香武庁とは何か
この記録は、私(=中野)が聴き取った話をまとめたものである。
梅津弘氏という、精神科の監獄に入っている人物がいる。普通であれば一蹴されてもおかしくないのだが、そうはできない事情があった。なんでも発見時は皇居内での爆発騒ぎ。宮内庁でも数人しか存じない秘密を知っていたが、関係者名簿に彼の名前はない。それどころか日本国の戸籍に存在しない人物であった。……詳しく聴くと、彼は政治家の梅津平が父だという。新庁府という組織に属し、国際同連でも活躍したという。
……どうも、今の日本と食い違う。異世界から来たかのように思えた。だがまるっきり違うわけではない。同じ日本語は話すし、仕草なども分かり合える。出身の地名も確かめられた。……日本人であれば当然ではあるが。
違っていたところは、歴史であった。
聖徳太子、桓武天皇、藤原道長、平清盛、足利尊氏、織田信長……この辺りまでは同じである。
彼は次に香武忠康という人物を挙げた。その人はどういう方なのかと訊くと、こう答えた。
”織田信長の孫で、日本における第二朝廷を成立させた人物。”
”香武”とは、織田家が桓武平氏を名乗っていたことに由来する。”桓”の字は慶字体である”香”と代わり、”香武”である。旧朝廷の一族は京都の公家と切り離され、伊勢へ移された。神職として命脈を保っているという。
確かに信長は本能寺の変で死んだ。だがこちらの歴史とは異なり、嫡男の信忠は生き残った。外征を行ったが、失意のうちに頓死。そのあとの権力争いで、庶子の忠康が勝利した。大坂にて、新しい朝廷である”香武庁”を成立させる。
ちなみに徳川家康と同一人物と思われる松平家康は、忠康の義父だという。