本当のピンチ
淳一にとって本当のピンチは、その後にやって来た。
10月。担任の吉見先生に放課後、職員室に来るよう告げられた。
「こんなことで君を呼び出すのは気が引けるんだけど。前に封筒を渡したよね」
高校の学費が三か月滞納されているという通知だ。
中を見て、義父に渡そうと思い、駅前のマンションへ行った。
部屋は荒れている感じがした。
義父は封筒の中を見もせず言った。
「なみ江がパチンコにはまってしまってな」
「事務の人が倉本君のお父さんに連絡したけど、まだ未納のままなの。こんなこと君に言うべきじゃないかもしれないけど、困ったことになるかもしれないから、知らせとこうと思って」
「困ったことって何ですか?」
来年2月の修学旅行に行けなくなるということだ。それだけのことか。
「授業料は、もう補助を受けてるから何とかなるけど、修学旅行とかの積み立て金が滞っているから心配しているの。家の方どうなっているのかな?」
言えるはずがない。
その場で聞いてみた。
「じゃあ先生。例えば僕が修学旅行に行かなければ、未納分は消えるということですか」
吉見先生はしばらく黙っていたが、小さい声で言った。
「まあ、そうね」
「じゃあキャンセルするので、お手数ですが、手続きをお願いできますか」
「まだそこまで決まったわけじゃないでしょ。私もこれから動いてみるから」
その日の夕方、気の重いまま義父に会いに行った。
義父は、うつろな目をして玄関に出てきた。
「わしのキャッシュカードをあいつに取られてな。二軒分の光熱費も税金も滞納しとる。健介に頼んだら、なみ江と別れたら立て替えてやると捨て台詞だ。洋二に光熱費だけ出してもらっている。仕事の方は細々と続けているから、今度銀行口座を変えて、わしの手元に入れるつもりだ。それまでちょっと待ってくれんか。今月はいつものように渡せん。すまんがこれだけでな」
しわだらけの五千円札をくれた。先月分の3万円をもらっていないことを言い出せなかった。
ため息が出た。
未納のガス代ひと月分だけをコンビニで支払った。
残るのは電気代と水道代。食費と学費もある。
家に来た督促通知の束を見て、またため息をついた。
全部俺が払うのか。
高校の学費、要するに修学旅行費や卒業アルバム代をバイトをして払うのは、何とも割り切れない気がする。それよりまず光熱費だ。電気や水道を止められたらどうしようもない。
次の週から、毎週土日は必ず引越しのバイトを入れた。
この時期になると、もう近場の仕事はあまりなかった。
秋から冬は引っ越しが少ないらしい。
県外まで遠出して、家に帰るのが深夜になることもあった。
そうなると月曜日がしんどい。
学校で居眠りすることが多くなった。
ファミレスでの仕事も始めた。
あちこちの店に張っている『急募』という紙を見て、パチンコ屋と居酒屋を訪ねたが、高校生の男子はいらないと断られた。
ファミレスは、拘束時間が長い割に時給が低い。
学校では疲れから目つきが鋭くなり、ますます口数も減った。
水泳部後輩の木ノ嶋さんが、2年の教室にやって来た。
「先輩、練習に来てくださいよ。温水プールだけでもいいです。みんな待っていますから」
「行けたらね」
椅子に座ったまま一言つぶやいた。
彼女は悲しそうな顔をして、何も言わず帰ってしまった。
わざわざ教室まで来てくれたのに悪かったな。
何度か弁当を作ってくれた子だ。
けど今は、基礎体力作りや温水プールなんかに行くひまはない。
さすがに疲れた。
2学期の期末は、国立文系コース85人中61位。
だれ一人ほめてくれないけれど、よく頑張っている方じゃないのか?
ファミレスの仕事は平日の5時から9時までの契約だ。
日によって10時、11時までやることもある。
厨房では料理といっても、ほとんどが温めたら終わりだ。
マニュアルを確認しながら作るので気を遣う。
時には社員一人とバイト二人だけで、20人以上の客の料理を作ったことがある。
晩飯は店で食べられるので助かるが、心が荒んでいくような気がする。
バイト仲間の多くは高校生だった。
客が途切れた時、接客担当の女子から声をかけられた。
客の前では笑顔だが、奥に入るとむすっとして、休憩時間は外でタバコを吸っている。
アイラインがきついし、口紅の色も濃すぎると思った。
若いから素顔の方がましなのに。
「倉本君。今彼女おれへんのやったら、私と付き合わへん?」
「バイトと勉強で暇がない」
「えらいね。高校卒業する気なんや。私なんか卒業あきらめてる」
「今何年?」
「3年やけど、出席足りへんねん。倉本君、東高やろ?あんな高校におってバイトせなあかんの?」
「生活苦しいし、一人で暮らしているから」
「ほんま?じゃあ私を泊めてよ」
そうしてもいいかな、と本気で考えた。
家だったらキスでも何でも出来そうだ。
でもこの子と付き合い始めたら、もう高校なんかどうでもよくなってしまうのは確実だ。
「いや無理かな。汚いし、せまいし」
「何、それ?」
彼女は馬鹿にしたように笑い、タバコを吸いに出て行った。
そのうち彼女は店に来なくなってしまった。
惜しいことをしたのかもしれない。
うまくいけば高2で同棲できたのに。




