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香武庁  作者: かんから
義景の政権下
13/29

ペリー来航

 時代は香武庁十二代、香武かんむ義景よしかげの治世になる。1850年以降の期間であろう。


 欧米諸国の造船技術や戦闘能力は飛躍的に向上。第二次大航海時代の幕開けである。以前と違うのは”冒険の旅”ではない。実利を求め、あまよくば植民地にしようと企んでいる。義秀帝時代のアヘン戦争はその前哨。スピードはさらに加速する。


 当時、日本では仮想敵国をイギリスとしていた。ロシアから悪評を吹き込まれていたし、隣の清国を攻撃したのはかの国だ。だからイギリスが日本と交渉して来航しても拒否したし、イギリスから独立したアメリカも敵視した。同じアングロサクソンだと聞くし、イギリスが親でアメリカが子分のように考えたからである。


 アメリカは合衆国の領土を東海岸に広げた以上、太平洋航路を開発したい。日本は中国へ行くための中継地として重要だ。捕鯨船の物資補給にも役立つ。……だが調べてみると、ロシアが先に手を付けているではないか。しかもロシアはアメリカの悪評を吹き込んでいる。……どうりで交渉しようとしても無視されるわけだ。



 現状を打破するには、武力を示さなければならない。



 ペリー率いる太平洋艦隊三隻は1853年夏、突如として土佐国室戸岬に姿を現した。沿岸に向かって大砲を打ち込み、漁船や民家をずたずたにした。土佐藩山内家は急いで兵を送ったが、戦の仕方がわからず遠くで見守るのみ。民は恐れおののいて、湯気をはいている様はまるで火山のよう、特にそれは黒い船だったので”酷船こくせん”と呼んだ。


 急報は大坂の香武庁へ届き、いるものすべてを震撼させた。もしやこのまま紀州水道へ入り、大坂を目指すのではないかと。案の定、黒い蒸気船三隻は北東へ向けて舵を切った。……輸入して蓄えてきた武器の真価が試される。……大坂は当時、”庁府ちょうふ”と呼ばれていた。”香武庁の置かれている大府”という意味合いからきた言葉だが、その庁府の海を守るのが庁府海軍だ。借金までして買ったロシア式の最新の帆走船で、外面はいかにも強そうだ。



 ……だが、実戦では何も役に立たなかった。欧米諸国は常に戦いを続けて、腕を磨いてきた。一方で日本はどうだ。ちょっとした事件は起きたにせよ、平和ボケは否めない。


 庁府海軍は淡路島南端の潮崎しおざきに集結、五隻の帆走船が南西に目を向ける。



 ……それは一切雲もない、快晴の日であったという。海からの熱気が、目の前をぼやけさせた。……ほどなく、横一列に三隻の敵船が見え始める。いよいよかと戦支度に取り掛かろうとした時。


 一発の砲弾が、庁府海軍の中でも一番大きな船に落ちた。大きな音を立て、ど真ん中にでかい穴をあける。……船体は揺らぎ、兵らは慌てふためいた。体を起こそうとするも、次の砲弾が投げ込まれる。





 日本は徹底的に負けた。アメリカ太平洋艦隊はそのまま潮崎を占領。ペリー提督は日本側の使者と面会し、大坂庁府へ手紙を送った。

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