長い口づけ
彼女は結局10日間も入院した。
頭の怪我については、後遺症の心配はなさそうだ。
頭部外傷と指の骨折で全治二か月ということだ。
吉泉監督とマネージャー、東田の3人が、病院へ見舞いに来てくれた。
見舞いの品は新しいランニングシューズ。
それと淳一と二人で長居公園を歩いている写真。
ご丁寧にかわいらしい額に入れてある。
あと一つは淳一の運動データの資料だ。
分厚いプリントがファイリングされていたので、ざっと目を通した。
心拍数や呼吸数ならわかるが、BMⅡやら乳酸値、Vo2MAXのグラフ。
意味不明な数値が並んだ表が示されている。
さらに驚いたのは競技場で走る連続写真が、何ページも添えられていたことだ。
誰がいつ撮ったんだ?
資料を受け取った由佳は、レポートにくぎ付けになっていた。
退院する日、彼女を三田島医院の玄関で待った。
車から降りると、待ち構えていた淳一の腕につかまってきた。
父親が冗談っぽく言った。
「夏場でなくて不幸中の幸いだ。頭や手をギブスや包帯でぐるぐる巻きだからな。暑い時期なら大変だった」
彼女のカバンを持って部屋に入った。
本当は両手で抱きあげて運びたかった。
「痩せたね」
「あなたも」
「色が白くなって、前よりきれいになった」
「あなたは、前より顔が怖くなった。練習して痩せたの?」
「そうかもしれない。185cmで62kg。絶好調だよ」
「私がいない方が調子いいの?」
「君のことを考えながら走っている。僕らはいつも一緒だ」
「私、ジュンの役に立っていない」
口をゆがめて泣く前の顔になった。
彼女の右手を握った。
かすれた声が聞こえる。
「私の・こと・忘れて・いなかった?」
愛おしいとはこういう時の言葉だろうか。
思わず抱きしめた。
突然ドアが開けられた。父親だった。今日はチャイムなしか。
彼女と抱き合ったままの姿を見られてしまった。
今から離れても遅いな。
由佳はまだ気付かず、しっかり抱き着いたままだ。
「すまん。今から私らは家を空けることになったから、それを知らせようと思って来たんだ。急に開けて悪かったな」
由佳を置いて、あわててリビングに行くと母親が出かける用意をしていた。
「私たちは怪我をされた先生のお見舞いに行くの。少し前に意識が回復されてね。相談することもあるから、悪いけどしばらくいてくれる?」
「お帰りになるまでここにいます。その後大学に行って監督にお礼を言ってきます」
「じゃあ少しの間お願いね。パパは、もう車で待っているから」
そう言ってあわただしく出て行った。
部屋に戻り二人して向かい合った。
もう誰もいない。
また抱きしめようとしたが押し返された。
「お風呂に長い間入ってないからだめ」
それでも我慢できず、長い口づけをした。
病人にこれ以上はやっぱり駄目かな。
二人きりのこんなチャンスは、当分来ないかもしれないのに。
三島由紀夫の作品『潮騒』の二人も、裸のまま抱き合いながら我慢したんだった。
何度も繰り返し読んだ場面を思い出した。
由佳から吉泉レポートを見せられ現実に戻った。
彼女はレポートの内容を完全に理解していた。
説明を聞いたが、片手の手話ではわかりづらい。
「今日、先生に会って当日の注意を聞いたら教えて。私、絶対応援に行くから」
来て欲しいが、いくらなんでも三日後では無理だろう。




