テンプレとはすなわち……
テンプレとはすなわち楽譜である。テンプレはテンプレだけで存在は完結しない。楽譜もまたしかりだ。
そもそも楽譜は楽曲の骨子であってそのあり方を示すものでしかない。それ単体では焚き火の火付けにしかなりはしない。当たり前だが、奏者がいて、適切に管理された楽器があって。聴衆が居てこそ音楽は成り立つ。
世の中少し見渡せば例えば『ジャズアレンジ』とか『馬頭琴アレンジ』とか思っても見ないアレンジがあったりする。諸君、自分の好きな曲のアレンジ演奏を探してみるといい。それはそれで新しい発見があるだろう。
さて、アレンジ、とは簡単なように見えて非常に難しいものである。なぜそこでそのような形に吹くように指示しているのか?そこには何らかの作曲者の意図があるはずである。それを最大限に尊重しつつ、それを殺すことなく、あたかももとよりこのような楽曲であると思わせてこそ、である。つまりアレンジとはもとのその楽曲に精通しなければ不可能と言ってよろしい。
さらに言ってしまえば、全くアレンジしておらなくとも、指揮者や奏者の吹き方ひとつでその楽曲の印象は変わるのだ。だから楽譜は完成形でないし、尊重されても時に書き換えられる。
そしてテンプレの話である。テンプレはテンプレだけで存在は完結しないといった。これは紛れもない事実である。それをいったいどのように組み合わせてお話を作るのか、ということが重要なのである。そして型破りなやり方をそこに求めるならば、そもそもテンプレに精通しなければならない。勘違いされがちだが、『型破り』と『形無し』は全く違うものだ。型を理解しないで崩せば話の芯は崩れてしまうだろう。何が芯なのか理解していなければそうなる。私のようなへそ曲がりはそれで難儀する。真に『型破り』ができるのは『型』に精通してこそ、なのである。
テンプレ批判に関しては飽きたというならば、それを言う者たちはこの時期にやたらと演奏される第9も同様に批判するのだろうか。稚拙だと言うならば、それはなにゆえか。素人が吹くからに他ならない。プロがやれば恐らく皆、王道だのなんだのと称えるだろう。それだけのことと私は確信する。
さて、諸君はどのよう考えるかね?是非とも聞いてみたい。
なお、当方無調法故、楽譜一つまともに読めない模様。