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香武庁  作者: かんから
義為の政権下
10/29

ナポレオンの余波

 日本と交易している諸外国に、ロシアも加わった。以前より交易していたオランダは競争相手の登場に危惧したが、当国はそれどころではなくなってしまった。


 仮に忠実と同じ年数であるならば、それは1797年のこと。



 オランダは、滅亡した。



 原因は、ナポレオンの登場による。


 ナポレオンはフランスの実権を把握。続いてオランダはフランスの領有となり、政体はフランスとほぼ同一のものと化してしまう。”こちら側”での占領期間は1809年までと伝わるが、長崎出島のオランダ領事はその間、嘘をつき続けた。オランダ国は存続していると。ただし”あちら側”の世界では嘘がばれてしまった。ロシアからの情報である。


 香武庁ではオランダとしていたこれまでの交易を一種の権利とし、その権利を出島のオランダ人らに譲ることを認めた。そして出島のオランダ人は、一時的にフランスへ属した。イギリスはフランスと対立している。従ってイギリスの敵は日本の出島にもいる……。”フェートン号事件”という名で伝わる。


 イギリスはオランダ国の旗を掲げて、はるばる日本へと来航。港へ入った船へ、いつも通りの交易品チェックのため、日本の役人は乗り込んだ。イギリス兵は彼ら二人を拉致。長崎を治める鍋島藩は慌てふためき、軍を送ろうにも戦の仕方がわからない。相手は海に大砲を打ち込み、容易に近づくこともできない。すぐさま九州を統括する博多藩上西家(秀吉・秀勝の子孫)へ急報が飛ぶ。



 ……上西家の軍隊が到着する前に、多くの食糧と引き換えに人質は解放された。イギリス船は港を去る。




 兵器の質、船の構造。何もかも違う。……ロシアを見たことによっても知ってはいたが、彼らはやいばを向けることはしなかった。……もし戦に巻き込まれたら、勝ち目がないことを認識する。


 この事件は忠実の年数に従えば、1808年のことである。一般民衆には伏せられたので、事実はその地域の住民や一部の役人しか知らない。その中で香武庁上層部は、大転換を決断する。




 ……武器の輸入である。ロシア側も承知し、交易品の一覧に大砲や鉄砲も加わった。


 だが、ロシアも老獪ろうかいだ。日本が情報に乏しいことをいいことに、旧式しか売らなかった。日本へは”最新式ですよ”と嘘をつき、実際はロシア軍やコサック兵で使われなくなった物品を送る。その取引はナポレオン帝国崩壊後も続き、輸入のために食糧のほか金銀も用いられた。……次第に国内に流通する小判の数は減り、物価が上昇。そのころになると鉱山から産出される金銀の量も減少の一途で、通貨量の調整はできにくい。


 加えてロシアは日本に、自分らと対立する国々の悪評を吹き込んだ。特にイギリスは日本と共通の大敵として認識させることに成功した。

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