人工内耳
年末は、家庭教師をしている大輔が中学受験をするので、最後の学習指導に追われた。
忙しくて、週二回の約束が全然守れていない。
申し訳なくて塾の冬期講習を勧めた。
彼が週一回でも倉本先生がいいと言ったそうなのでそのままだ。
ケンカの仕方以外まともに教えていない気がする。
元々できる子なので、競争主義の塾ではない方がいいのかもしれない。
入試は1月の第二土曜。
由佳の看護学校受験日と同じ日だ。
年末に四日、受験前は三日教える予定だ。
3時間も大輔と付き合うと、さすがに疲れる。
国語は新聞の社説やコラムを読ませたり、漢文の手ほどきをしたりした。
理科や算数の問題は難しくて、下調べをしていないと手に余る。
家庭教師が終わると、こたつで寝込んでしまった。
目が覚めると、由佳が目の前で勉強をしていた。
夢か?
彼女は、午後から勉強を教えてもらうと言って寺に来たそうだ。
受験科目は英語、国語、数学だけだ。
何度か勉強につき合ったが、ポイントを教えるとぐんぐん理解が進み、のみ込みの早さに驚かされた。
数学に関しては、明らかに追いつき追い越されている。
本当に頭のいい人間っているんだなと思った。
困ったのは、二人だけの濃密な時間だ。
顔を寄せ合った時、指がふれ合ったり、彼女の前髪が俺の頬にかかったりする。
むらむらしてくるので、何度も顔を洗って気持ちを静めた。
これでは体に悪い。
キスなら許してくれると思うが、それだけで我慢できないような気もする。
それに伯母さんが急にふすまを開けて、茶菓子など持ってくるから何かできるはずがない。
試験が終わるまでは我慢だな。
家に送る時は、どちらかが自転車を押しながら手話の会話。
毎春手話の検定試験があるらしい。
彼女の予想では俺は二級レベルで、母親と同じ位の能力になったそうだ。
来年受けてみようか。
大みそかは寺中の掃除の後、除夜の鐘の係を任された。
檀家さんが順に鐘を打つのだが、数を間違えないかと緊張した。
後で聞くと、別に百八より多くて少なくても構わないということだ。
最後に淳一と由佳が一緒に鐘をつき、手を合わせた。
今年が正念場だ。
彼女も目をつぶって長いこと手を合わせていた。
年が明けると、本堂で初めて転読をやった。
何十巻もお経の一部だけを読んで、手で全部ぱらぱら開いては閉じ、読んだことにするのだ。
今まで伯父さん一人でやっていたそうだ。
昨年、やり方を教えてもらい何度か練習をしたが、お経を落としてしまうこともよくあった。
今年は多少スムーズになったが、流れるように進めるのはやはり難しい。
「来年はもっとうまくなるよ」
伯父さんに励まされたが、まさかこれから毎年やるのか?
由佳は笑いながら、経を読む淳一の頭を指さした。
「来年は丸坊主になればいい」
正月は二人で初詣と思っていたが、そんな暇はなかった。
檀家さんがたくさん参りに来られ、その接待で忙しい。
彼女もよく働き、淳一にあれこれ指示をした。
三日から大輔が寺に来た。
午前中勉強を教え、午後は由佳の受験勉強に付き合う。
郵便局で年賀状の配達をするより大変だった。
受験の前日、彼女を家に送ると、母親に呼び止められた。
「遅くまで勉強を手伝ってくれてありがとう。お茶飲んでいってね」
父親は医師会の新年会で出かけているそうだ。
「淳一さんのおかげで、筆記試験は自信があるそうよ」
「でも面接はどうするんですか?」
「姉さんが手話通訳をすることになったの。私もあの子がここまで伸びるとは思わなかった。国語なんかさっぱりだったのに、淳一さんのおかげで言葉の理解が進んだみたい。でも合格できても勉強や実習は大変だから、小さい時に人工内耳の手術をしとけばよかったと思うわ」
初めて聞く言葉に首をかしげた。
「人工内耳って何ですか?」
「由佳は重度の感音性難聴だから、補聴器はあまり役に立たないの。人工内耳をしたら多少聞こえるらしいけど、運動が制限されるってパパが反対してね。あの子、手話ばかりで苦労知らずに育ったからこれからが大変」
「手術は難しいのですか?」
「そうでもないみたい。補助も出るしね。私の声で由佳が振り向いてくれるのが夢だったけれど、今更ね。今後手術をするかどうかは、あなたたち二人で相談して決めたらいいわ」
大輔は地域で二番目にレベルの高い私立中学に合格した。
親子で淳一に合格報告をしに来て謝礼までもらった。
母親によると、合格した以上に気持ちが強くなったことがうれしいそうだ。
もう算数や理科を教えなくてもいいのでほっとしたが、来月から家庭教師代が入らなくなる。
当分貯金を取り崩して生活をせざるを得ない。
ともかく後二か月だ。




