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君とオリンピックに行きたい  作者: 友清 井吹
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寺に引っ越す

合宿から帰って三日目、長年暮らした家から引越した。

暑い日だったが、午前中だけで片付いた。


前日、庭を含め、どの部屋も時間をかけて掃除をした。

義父の前妻さんの仏壇をきれいにふいて、庭に咲いていた花を活けた。

手を合わせてつぶやいた。

「三人目の奥さんで、苦労しているみたいですよ」


当日は、洋二兄が軽トラを借りてきてくれた。

引っ越し作業は慣れているから、何の心配もない。

持っていく物で一番重いのは、兄からもらった70冊の文学全集だ。


この家で、母と7年、一人で4年近く暮らしてきた。

母が死んだ後、この家が無かったら行く所はどこにもなかった。

それだけは義父に感謝だ。


引越しの前日、両隣の人に声をかけておいた。

当日、どちらも見送りに出て来てくれた。


右隣のおばさんには特に世話になった。

母が亡くなってから、何かと声をかけてくれた。

雨が降り出し、庭に干した洗濯物を取り入れて乾かしてもらったこと。

「残り物だけど」と言っておかずをもらったこともあった。


左隣のお嬢さんは、ここに来た時は赤ちゃんだったのに、今年中学生だ。

「あなたに、うちの子の勉強を教えてもらおうと思っていたのに」

そう言う母親から、手作りのケーキを頂いた。

死んだ母とは仲良くしていたそうだ。


挨拶だけの関係だと思っていたが、ちゃんと見守られていたんだな。

いつも何かをしてもらってばかりだけれど。


車に積み込みが終わり出発した。

母さんとの思い出の家が遠ざかっていく。

振り向くと、悲しいような寂しいような気持ちが込み上げてきた。


でも新しい住まいには、由佳が待っている。


今度住むことになる寺は金剛寺という。

街はずれにあり、建物や壁は割と新しい。

震災で建て直したそうだ。

昔は大きな禅の道場だったと聞いた。


本堂や納骨堂以外にも、修行に来た人が寝泊まりしたという古い建物があり、その中の一部屋を貸してもらうことになった。

8畳の畳部屋で大きな押し入れがある。

朝食付き月3万円で敷金無しは、信じられない安さだが、条件は思った以上に多かった。


門限はないが、戸締りは淳一の責任とする。

朝の勤行に出る出ないは自由。朝食は7時。

母が眠る納骨堂の掃除は毎朝する。鍵は淳一専用の分を渡しておく。

墓場と庭の掃除は、週2、3回はしてほしい。落ち葉の多い時期は1時間以上かかる。

葬儀はいいが、寺の行事はできるだけ手伝ってほしい。

トイレ三か所の掃除は、週2回でいいから忘れないこと。

風呂は、自分で掃除をするなら遅く入っても構わない。

どんどんやることが増えてきた。、


驚いたのは、住職夫婦の二人共手話ができるということだ。

特に伯母さんは、由佳と笑いながらすごい速さで手話をしていた。

ここの一家はどうなっているんだ?


この寺に、伯父さんだけでなく、由佳の父親や母親も一緒に住んでいたそうだ。

由佳はこの家に何度も泊まったことがあり、自宅よりのびのび過ごしている印象を受けた。

子供がいない伯父夫婦に可愛がられて育ったそうだ。


荷物を運び終わり、部屋で二人向かい合った。

彼女は、笑顔で右のこぶしで左の手首を叩く。

お疲れ様の意味だ。


『これからよろしく』と握手をするつもりで、彼女の手を握ろうとした。

さっと淳一から離れて睨んだ。


「私に、さわらない約束でしょう?」

握手もだめなのか。


ではいつならいい?

手話で聞いた。

彼女は左の握りこぶしに右人差し指を当て、前に振った。

一年後という意味だ。


それは長すぎる。

今は無理にでも抱きしめたい気分だ。

しかしその後どうなる?


彼女を失う愚だけは絶対に避けたい。

この部屋にいたかもしれない修行僧は、こんな悩みをどうやって乗り越えたのだろう。


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