英国人の好意
閉会式翌日、二人でロンドンを観光する予定だった。
その日も取材依頼が何件もあった。
もうテレビや記者にしゃべるのはほとほと疲れた。
「全部断ります」と大河原さんにメールを送った。
彼からの連絡は受信拒否にした。
また怒られるだろうが、もう知らん。
計画では、朝から博物館とその周辺を見学し、ビッグアイには空いていたら乗ることにしている。その後デパートで買い物をして、夜は母親と3人で食事の予定だ。
明夜、帰国するから自由時間は少ししかない。
日本選手のユニフォームを着て、選手村の食堂に入った。
もう大半の選手は帰国しているので閑散としている。
昨日の閉会式に参加した日本選手団も、今日の便で帰ると聞いた。
食堂はセルフなので、適当に皿に食べ物を入れた。
もう炭水化物にこだわらなくていい。
コック帽をかぶった厨房の人たちが、カウンターに集まって来た。
なぜかこちらを向いて一斉に拍手をする。
後ろに誰かいるのか?
振り向いたが誰もいない。
訳が分からないまま手を振って、隅のテーブルに座った。
ここはアルコール以外何でもある食堂だが、利用するのはあと一回だけ。
なぜか数人の選手に取り囲まれた。
胸の国旗を見るとオーストラリア人らしい。
握手を求められ、彼らのユニフォームにサインしろとせがまれた。
二人に漢字名を書いたが、何で俺なんだ。
銀メダリストって百人以上いるだろう。
由佳とは、9時に昨日別れた『ザ マル』のマラソンスタート地点で、会うことにしている。
そこなら博物館もそう遠くない。
着替えて部屋を出ようとすると、由佳の母親から電話が来た。
「淳一さん。どうしよう。由佳がイギリスのろう者のグループから招待されてね。あなたにも来てほしいって。すぐここに来てくれる?ホテルまでタクシーで来てね」
訳が分からない。
二人だけの時間がどんどん減っていく。
由佳達の泊まっているホテルに着いた。
フロントで、部屋を尋ねると「ジュンイチ?」と先に聞かれた。
うなずくと、お祝いの言葉や何やら話しかけて来る。
銀メダリストとはそんなに有名人なのか?
部屋に入ると、由佳が抱き着いてきた。
母親が、苦笑している。
「やっと会えたわね。由佳も昨日会えなくて寂しがっていたわ」
しまった。メダルを持ってくるのを忘れた。
「淳一さん。さっきBBC放送の日本人の方から連絡があってね。今日のお昼、ろうあ者の協会だったかしら。そこに来てほしいって言われたの。できたらあなたもだって」
「何で、僕らなんですか?」
「昨日、あなたがゴールした後、由佳と手話で話していたでしょう。それがテレビに映って字幕もついたんですって。朝、ロビーで由佳と手話をしていたら、知らない人が一杯話しかけてきてね、写真を撮られるし握手もしてくれって、もう大変だった。だからもう一度部屋に戻ってあなたに電話したの」
やっと会えて、今日は二人きりでデートのはずなのに。
こんなので今日、博物館に行けるのかな。
「それで、その会では何をすればいいんですか?」
「一言話すだけでいいって。手話でもいいらしいけど、どんな会なんでしょうね?」
朝から何も食べてないと言うので、フロントに電話してサンドイッチを頼んだ。
彼女と窓からロンドンの街並みを眺めた。
何とも言えない気持ちで彼女の肩を抱いた。
ロンドン滞在もあと一日しかない。
母親の呼ぶ声がした。
テレビを指をさしている。
昨日3位でフィニッシュした直後、手話をする映像が映し出されている。
画面には英語のテロップが付けてあった。
「すまない。3位になってしまった。君の期待に応えられなかった」
「何位でもいい。あなたが本当の金メダリスト。私はあなたを愛している」
何だこれは?
大体俺や彼女がこんなこと言ったのか?
次にイギリス選手のインタビュー会場に連れて行かれた時の画面。
翻訳してくれた加納さんは映っておらず、俺が下手な英語でしゃべっている姿が出ていた。
ルームサービスが来た時も混乱した。
サンドイッチだけのはずなのに、ワイン付きの豪華なオードブルセットが運ばれてきたのだ。
母親がミステークと言いながら、係の人と押し問答していた。
彼は笑顔で手を振りながら帰ってしまった。
なぜか俺たちにすごく親切だ。




