長居陸上競技場
由佳は、合格祝いとしてスポーツタイプの電動自転車を買ってもらった。
本当は運転免許を取りたかったのに、両親が許してくれなかったそうだ。
練習時、その自転車で伴走してくれることになった。
ハンドルには、スピードや距離が分かるようにスマホが取り付けてある。
目の前を自転車に乗る彼女を見ながら走るのはうれしい。
それに同じスピードで走ってくれるので、ペースが以前よりつかみやすくなった。
走り終わればストレッチとマッサージ。
夏場は、彼女の胸の隙間や膨らみに目が行ってしまい落ち着かなかった。
今は着こんでいるから助かるような残念なような。
朝食後は、淳一の部屋でミーティング。
まず今日の走りの反省。
フォームと体や足の動き、呼吸の仕方、手の振りやストライドの回数など、彼女がチェックした項目を検討する。
1キロごとのタイムチェックが厳しい。
全コース10キロの地図に1km6箇所。2km2か所のポイントがある。キロ3分のコースが3か所、キロ2分30のコースが3か所。2kmはジョグでよいが、早くても歩くことも許されない。
できなくてもペナルティがあるわけではないが、彼女のきつい目で見られると辛い思いをする。
優しい時もある。
疲れ果て、荒い息をしながら座り込んでしまった時、後ろから抱きしめてくれたことがある。
由佳の胸の膨らみを背中で感じながら、走るエネルギーをもらえた。
今は、3月のびわ湖マラソンと6月の日本選手権を視野に入れてトレーニングを重ねている。
最大の難問はマラソンに絞るのか、五千か一万に挑戦するかだ。
マラソンは、まだ一回しか走っていない未知の領域と言ってもいい。
とにかく3月のびわ湖毎日マラソンで決まる。
大学では後期の試験が始まった。
さすがに一週間、夕方の練習を休み、図書館で勉強をした。
多分単位を落とすことはないと思うが、今回の成績で2回生からの専門コースが決められる。
第一希望は日本史で、次が東洋史、西洋史にした。
2月で講義は終わり、4月まで春休みに入る。
同じ文学部の学生は、海外旅行の話で持ち切りだ。
本来なら二か月あればバイトをしなければならないが、もうそんなことは言っておれない。
びわ湖毎日まで後一か月弱。
由佳の指示で早朝トレーニングの距離を延ばすことにした。
コースはネットで距離を調べて下見もしてくれている。
外周道路から出たり入ったりしてややこしい。
夕方の競技場練習は、1000mのインターバルを10本。
東田にびわ湖マラソンにエントリーしていることを打ち明けてから、同期の薮田君などが居残って並走してくれるようになった。
前半は大体3分半、後半は3分前半をキープするのが目標だ。
きついが、何とか目標タイムに近づいてきている。
朝のトレーニング効果が確実に出てきた。
2月。長居競技場の関西長距離記録会で、六甲大学の4人とハーフマラソンに参加することになった。
びわ湖毎日のため、ラストチャレンジだ。
この日は由佳と二人で競技場に行った。
彼女はダウンジャケットにニットの帽子をかぶり、いつもより大人びて見える。
化粧っ気のない顔に木漏れ日が当たった時、改めてきれいだなと思った。
早目に着いて、コースを歩きながら彼女の応援場所を探すつもりだった。
競技場に着くなり東田に見つけられた。
彼は由佳に向かって手話を始めた。
「おはよう。彼の友達の東田です。これから僕と仲良くしましょう」
東田が手を差し出すと、困ったような顔をして淳一を見た。
仕方なくうなずくと、軽く握手をした。
いい気分ではない。
「この子が君の走るエネルギー源か。こんな女の子がいたら僕も14分切りできたかもしれんな」
三人で歩いていると吉泉監督とばったり出会った。
「丁度良かった。このお嬢さんが君のパートナーだな。いろいろ聞きたいことがある。確か東田君は手話ができるんだったな。倉本君はもういいから、早く召集場所に行きなさい」
由佳は不安そうに淳一を見た。
彼女が心配だ。
こんな気持ちで走れるかな?




