恋の力は偉大
9月に熊本で日本インカレが行われる。
マネージャーさんに交通費と宿泊費の記された用紙を渡された。
東田をはじめ、六甲大は過去最多の8人が出場するという。
参加費は7万円。
手持ちの金は十万しかない。
用事があるということで、参加を辞退した。
それを聞いた東田に「なぜ行かん」と猛烈に責められた。
学生食堂で彼に、今の生活状況を打ち明けた。
「せっかく陸上競技部でデビューしたけど、しばらく休むよ。続けるためには金がないし、家も出される寸前だ。とりあえずバイトで稼いで、住むところを探す。まあひと月位で復帰できると思う」
東田は考え込んだ。
「俺が金を貸すといっても、君は受け取らんのだろうな?」
「まあな。今までも綱渡りの生活をしてきたけど、何とか切り抜けてきた。今度も何とかなると思う」
確かに状況は厳しいが、以前のような追い詰められている感じはしない。
「それならうちに来てよ。都会ではルームシェアっていうのかな。知っての通り、うちは広くはないが狭くもない。月五千円でどうかな。一部屋を提供するよ」
それもいいな。二人で合宿するみたいで楽しそうだ。
「考えてみるよ。実は一部屋二万五千円というのを見つけて、見に行こうと思っている。それに学生課で相談したら、寮が空いたら最優先で入れてくれることになった」
次の日に安い部屋を見に行ったが、あまりの狭さと汚さに諦めた。
ワンルームで共同便所ではなあ。
やはり学生寮の空きを待とうか。
今の家にぎりぎりまで粘り、出される事になったら東田の部屋を貸してもらうしかないか。
気落ちして帰る途中、彼女からメールが来た。
「家に寄ってくれる?父が話したいって」
診察時間が終わった医院のドアを、緊張しながら開けた。
白衣の医師は手を洗っていた。
「わざわざ悪いな。足はもういいんだろう?それより家を探しているって言ってたけど、どうなった?」
「安いところをまだ探しています。学生寮には空きが出れば入れそうなんですが、いつになるか分かりません」
「わしの兄が住職をしているのは知っているな?電話したら、君なら来てもらって構わんということだ。部屋は余っているから一部屋でも二部屋でもいいそうだ。朝食をつけて3万円。そのかわり寺の掃除とかはしてもらいたいらしい。どうかな?」
ものすごい好条件だ。
「ぜひお願いします。よければ明日にでも先方に伺います」
母親から食事を誘われたが、まだ食べていないのに断ってしまった。
いつもながらいらん遠慮をするのも、その後で後悔するのも俺の駄目なところだ。
由佳が淳一を送りに行っている間、浩輔はビールを飲んでいた。
「ちょっと強引だったかな。兄貴も初めは渋っていたが、倉本君の名前を出すと、彼ならいいかということになった。ということで多分決まりだな。しかし毎日、線香の匂いからは逃げられないな。君も覚えているだろう?」
「彼がまじめでいい人だというのは分かるけど、六甲大の学生でしょう?きれいで優秀な女の子がまわりにいるのに、何で聞こえない由佳を選んだのかしら?」
「由佳は、愛想はあんまりよくないが、親の欲目でもそこそこ可愛い方だろう」
「倉本君、私には遠慮ばかりして打ち解けないみたいだけど」
「君の前で彼がびくびくするのは分からんでもない。まあそれは冗談だが、二人が長く続くことを祈るのみだ。そういえば由佳は最近出かけることが多いが、どこに行っているんだ?」
「図書館や本屋さんに行って、陸上に関係する本を集めていますよ。本当にオリンピックなんて夢を持たせてどうするのかしら」
由佳がご機嫌で帰って来た。
部屋に戻る階段の音が、とんとんと楽しそうだ。
恋の力は偉大だな。




