プロローグ
長い距離を走るのなら、他の奴には負けないかもしれない。
淳一がそう思ったのは、中学3年生の1月。
同級生の多くは推薦で進学する高校が決まっていた。
この時期、体育に限らずどの授業でも締まりのない雰囲気だった。
寒くて風も強い月曜日の5校時。体育教師が運動場に男子を並ばせた。
「今日は1500mを走るからな。それで成績つけるからさぼるなよ」
不満そうな声が一斉に起きる。
元陸上部と野球部員の話が聞こえて来た。
「俺、一学期は4分台で走れたけど、今日5分切れるかなあ。」
「それ自慢か。俺らも夏の大会まであほみたい走らされてたけど、今頃、千五百も走れ言われてもなあ」
「じゃあ行くぞ。走り終わったら順位とタイムを確認するから、着いた者から並んで座れ」
グラウンドの200mトラックを7周半走る。
淳一は、ペアの生徒が1周したら地面に小枝で線を引いた。
吹きっさらしの運動場は寒いが、心の中はもっと冷たい風が吹いていた。
2週間前に母、菜穂子が亡くなった。
まだ35才だった。
ホイッスルの合図で、後半組が走り出す。
淳一は先頭集団にいた。知らない間に押し出された感じだ。
どうせ後で追い抜かれる。
順位なんかどうでもいい。
3周もすると息が苦しくなってきたが、スピードは落とさなかった。
歩くように走っている者の横をすり抜けて走った。
何に対してかわからないが、『くそっ』という怒りの気持ちで胸が一杯になった。
なぜか涙まで出てきた。
「やるなあ倉本、ぶっちぎり」
ペアの奴が叫ぶ声が聞こえた。
「元陸上部。お前ら何をやってるんだ。情けない」
体育教師のどなる声が聞こえた。
ゴールした時、大半を1,2周抜かしていた。
2位以下が来るまでしばらくかかった。
肩で息をしながら顔を上げると頭がくらっとした。
つばを何度も吐き出した。
「一位は倉本で4分44秒。立派なもんだ。2位は55秒で元陸上の萩田か」
今まで運動で目立ったことなど一度もなかった。
母が知ったら、喜んでくれただろうか。
淳一が走るようになったのは、母が入院してからだ。
夕方に母を見舞った後、病院前から混んでいるバスに乗るより、家まで走って帰ろうと思ったのだ。
初めは走ったり歩いたりの繰り返しだった。
重い通学用カバンを持っては走れない。
学校指定のリュックに荷物を入れ、両手を空けて走るようにした。
腹の空いた夕方、重い荷物を背負ってい元気よく走ることなんかできない。
あまり足を上げず、すり足のような走りをした。
ひと月もしないうちに、6キロの道のりを半時間かからず走れるようになった。
帰宅してすぐ風呂で汗を流すのも気持がよかった。
何より自分も母の病気と闘っているような気がした。
そんな生活が二か月続いた。
しかし母の死で走ることは終わった。