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香武庁  作者: かんから
義武(義静)の政権下
18/29

江戸藩独立

 1860年の暮れ、香武庁十二代の香武かんむ義景よしかげが崩御。十三代には義武よしたけが就任した。権力争い関係なしに、嫡男だからというのがその理由である。次の大老には姻戚関係より、康朝卿の嫡男で京都藩の藩主になっていた条良じょうら義宗よしむねが推挙されたが、義宗卿は断った。これによりリーダー不在の状況が続く。


 武士という地位を保証され、代々受け継がれた俸禄で食いつなぐ役人ども。開明派攘夷派と揺れ動いてきた庁府であったが、争いの末に生き残った者らは特に優柔不断な者たちであった。そして力を保つ者として上西じょうせい宗家そうやという欲にまみれた僧都そうずが一人。かといって彼はあくまで権力がほしいだけであって、自分の目指す国家を実現しようなどという意気込むことはなし。先の攘夷論だって、条良家に対抗するために利用したのだ。


 ……しいて言うなら、新たな人形を探している。表舞台に立ってくれる、格好のおもちゃを。



 そんな宗家卿へ不信感を抱く皇族が一人。香武かんむ義輝よしてるといい、亡き義景帝の庶子で義武帝の弟である。彼はこう考えていた。


”いまこそ皇族自ら親政をすべき時だ。これまでは家臣に任せきりで、民を顧みてこなかった。だからこその惨状だ。……庁府にはびこる悪弊を正し、世の中を治す。”


 宗家卿は義輝親王を警戒。言葉をそのまま解釈すると、自分が庁府より追い出されることになるのだから。……義輝親王の足をもぐように、仲間らを暗殺していく。ついでに他の邪魔なやつも殺してしまおう。


 凶刃に条良義宗も命を落とす。京都藩は弟の条良じょうら宗朝むねともが後を継ぐ。



 ……今の庁府に、世の中を正す力はない。





   ”あらたな国家を作ろう”


 そう考えたものが西と東に二人。


 西は岡山藩池田家藩士の今江いまえ小次郎こじろう

忠実での西郷隆盛・大久保利通や桂小五郎といった幕末志士と同じ部類だろう。


 東は権力闘争の末に江戸藩の藩主となった松平まつだいら慶喜よしのぶ

忠実での徳川慶喜と同一人物か。



 偶然にも二人は、同じ考えを持っていた。

新しい政治機構を作り、強い集権国家を成す。

各藩が一致団結し、民衆の力を取り入れ、列強へ追いつこう。


 そのために、庁府をいったん無に戻す。



 この二人や各藩の志士をまとめ上げた人物に、坂本竜馬の名前があるという。





 1863年春。江戸藩松平家は香武かんむちょうに対し独立を宣言。日本国連邦政府を名乗り、各藩に参加を呼び掛けた。

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