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君とオリンピックに行きたい  作者: 友清 井吹
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聞こえない?

話せないし、聞こえない?

何でだ?

彼女が視界から遠ざかっていく。


あほか、俺は。


足が勝手に前に出た。

彼女はどこだ?


人通りの多い駅前の広場を走る。

やっと後ろ姿が見えてきた。


追いついて彼女の前に回りこみ、両手を広げてとうせんぼをした。

驚いて目を見開いた彼女に、手を合わせてから腕時計を指さした。


1時間は無理か。

指を三本立てた。せめて30分だけ。

駅前のファミレスを指さした。

彼女は首を横に振る。


「じゃあ10分だけでもいい。頼むよ、お願いだ」

声を出し、また手を合わせた。

困ったような顔で横を向く。


もうどうなってもいい。

彼女の手をつかみ、店の方に引っ張った。

予想外に強い抵抗があり、泣き出しそうな顔をしている。

手をつかんだまま途方に暮れた。


ため息をつき手を離した。

手をつなぐのが嫌なのか。

それとも俺が嫌なのか?


あきらめたように彼女が小さくうなずいた。

やれやれだ。


土曜日の夕方、ファミレスは混んでいた。

ここは昨年までバイトしていた店だ。

しばらく待つと奥のテーブルに案内された。

知らないバイト生だ。


座るとすぐに、彼女は手を合わせてこする仕草をした。

手を洗いたいのなら、横に水道があるだろう。指をさすと首を振った。


「ト・イ・レ」と声を出さずに言うと、立ち上がって行ってしまった。

恥ずかしい思いをさせてしまった。

そういえば俺だって。


だめだ。ちゃんと相手の気持ちや体調を考えないと。

でも話せないのにどうする?

ノートなんか持って来ていない。


彼女が帰って来ると、淳一もトイレに行った。

まさか帰ってしまってなんかないよな。


急いで席に戻ると、彼女はメニューを見ていた。

よかった。いてくれた。


「何でもいいよ。おごるから」

そう言ってから聞こえないことを思い出した。

もっと落ち着こう。

メニューをもらった。時間がない。

スープを指さし彼女を見た。


「これでいい?」

淳一の唇の動きを見ている。

うなずいてくれた。

通じた。


スープ二つとポテト。

これは夕食としてこの店で食べ比べ、比較的ましだと思ったメニューだ。

温めるだけですぐできる。


さて筆談か。

そうだ。ここのファミレスには『お客様のご要望』という小さなアンケート用紙と鉛筆が机の上に置いてある。これを使おう。


安っぽい鉛筆でアンケートの裏に書いた。

「今日はありがとう。君が来てくれたので一位になれた」


リュックから箱を取り出し、優勝メダルを見せた。

「これは君のおかげだ。ありがとう」


彼女は新しいアンケート用紙の裏に書いた。

「おめでとう。見ていて感動したよ。疲れた?」

分かりやすい、きれいな字だ。その下に付け足した。


「君が来てくれたからしんどくなかった」

「あんなに速かったら、オリンピックに行けるね」

「君が応援してくれたら行ける・・・かな?」

首をかしげて微笑んだ。

やっと笑ってくれた。


「私も、あの場所で競技をしたことがある」

「何の種目?」

「走り高跳びで優勝した」

「すごいな。記録は?」

「教えない」

「どうして?」

「私たちの大会、レベル低いから」


陸上のことはもういい。

注文したスープがきて口をつけた。

熱くてむせた。

それを見て、彼女が口を押えてまた笑った。

笑った顔もすてきだ。


「以前、君とお寺で会わなかった?」

「覚えている。あのお寺、私の伯父が住職」

「あそこで何をしていたの?」

「去年までお寺の掃除を手伝っていた。だれのお墓なの?」

「僕の母。三年前死んだ」


突然、彼女は胸ポケットから携帯を取り出した。

ああ、メールの着信か。

画面を見て、アンケート用紙に書き込んだ。

「母が心配をしている。すぐ帰りなさいって」


彼女はまた微笑んだ。

黒目がちの目がよく動き、表情がとても豊かだ。

続けて書いた。

「倉本君に拉致されたと伝えるよ」


笑いながら何度もうなずいた。

拉致という漢字を知っているんだ。


「後、半時間したら解放する。そう伝えて」

彼女がメールを送る間にコーヒーを注文した。

空腹ではあるが、食べる時間がもったいない。


「来週会えないかな?できたら日曜日に」

「来週はデート」


彼女の整った顔を改めて見つめた。

付き合っている彼がいたのか。

可愛いし誰もいないはずないな。


今日最大のミスか。

ため息をついて、力なくアンケート用紙を探したがもうない。


今日もらった表彰状を取り出し、半分に折って左上に書いた。

もうこんな紙きれなんかどうでもいい。

「ごめん。君はきれいだから、彼がいて当たり前だな」


なぐり書きになった。

無理に引き留めていたのか。

体の力が一気に抜けてしまった。


淳一の落胆した顔を見た彼女は、続けて手早く書いた。

「来週は親友の女の子とデート。再来週なら空いている」


にこにこしている彼女を見つめた。

やれやれだけど、すぐには気持ちを切り替えられないよ。


思い切って向かい合った席から、彼女の横に座った。

これで同じ方向を向いて字が書ける。

彼女は淳一から遠ざかろうとして間を取った。

少し性急だったか?


「再来週、どこがいい?」

筆談は長引き、表彰状の半分を二人の会話で埋め尽くした。

動物園?海岸?映画?食事?

結局、ハイキングに行くことになった。

待ち合わせ場所と時間も決まった。


彼女は、駅前で待っていた父親の車で帰った。

店に入ってから1時間が過ぎている。


申し訳なくて三田島先生と目を合わすことができず、車に向けて深々と頭を下げた。

顔を上げるともう車は見えなくなっていた。

あの先生怒っているだろうな。



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