商人の時代
平和な時代が続き、商人が力を持つようになった。
コメの現物支給によって武士は生計を立てているが、コメを売ることによりほかの必需品に替える。しかし年数を重ねるにつれて、各藩の努力によって耕地面積は広がっていく。コメの生産高が上昇するのはいいことだが、コメ自体の値段は下がっていく。拮抗要素として人口の増加(=コメを食べる人数が増える)はあるが、それを上回るスピードで田畑は増え、コメの価格を押し下げた。……一方で武士は功績によって禄(=コメをもらう量)を上げることができるが、平和な時代に大きなチャンスなどない。
いつしか武士は、困窮していった。
商人はコメの値段も握るし、武士に金を貸し付けることもする。
それはこちら側の”江戸時代”よりも顕著であり、大坂が首都であったためだろうか。江戸ならば律義で真面目で、金を貸していたとしても、商人は表だって武士より上に立とうとはしなかった。だが大坂は違った。他の都市より商人が力を持っており、自由を重んずる風土がある。多くの者が野心を持っていた。
香武庁十代目、香武義為の時代。おそらく1750年以降の期間であろう。多くの商人らの必至の嘆願と多大な献金により、異なる身分間の婚姻が許可された。これまでは士農工商という身分制度により、生涯にわたって身分は固定されていた。基本的に異なる身分での婚姻は許されず、もし結婚したのであれば、武士であったものは下の身分に落とされる。これからは商人の娘を貰ったとしても、武士は武士のまま身分が保たれる。武士は自分の借金はなくなるわ、懐が温まるわで得をする。商人らは武士を身内に持つことができて、有利に物事を進めることができる。
以降は力のある商人を中心に、旗本や諸藩の家臣へ娘を嫁がせることが横行した。……大商人が政治に口出せる状況が整った。求めるものは……さらなる利益拡大と商権確立。その動きは時代を左右するうねりと化し、鎖国体制をこじ開ける。