問いかけ
”5月20日”、この日を改めて建国記念日と定めた。統一政権の政令第一号である。
トップには旧軍事政権の官僚で行政局長だった北波真輔(彼は非軍人)。あくまで英語表記の”トップ”であり、このときはまだ日本語名が定まっていなかった。首相や内閣総理大臣だと、上に元首がいるということになる。元首を大統領とよぶならば、新庁府の望む上座を作らぬ徹底した民主制へ近づくが、香武尊歳という存在が無視されたこととなる。ささいな発言や認識の違いにより、やっとでおちついた戦争が再び始まりかねない。
香武庁派を成り行きで巻き込んでいる仙名政勝であったが、本音はまったく違っていた。青年組という実力がものをいう組織を経た彼にとっては、皇族などという永遠に守られ続ける権威に否定的。かといって”香武尊歳”を赤子の頃より保護してかわいがってきた。いわば自分の息子のような存在。尊歳もしっかりと”仙名イズム”を受け継いでいる。愛着ある彼を生かし続けるためにどうすればよいか……。
仙名の知恵付けにより、香武尊歳は元首の地位を放棄すると国民に宣言した。これより、国家元首の呼び名は大統領に定まった。主権はすべて国民に属する。尊歳も不測の事態で処刑されることもない。ただし元首に関しては解決しても新庁府派から見れば、軍閥の動向はいまだもって複雑だ。旧軍事政権下の軍閥の半分ほどが、統一政権に参加する羽目になった。彼らの発言力をどうするのが妥当か、新庁府出身の面々は悩む。特に仙名は元首放棄宣言と引き換えに、新たに開かれる国会の議席に、軍人保有枠3割を設けるように要請。(例えば2017年現代においてミャンマーがこれに近い。各議員の議席のうち1/4を国軍司令官の指名枠としている。)
当然の如く、両派(石川軍ら軍閥と新庁府出身者)の話し合いは長引いた。その中に梅津氏当人も参加している。
…………
忘れもしない、1943年7月8日。いやに蒸し暑い日。目の前のテーブルには軍人の仙名政二(政勝弟)と小田原早歳。横にはアメリカ駐留軍のイストラス・バーニャ氏。新庁府派では梅津氏と同僚の由比吉郎氏の二人が座った。その部屋にいる全員がうんざりした顔で、仙名氏などは大声で叫び、”なんでこんなに暑いんだ”と話す。窓全開にしてみるものの、風は一切なし。とりあえず薄いカーテンを閉めて、遮光することにした。
…………さて始めようかと思った瞬間、目の前が真っ白に。音という音がすべて耳へ入ろうとし、体はまるで宙を浮かんでいるかのようだ。……あちら側のその場所は、東京千代田城内の一室。こちら側の皇居内へ飛ばされてきた。
以上が、梅津弘氏から聴き取った話の全貌だ。そのまま信じるとすると、梅津氏はあちら側の1943年から、こちら側の2017年に飛ばされてきたことになる。なのであちら側の世界が今後どのような足踏みをするかは不明だ。
話を聞いて、個々人で思うところはあるだろうが……あえて問う。
あなたはどちらの世界がお好きだろうか。




