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君とオリンピックに行きたい  作者: 友清 井吹
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母の一周忌

1月末、久しぶりに義父と会った。


「またでかくなったな。お寺から連絡があってな、お前の母さんのな・・」

目を合わさず、もぞもぞ言うのでわかりづらい。


要するに母の一周忌なので、形だけでも法要をするそうだ。

前に会った時より老けたような気がする。


法事の日、寺近くの食堂で昼食を食べた。

葬儀と同じで義父と洋二兄、淳一の三人だけしかいない。


洋二兄の家には、何度か誘われて食事に行ったことがある。

優しい奥さんと、今年2才になる美紀ちゃんの三人家族だ。

幼い美紀ちゃんと遊ぶのは楽しかった。


二人はビールを飲み始め、気まずかった会話も少しほぐれてきた。

次兄は淳一の学校生活のことを聞きたがり、次々質問してきた。


「東高じゃ水泳も陸上も頑張ってるのか。お前は男前だし運動もできるからもてもてだろ?携帯鳴りっぱなしだったりして」

「いや携帯は持っていません」

「ええ?今時携帯なしじゃ困ること多いだろう。10年前でも連絡は携帯だったぞ」

「今のところはなんとかなっています」

「親父。菜穂子さんの生命保険は結構あったんだろう。携帯くらい持たせてやれよ」


義父はビールをあおるように飲み、目をきょときょとさせて言った。

「あれは大した額じゃない。これから淳一を大学までやらにゃいかんし、なみ江だって食わさんといかん。それにまだローンも残っているしな」


そうか。義父がマンションを買えたのは、母さんの生命保険があったからか。


薄暗い納骨堂で母の仏壇を見つめた。

三段積み重なっている一番下にある。

これはお墓と言えるのだろうか。

ひと抱えしかない狭い空間に位牌が置かれている。

線香やろうそくは前の段に置くが、ともかく狭い。


法要は15分で終わった。

恰幅のいい住職は立ったまま読経し、深々と礼をした後、義父に次の予定を知らせていた。


洋二兄はポチ袋を淳一に渡そうとした。

「淳、困ったことないか?これはお年玉代わりな」

「いいですよ。バイトをやって金が貯まったから」

ほめてくれると思ったが、義兄は難しい顔をした。


「淳なあ、バイトがあかんとは言わんけど、ちゃんと勉強しなかったら後で絶対後悔するぞ。親父があんなケチだろう。俺も高校の時、学校をさぼってまでバイトをやった。けど成績下がるし出席が足りなくなるしで進学出来なかったんだ。だから淳は勉強していい大学に行ってくれ。血はつながってないけど、お前は俺の弟だと思っているから」

頭を下げて袋を受け取った。五千円入っていた。


二人と別れた後、もう一度お堂の中に入った。

夕闇が迫り、自分の足音だけが響く。

扉をもう一度開けて母の写真に見入った。


去年、母を亡くした直後は、何度もこの場所に来た。

たまたま出会った住職に「位牌より写真を見る方が会えたという気になるだろう」と言われ、母の写真を入れたのだ。

高校の部活やバイトで土日も忙しくなり、最近は寺には来ていない。


「母さん」

写真の母に呼びかけた。

亡くなって一年。その一年が長かったか短かったのか分からない。


母が入院した直後、病室で封筒を手渡された。

淳一名義の通帳と印鑑、キャッシュカードや現金も何万円か入っていた。


「今のうちに渡しておくね。全部で30万円しかないけど、ごめんね」

「いいよ。こんなもんいらん。どうせすぐ治るのに」

「だったらいいけどね。あなたのことは義父さんによく頼んでおいた。だからちゃんと勉強して大学を出てね。母さん、ずっと淳のこと見守っているから。側にいてあげられなくて本当にごめんね。母さん今まで淳ちゃんと過ごせて幸せだった」


そこまで言うのが精いっぱいで、涙をぬぐって横になってしまった。


その後は淳一の顔を見るたび、「ごめんね」を繰り返すだけで徐々に意識が混濁していった。

病室は相部屋なので、つらくなるたびトイレで声を押し殺して泣いた。


義父は医師と面談する時、必ず淳一を同席させた。

乳がんの進行を表すステージは四期で、すでに骨や内臓にも転移しているという。

要するに手遅れということだ。


年の暮れも正月も病室で過ごした。

病状が急変したのは一月の初め。

淳一が一人、母の手を握りながら最期を看取った。


「母さん。俺、一年間頑張ったよ。一人でやれるだけやってきた。知っているよな?」

写真を見つめていると、思いがけず涙があふれるように出て来た。

何で?と思う間もなく、押さえきれず声まで出して泣いた。

泣き続けた。


何分たったのだろう。床に涙の跡が黒くにじんでいる。

お堂の中は電球の光だけで、外からの光はもう入ってこない。

大きなため息をついて扉の鍵を閉めた。


下村湖人の『次郎物語』を読んだ時も泣いたな。

親を早くに亡くした主人公の本ばかり探して読んだ。

同じような境遇をどのように切り抜けたか知りたかったのだ。

『次郎物語』の次郎は、実母が亡くなっても父や兄弟がいる分、自分の方が厳しいかなと思った。


孤児から成功する話が多いディケンズの小説も夢中になって読んだ。

成長していく主人公を自分に重ね合わせた。


結局は誰に助けられるか、出会いというか、運次第なんだろうか。

それならうまくいけば自分にもチャンスはあるかもしれない。

あまり期待しない方がいいかもしれないが。


涙をぬぐって納骨堂を出ようとした。

入り口に若い女性がほうきを持って立っていたので、飛び上るほど驚いた。


彼女は目が合うと少し頭を下げた。

中を掃除しようとしたが、入るのを遠慮していたようだ。


確かに若い男が暗い所で声を出して泣いていたら声はかけにくいな。

この寺の子だろうか。どこかで見たような気がする。


しばらくして近くのスーパーで買い物をしていた時、またその女性を見かけた。

以前、落とした野菜を拾ってあげた女の子だ。

髪を栗色に染めているし、顔つきが前よりきつくなった気がする。


レジでまた出会い、一瞬顔を見合わせたが、彼女の表情は変わらなかった。

俺の思い違いかな?


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