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君とオリンピックに行きたい  作者: 友清 井吹
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岩手の子供たち

7月になって身辺があわただしくなってきた。

オリンピックの開会式は7月28日だ。


地域や卒業した学校が行う壮行会への参加は全部断った。

県や市のように断り切れない団体もある。

それに大学とお寺の檀家さんの会。


寺では月一回座禅会をしているが、伯父さんから、そこのメンバーが淳一を応援するので顔を出してほしいと頼まれた。

座禅をした後、法話を聞き、時には写経もする少人数の会だ。

準備や後片付けは淳一がしているので、顔なじみになっている。


その日、本堂に行き、十数人のお年寄りの前で挨拶をした。

「オリンピックに行けるのは、仏様と亡くなった母のおかげです。心を無にして頑張ってきます」

 

卒業校や商店街から、多くの人がメッセージを書いた大きな日の丸が届けられた。

たたんでもかさばるし結構重いので、全部持っていけるはずがない。


昨年ボランティアで行った釜石市の小学校に電話をした。

教員免状を取れと勧めてくれた教頭先生が出たので、オリンピックに出ることを話した。


「君がオリンピック選手になったのか。道理で去年よく子供たちと走ってくれていたなあ」

淳一が神戸に帰ってからも、毎日のように運動場で待っていたそうだ。

そのうち自分たちで鬼ごっこをしていたが続かなかったという。

もっといたらよかった。


小学校は児童数が減ってしまい、来年別の学校と統合するという。

「明日は終業式だから、子供たちに君のことを話すよ。きっと勇気づけられるはずだ」


数日後、釜石の子供たちが寄せ書きをした小さな日の丸や作文が送られてきた。

この日の丸だけはロンドンに持っていこうと思った。


県や市への表敬訪問は、地元出身の槍投げ選手と一緒に行った。

彼は関東大で同じ2回生。

6月の日本選手権で大会記録を出し、ロンドンへの切符を手に入れたそうだ。


彼も少し前まで無名であったが、急成長して選ばれたらしい。

毎日人に会うことが多くなり、練習時間が取れなくなったと嘆いていた。

東京の結団式で会おうと言って別れた。


ロンドンへの第一陣は7月22日に出発する。

前日21日が結団式で、夜には全体の壮行会があるから大河原さんから来いと言われた。

赤い上着と白っぽいズボンの公式ユニフォームをもらい、出場者全員で記念写真。

こんな派手な服、開会式に出ないからもう着ることがないだろう。

もったいない。


ロンドンに出発する日を由佳と相談しなければならない。

パスポートを申請した日、彼女の家へ行った。

リビングの机の上には、英語会話の本やDVDが積み上げられていた。

母親がため息をついた。


「パスポートは取ったし、飛行機やホテルの予約も人見さんのおかげで終わったわ。後は英語がネックね。二週間しかないのに話せるはずないけれど、しないよりましと思って勉強をしてる」

「いつ出発するんですか?」

「由佳が8月8日と決めたわ。淳一さんの出るマラソンは12日でしょ。あなたはいつ行くの?」

「それを聞くために来たんです」


部屋に行くと、予想通りパソコンに向き合っていた。

後ろから座ったままの彼女を抱きしめた。

顔をこちらに向け、唇を合わせた。


最近はキスまでは許してくれるようになった。

ここまで遠かった。


すぐに体を押し戻され、余韻に浸る間もなく打ち合わせが始まった。

明日からの練習予定表を渡された。

出発前日まで走るのか!


「僕はいつロンドンに行ったらいい?」

「3日前の8月9日にして。あなたとロンドンで会う前にコースを調べておきたい」

「直前過ぎないかな。それに君と一緒に行きたいよ」

「私たちはエコノミーだから、あなたと行っても飛行機では会えない。だから次の日の便にして」


9日の出発に決まった。

本当に直前だ。

他のメンバーより一週間も遅い。

大河原さんは怒るだろうな。


大学の前期試験は、7月の末から8月の初めにかけて行われる。

半分はレポート提出にしてもらうことができた。


帰国後、恐ろしい量のレポートを作成することになるが、今は考えないようにしよう。

俺以外にも学生選手は多いだろう。

こんな苦労をみんなしているのだろうか?


彼女が出発する前日、夕食を午後9時ごろに食べさせられた。

野菜たっぷりのパスタだ。

夕食がこんなに遅いのは、ロンドンに向けての時差対策らしい。


「おいしい?」

「君の作ったものは全部おいしい」

「私が作ったから、まずくても我慢して食べているの?」


パスタは少し硬めで、歯に引っかかるが我慢することにした。

「朝食は、伯母さんに頼んでおいた。選手村では、ご飯やパン、ジャガイモをしっかり食べてね」


11時過ぎに寺へ帰り、彼女の指示通り午前1時まで起きていた。

普段は9時過ぎには寝ているので眠くてたまらない。


朝は9時に起床。

今朝の便で彼女と母親はロンドンへ旅立っているはずだ。


軽く5キロほど走り、寺に帰ったが部屋にいても落ち着かない。

本堂に行って座禅を組んだ。

雑念を払うつもりが、ふと気がつくと集団で走っている自分を、どこか違うところで見つめている別の自分がいる。

無の境地にはほど遠い。


本堂はクーラーがないので、じっと座っているだけでも汗がにじみ出る。

以前、伯父さんに教えられた数息観という呼吸法を試してみた。


「ひとーつ」と言いながら全部の息を出す。

さっと息を吸い「ふたーつ」と言ってゆっくりと息を吐き出す。

二十まで数えないうち、頭が澄み切ってきた。


五十まで数えてから目を開けると、近くで座禅を組んでいる伯父さんが目に入った。

「経を上げようか。淳一君」


まず般若心経を唱える。母の位牌の前では欠かさず唱えているから全部覚えている。

座禅和讃を作った白隠禅師については、今後じっくりと調べたいと思っている。

高僧というだけでなく、人間的に素晴らしく大きな人だ。

日本にこんな魅力的な人がいたのか。

二人で彼の座禅和讃を朗々と唱える。


「衆生本来仏なり。水と氷のごとくにて」


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