失恋
夏休みに入ると、部活のない日は図書館へ通った。
家にいると、紀和子先輩の事ばかり考えてしまう。
水着姿の彼女が頭から離れない。
水着の中のことまで想像してしまう。
図書館では、少なくとも家より勉強に集中できる。
義父が台風の通過直後、家の点検をしに来た。
「なみ江は、ここを売れとしつこく言うのでかなわん。けんど前の嫁の仏壇を持ってくるのは嫌だと言うしな。お前の母さんは、線香や花を供えてくれてたんやがな」
「大学に行くまでここに住めたら後は何とかします。もし入学できたらここを出て行ってもいい」
できれば大学を卒業して、就職したら出て行こうと思っていた。
今義父にこの家を売られたら行く所が無い。
高校卒業まで、後一年以上あるのに大丈夫だろうか?
9月初めの水泳練習の日。
明日の水泳大会が紀和子先輩の引退試合になる。
しっかり水着姿の彼女を目に焼き付けた。
もう今までのように会えないんだな。
プールサイドで声をかけた。
「今日で終わりですよね。今まで本当にありがとうございます」
「やめてよ。泣いちゃうよ」
気落ちして男子更衣室に入ると、3年生の谷田先輩がいた。
引退するので荷物を片付けていたようだ。
「お前、紀和子を追いかけとうって噂を聞いたぞ。何にも知らんとようやるわ」
何も知らんと?どういう意味だ。
彼をにらみつけた。
今ここで決着をつけるのか。それならそれでいい。
こぶしを握りしめた。
「お前のこと大嫌いやけど、根性あるのんだけ認めたるわ」
谷田先輩はそれだけ言うと、振り返りもせず出て行った。
何を言いたいのか分からない。
伊吹西高のプールで行われる水泳大会は、近隣の四校が参加するだけで、おまけに短水路だから好記録は望めない。
シーズンの最後、楽しく交流を深めるみたいな雰囲気で、応援だけに来ているだけの人も多かった。
紀和子先輩は、以前からこの大会を最後にすると公言していた。
淳一は百の自由形、二百の背泳と二百の個人メドレーと、やっと人数がそろった400mリレーにも出る。
自由形の百では1分4秒。
今シーズンで1分切りは無理だった。
泳ぎ終えると、いつも仁志先輩を探す。
手を振ってくれている彼女を見つけ、顔がほころんだ。
プールから上がり、体をふいていると後ろから、「おう」と声をかけられた。
サングラスをしている大柄の男性は、一年ぶりに会う白井先輩だった。
「倉本、記録伸びたなあ。それに男一人でよく頑張ったなあ」
懐かしさとうれしさで涙ぐみそうになった。
「紀和子から倉本のことをよく聞くよ。陸上ですごい記録出したんだってな。あいつすごく喜んでいたぞ。それでなんか倉本が俺に相談したいことがあると言われたけど?」
体の中を冷たい何かが通り過ぎたような気がした。
紀和子から?
あいつ?
そうか。仁志先輩は白井先輩と付き合っていたのか。
気合を入れるふりをして、両手で自分の頬を叩いた。
早く頭を切り替えよう。
「水泳はそこそこ順調なんですが、陸上の方も走れって言われて、どうしようかなと思って。それに大学、どこにするか悩んでいます」
「水泳も陸上もどっちもやればいいじゃないか。進路なんて俺一人で決めたし、そんなもん成績次第っていうとこもあるしな」
今通っている甲陽大学について教えてくれた。
水泳はもうやめたらしい。
「高校よりずっと面白いよ。周りにかわいい子いっぱいおるしな。おっとこれは紀和子には内緒」
つられて笑うふりをしながら、プールの方を向いて、小さくため息をついた。
「そろそろ決勝なんでアップしてきます」
「おう、ベスト出せよ」
どの種目も決勝は散々だった。
個人メドレーでは、背泳のターンが早すぎて壁に足が届かず、そこで立ってしまった。
背泳も自由形も予選よりタイムが悪かった。
もう、俺は何をしているんだ。
実は前日、花屋でバラの花を買って、今日最後に渡そうと思って持って来ていた。
試合後、紀和子先輩は部員たちにもみくちゃにされていたが、そこには入れそうになかった。
側で白井先輩が笑っている。
今日は二人で帰るんだな。
その日、帰宅しても食事を用意する気力がなく、ため息ばかりついていた。
持ち帰った花は、母の写真の前に活けた。
母を失った時と同じで、心にぽっかり穴が空いたみたいだ。




