卑怯もんが!
急いで聾学校に戻った。
運動場には人垣がいくつもできていた。
携帯をしている人、校舎に走る人など騒然としている。
輪の中に倒れたり座り込んだりしている人が見えた。
本山宗太郎が、数人の男性に体を押さえられ、何かわめいている。
その近くで大声を出して泣いているのは、彼の母親のようだ。
人の輪の一つに、頭を押さえて座り込んでいる由佳がいた。
両親が側で声をかけている。
人垣を押しのけて彼女の横にしゃがんだ。
父親が左の側頭部にハンカチを当てているが、血がにじんで真っ赤になっていた。
「由佳。由佳ちゃん。しっかりして」
母親が彼女の手を持って呼びかけていた。
父親が淳一に気付いた。
「ここを押さえておいて」と言ってから、彼女の指を一本ずつ確かめた。
由佳の頭を右手で支え、ハンカチで側頭部を押さえた。
彼女は目を閉じたままで開けようとしない。
彼女の聞こえない耳に話しかけた。
「大丈夫だ、大丈夫だよ。俺がいるから」
「指の骨が折れているなあ。体を守ろうとして当てられたな」
父親がつぶやいた。
母親が淳一と交代して由佳の頭を支えた。
セーラー服には、神戸マラソンの副賞だった真珠のピンブローチが着けられていた。
淳一は立ち上がり,周りを見回した。
向うに男性二人に押さえられている宗太郎が見える。
近づいていくと、何か悪態をつき睨んできた。
こぶしを握り彼の前に立った。
誰かが、淳一の腕をつかんだ。
「やめろ。警察に任せろ」
その腕を振り払いとびかかった。
「お前なあ。卑怯もんが!」
彼は手をつかまれたまま逃げようとする。
胸元をつかみ殴ろうとしたが、また何人かに腕をつかまれた。
宗太郎は、おどおどした目で必死に淳一から離れようとする。
少し力が抜けた。
こいつただの弱虫か。
だからこんなことをしたのか。
遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。
宗太郎はその場で警官に逮捕され、手錠をかけられパトカーで連れていかれた。
救急車に両親が乗りこむ姿が見えた。
それを見て校門に走って行くと、古河さんが大きく手招きをした。
車に乗れということらしい。
道路は渋滞していて、救急車はすぐに見えなくなった。
一番近い救急病院は、母が入院していた医療センターだ。
古河さんに道を指さしながら何とかたどり着いた。
玄関前に赤色灯を点滅させた救急車が三台停まっている。
やっぱりここだ。
礼を言って車から降りた。
多分一階の奥だ。
大きなドアを押し開けると、向うに父親がいて、白衣の医師と話をしていた。
しばらく待つと、頭に包帯をした由佳がストレッチャーに乗せられて出てきた。
母親が側にいた。
「今から頭の精密検査をするの。あの子、由佳にあんなことするなんて。でもあなたはやり返したらだめよ」
昼食も食べず、病院の待合室に座っていた。両手を組んでひたすら祈った。
両親はなかなか病室から出てこない。
由佳の怪我はそんなにひどいのか?
3時頃、父親が出てきて病室に呼ばれた。
由佳は毛布を掛けられて眠っている。
「今のところ脳には異常は見当たらない。頭は髪の毛を切って四針縫った。傷口が開いているから縫えない所がある。くっ付くまで大分かかるな。肩は打ち身で腫れている程度だが、小指はひどい骨折で元通りになるのは難しい。今は麻酔で寝ているが、目が覚めたらつらいだろうな。とりあえず一週間入院することになったよ」
「お手伝いできることはありますか?」
「明日、土曜の午前中は病院を休めないから、姉の早苗に来てもらうことになっている。君は時々顔を出してくれるだけでいい。ここは完全看護だから心配しなくていいよ」
その後、警察で事情聴取があると言って二人で出て行った。




