴から覗く外の景色を交互に見返した。


「オイ鬼子、行こうぜ」

 しばらくすると、鬼美が鬼子に近づき、諦めたように小声で囁きかけた。

「でも……お()っちゃんが」

「あたしだって言いなりになるのは嫌だよ。でも、ここは犬のオッさんを信じるしかない」

 鬼美がちらと犬神の背中に担がれたガトリング砲を見た。

「なあ鬼子。どっちみちあたしたちだけで、これから一ヶ月以内に都に辿り着いて、尚且(なおか)つ城の警備を突破するなんて無理だよ……。本気で助けようと思うなら、どっかで絶対協力者は必要なんだ」

「…………」

 鬼美に諭され、鬼子は再び俯いた。犬神は煙草の火を床にグリグリと押し付け、焦げ付いた匂いを(くすぶ)らせゆっくりと立ち上がった。


「そう言うことだ。お前の父親の件は、俺に任せろ。悪いようにはしねえ」

「…………」

「俺の飛行機なら、城までひとっ飛びだ。それに俺なら、警戒されずに中に入れる」

「…………」

「……どうした? まだ何か気がかりなことでもあるのか?」

 鬼子はしばらく黙ったままだったが、やがて意を決したように顔を上げた。


「その……ごめんなさい」

「?」

「おじさんは……妖怪なのに、どうして人間の(ふね)に乗ってるの? 人間を、恨んでないの?」

「ああ。俺ァ寺の育ちなんだ。これ見れば分かるだろ?」

 鬼子はじっと犬神を見つめていた。犬神は自分の着ている袈裟を指差し、そこでようやく、二匹の前で笑顔を見せた。

「喧嘩して、軒下でくたばりかけてる野良犬を、寺の和尚が拾ってくれたのさ。確かに俺は妖怪だが、人間に育てられたから、ずっと『近い』ところにいたのかもな」

「…………」

「……お前も、あんまり人間を恨むなよ、鬼子。デカイ声じゃ言えないが、俺にゃあ、いちいち人間だの妖怪だの区別してわざわざ(いが)み合ってる方が、どうにも”間違い”に思えて来んだよなぁ」

「…………」


 そう言うと、犬神は不意に優しい目を浮かべて、鬼子のおかっぱ頭をそっと撫でた。

 鬼子は、彼の言葉にふと故郷の老鬼のことを思い出し、犬神の膝の辺りに抱きついてしばらくポロポロと涙を零した。


□□□


「余は()()()()()()と、そう『命令』したはずなんじゃがな」

「んふふ……」


 薄暗い六畳半の寝室に、花柄模様の行燈(あんどん)の灯火が一つ。

 壁に貼られた障子の上に、帝と、それから怪鳥・オンモラキの影がゆらゆらと妖しく揺らめいた。


「鬼ヶ島の鬼が生き残っていては、下々の民が安心して暮らせんじゃろうが。一匹残らず炙り出せ。現人神に、畏れ多くも仇なすモノが在ってはならぬ」

「全くもってその通りでございます」

「フン。それにしては……何やらコソコソとやっとるみたいじゃないか。余が知らんとでも思うたか? オンモラキよ」

「……オカタイコトは、今はいいじゃないですか」

 乱れた布団の上で、オンモラキは甘えるように彼の胸元に顔を埋め、そっと囁いた。


「私にお任せ下さい、天子様。一つ、余興をご覧に入れましょう」

「ほう。余興とな?」

 はぐらかす彼女に、帝はわざと気づかない振りをして、ニヤリと唇の端を釣り上げた。

「その余興とやらは、少なくとも此間(こないだ)のチンケな赤鬼の首よりは、余を楽しませてくれるのじゃろうな?」

「ご安心を。卑しき鬼めら、それと……ふふふ」

 六畳半に、オンモラキの妖しげな笑い声が木霊した。行燈(あんどん)の灯火が、隙間風に吹かれて妖しく揺らめいた。


「天子様に仇なす謀反者は、一匹残らず我らの掌の上にございます」

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