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香武庁  作者: かんから
信忠の政権下
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本能寺の変

 ……偶然にもこの梅津うめつ氏という人物は教養深く、歴史も詳しいところまで知っているらしかった。もちろん、彼自身の妄想という可能性もある。だがそれを軽視できない背景があり、ここに書き記すに至る。



 こちらの世界と、あちらの世界の分岐点。それは本能寺の変で、織田信忠が死ななかったこと。


 忠実でいうと天正十年(1582)、明智光秀が織田信長を京都の本能寺にて討ち取った出来事である。当時、織田信忠は二条城に滞在中。同じくして殺されたらしい。


 ところが、あちらでは違うらしい。明智勢は二条城を囲んだ。しかし城中には天皇の御子がいた。信忠は明智勢に”皇族を巻き込むのは不敬なり。”と伝え、避難させるための時間を要求した。その時に城より出る一行に紛れ、信忠自身も脱出したという。(注:あとから調べたことだが、天皇の御子を脱出させたという事実はこちらの世界でも共通している。)


 その後、信忠は淀川の流れに乗って南西へ逃げる。安土城へという手もあっただろうが、逃げ道は坂本も近く、明智勢が控えていて危険だったろう。そのうちに明智勢は孤立。各所から責め立てられて、本能寺の変は終わった。




 明智光秀は捕らえられた。そしてゲロッた。


 ”朝廷の指示を受けた”と。



 信長は朝廷という存在を不要に思っていた。確かに一昔前は助けてもらった。戦が不利となれば朝廷の使者を呼び、威光を盾に統一事業を有利に進めた。……だが畿内は平定され、他地域も圧倒的軍事力によって治まろうとしている。……すでに朝廷は必要ない。


 密かに朝廷は、明智に討伐の命を下す。……信長は殺せたが、信忠は憎しみを残す。……父を殺された恨み。この想いを抱かさせたことは、致命的な失敗だった。



 しかし朝廷を倒すことは、前例にないこと。予測し得ない影響をもたらす。信長であればできたかもしれないが、信忠になしえるだろうか。……いや、隣国の中華では頻繁にあること。……まずは父の跡を継ぎ、日本統一をする。


 本心の奥底へとしまい、信忠は次へ進んだ。

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