4章 オリンピック代表
「淳一さんのことがいっぱい載っているよ」
寺に帰ると伯母さんが、誇らしげに新聞を見せてくれた。
テレビでインタビューされている様子も、繰り返し放映されたらしい。
でもどうせ今だけのことだろう。
びわ湖毎日マラソンで日本人一位になり、オリンピック代表になった。
それだけのことだ。
その日、納骨堂を掃除した後、母の仏壇の扉を開けた。
母さん、由佳のおかげで夢が実現できた。
彼女とならいろんなことを乗り越えていけると思う。
俺だけじゃなく彼女も見守ってほしい。
納骨堂を出てからふと思った。俺の父さんにも知らせたかったな。
そういえば母が再婚するまで大事にしていたあの二人の写真、どこにあるんだろう?
母の私物を入れていた箱を探した。
まだ化粧品が残っているハンドバックから、小さい時に見た額が見つかった。
写真はあまり鮮明ではない。若い母の肩に手を置いている男性がいる。
背景は、初めて由佳と行った六甲山の岩山に似ている。
額から写真を出して裏返すと、『JUNPEI&NAHOKO』と書かれていた。
じゅんぺいというのが父の名前か。二人は幸せな時間を持てた時もあったのか。
顔立ちは俺に似ているか分からないが、背は高そうだ。
五輪出場が決まってから、トレーニング量は大幅に減ってしまった。
ほっとしてしまい、一日に長くても10キロまでのジョグだけだ。
後5か月でロンドンなのに、由佳がいないと走る気力がなくなってしまった。
それに走っていると、知らない人から声をかけられるようになったのがめんどうだ。
大学の学生課で、また授業料減免申請を出した。
顔見知りになった事務の林田さんが書類に目を通した。
いつも親身に話を聞いてくれ、丁寧に教えてくれる。
「親からの仕送りゼロで、奨学金だけの生活か。君、オリンピック選手だろう?」
「本当はバイトをしたいんですが、時間がありません。ロンドンに行くまでに手持ちの金もなくなりそうです」
「今なら寮に入ることができるけど?」
「知り合いのお寺で、食事つきで安く住まわせてもらっています。寺の掃除は大変だけど」
「義理の父さんとはどうなった?」
「前の家を出される時、手切れ金をもらいました。それもどんどん減っているけれど」
自分でもおかしくなり笑ってしまった。
「これじゃ六甲大でやっていくのは無理ですね。生活のためにオリンピックを棄権するか、私立の大学に特待生で転学するしかないなあ」
「だめだよ!」
林田さんが大きな声で言った。
「僕は、うちの大学に愛着も誇りも持っている。いつかこの大学から、オリンピック選手やノーベル賞受賞者が出ることを願っていたんだ。まず君が夢をかなえてくれた。確かにここの学生の多くはスマートで経済的に恵まれている。でも僕らの仕事は、君のような学生を支えるためにあると思っている。貧乏だからといって私学に行かれたら立つ瀬がない。何とか君が楽になる方法を考えてみるよ。何なら学長に直談判してもいい」
4月の新年度から、お金の心配がぐんと軽減された。
林田さんのおかげで、大学独自に行っている奨学生に選ばれたのだ。
元々六甲大は旧高等商業学校が母体の大学なので、経済界からの募金が潤沢にあるらしい。
これまで商、経済学部生だけ対象だったを奨学金を、文学部の淳一にも与えるとの決定が理事会でなされたそうだ。
奨学金は月5万円で返済義務なし。今もらっている奨学金を合わせると月10万円余り。
これで練習に専念できる。また俺を助けてくれる人が出てきた。
大学の広報誌に載せるとかで、学長と対談をした。
経済学の権威としか知らなかった学長はユーモアがあり話し上手だった。
日本の古典を平安時代から順に読んでいることを話すと、すごく褒めてくれた。
びわ湖毎日マラソンでは、吉泉監督以下多くの陸上部員のサポートで日本人一位になれたことを教えると、感激した様子で「いつかこの話を使わせてもらう」と言ってくれた。
「でも本番は自信ありません。他の選手みたいにメダルのことなんか言えません」
「そうだな。君はまだ若いから、4年後も本学に在籍して、もう一度出たらいいんだよ」
卒業する次の年にリオの五輪がある。
留年は考えられない。大学院に行けばいいのだろうか。




