初デート
大学では前期試験が始まった。
英語と中国語の復習はそれなりにやったが、本気で勉強したのは試験と関係のない手話だ。
図書館で借りた手話の入門書を二冊、繰り返し熟読した。
競技場で彼女が両手を握り、腕を上下したのは『頑張れ』という手話。
胸の前で花火みたいに手を開くのは『おめでとう』という意味だった。
手話は結局外国語と同じで、話したい表現を丸暗記するしかない。
見て理解するのはまだ無理だが、気持ちを伝えることはできそうだ。
デートの日、前と同じ駅で待ち合わせた。
淳一はポロシャツにジーンズ、通学用のサブザックで普段と全く変わらない。
まあそれしか持っていないともいえる。
彼女は駅でよく見かける山ガールの服装だった。
リュックも帽子もよく似合って可愛い。
会うとすぐに練習した手話を見せた。
「おはよう、今日、元気?」
彼女は、すぐに手話を返してくれたが全く分からなかった。
もう一度ゆっくりやってもらったが、何も分からない。
困っている淳一を見て、小さなノートとペンを取り出した。
筆談用に用意してくれていたようだ。
「無理に手話をしなくてもいい。でも覚えようとしてくれたのはうれしい」
それを読んで、両手を腕の前で交互に上下させてみた。うれしいという表現だ。
彼女が笑みを浮かべた。
出だしは快調だ。
覚えた指文字を使って自己紹介をした。
「私はくらもとじゅんいちです。君は?」
「私はみたじまゆかです。どうぞよろしく」
ゆっくりしてくれたから分かった。ゆかさんか。彼女ぴったりの名前だな。
電車の中でノートでのやり取りが続く。
この二週間の努力は何だったのだろう。
でも淳一が手話で考えていた質問をすると、真剣な顔で読み取ろうとしてくれた。
前回聞けなかった大切なこと、メルアドを恐る恐る尋ねた。
少し迷っていたが、自分の携帯を取り出し、メルアドを見せてくれた。
指でたどたどしく打ち込んでいると、淳一の携帯を取り上げた。
二人のスマホを合わせるように操作して返してくれた。
もうできたのか。
「使い方を知らないの?」
「今年初めて携帯を持った。まだよく知らないから教えてほしい」
目を丸くして驚いていた。
駅から歩き始めても、ノートのやり取りは続いた。
書いては読みの繰り返しで、多くのハイカーに抜かされていく。
小一時間歩き、景色のいい場所でベンチに座った。
彼女は、県立の聾学校高等部3年生。
卒業したら看護師の資格を取るため看護学校に行くつもり。
大学にも行きたいが、ついていけるか不安。
看護師にはいつかなれると思うが、普通の病院での採用は難しい。
夢はスポーツインストラクターとか理学療養士になること。
そこで思い出した。
「知っているよ。前に図書館で君を見た。難しそうな本を読んでいた」
「勝手に見たら困る」
「見えたから仕方がない」
「あなたのこと、まだよく分からない。男の人は、女の子が何人も欲しいの?」
思わず彼女の顔を見つめた。どういうことだ?
「僕にとって、親しくなりたい女性は君だけ」
こんなこと口に出して言えるかな。
「自信があるのは料理、洗濯、掃除。多分だれにも負けないのは、君への気持ち」
彼女は、はにかんだ様子で、考え考え書いた。
「私、聴者の若い男性をあまり知らない。若い男の人はこわい」
そう書くと、先に歩き出した。
聴者って俺のことか。
何でこわいんだ。




