空中分解 02
見知らぬ学科棟に足を踏み入れるのはやはり少し気が引けてしまう。
大きく分けてこの大学には四つの棟が存在して、全ての学科がそのどれかに内包している。有名大学のように、別キャンパスが無い分移動が楽と言えば楽だ。その内の一番端っこに存在する棟は就職課や図書室、資料室にあたるので、実際には三つの棟をここの学生は行き来する。
東から順に、ABC棟と名付けられ、何故か最後の棟だけはギリシャ文字のα棟と銘打っている。
「そういえば、なんでαなんだろうな」
白河は棟の入口の看板を眺めながら疑問を呈す。
「さぁ、講義室があるとかじゃないから、別の文字でナンバリングしたかったとか」
そもそも敷地的にこれ以上棟が増えることはないと思うが。ただ裏は山になっているので、開拓すれば新しい棟ができなくもない。
「ふぅん、いろはにほへと、とかでもよかったんじゃないか」
「そこは、施主のセンスだろ」
果たしてこの場合は施主というのか定かではないが、つまるところ学長のセンスといったところか。それに、いろはにほへと、は文字というよりか誦文、ただの歌だ。
「い棟、ろ棟なんて、言いにくそうだな。伊藤だったり、路頭だったりと間違えそうだ」
「間違えるシーンを知りたいよ」
もしも自分が棟の名前をナンバリングするならどうなるだろうか。純粋にナンバと言葉があるように数字で表せばいいのではないだろうか。
「ま、どこかの都会なんて、同じ大学なのにキャンパスは別に県にあったりするらしいから、そういう意味ではこの大学は楽だな」
「遠まわしに田舎と言ってる気がしなくもないけど」
「いや、いいことなんじゃないの? 聞く話によると先輩後輩で付き合ってるカップルが先輩がキャンパスが変わったことによって破局を迎えるってことがザラによくあるらしい」
「どこ情報だよ、それ」
「これぞまさしく都市違いってやつだな」
あまり面白くもないダジャレだ。
「ただ一か所に固まっている分、通学は大変だな。特に一限目の講義が入ってると、どの曜日もかなり混雑しているし」
「電車だとな。それに普通のサラリーマンとも時間が被ったりするし」
白河の顔が若干渋くなる。どうやらよくない思い出があるらしい。
「おっと、ここだな」
B棟の通路をそのまま素通りして、C棟へと移った後に階段を上った三階に目的地はあった。階段から左右に伸びる通路には、等間隔に扉が配置されており、扉には奇妙な看板や、立札が飾られている。
「サークル部屋ってやつか」
「そ、C棟って割と空いてるから、インドア系のサークル部屋になってるんだよな。人数は忘れたけど、一定数集まれば部屋を借りれるって規則だったと思う」
「初めて来たな」
「ま、普通の人間は来るようなとこじゃないからな」
「そうだな、サークルにも入ってないし」
「や、そういう意味ではなく。ここの階にあるサークルってのは名前と実態が一致してないんだよなぁ」
「あそこは将棋サークルっぽいけど」
扉の前に大きな王将の駒が置かれている。扉にかけられているウェルカムボードにも将棋部と記載されている。
「確かに将棋部だな。確か囲碁もやってたような」
その隣の扉は異様を放っている。数字のシールと爆弾のシールが散りばめられてある。
「えぇ、マインスイーパーサークル?」
「名前はな。実態はオンラインのサバイバルゲームサークルだ」
「まぁ、実態は置いといて、何故マインスイーパーなんだ」
「まーいろいろとあるんだ。実態は何にしたってまともな名前が欲しいんだ」
「言いたいことは分かった。マインスイーパーがまともかどうかは別として」
名前は実態と絡まなくてもいいのだ。ただし他のサークルと名前が被ることは許されない。
「名前が被ると部屋が貰えないからか」
「その通り。同じサークル名だと纏められちゃうからな。だから便宜上、新規サークルはここで命名会議を受けることになる」
命名会議をやった結果、マインスイーパーなのか。なんだか既にネタ切れに近づいていないだろうか。
「よくそれで人数が集まるな。新入生とか入らなそうだけど」
「まぁな、基本的には同期で固まって作るのが通例だな。ただ案内人って呼ばれる奴がいて、そいつが命名会議の議長だ」
「そいつが斡旋でもしてんのか?」
まるでハローワークだ。
「そう。んで、どうも春秋が探してるやつもここらへんに生息している」
「生息って」
ポケモンじゃないんだから。
「というか、知り合いだったのか?」
「知り合いってわけじゃないけど、ここら辺のサークルの奴らとよくつるんだりするからな」
「顔が広いようで」
「そんなことないぜ。猫の額ほどだな」
「それ使いどころ間違ってないか」
「ここだな」
白河が足を止めたのは、棟の一番端の部屋。ウェルカムボードは飛行機型にくり抜かれて、飛行機の上から観光名所研究会と書かれている。なんだか健全そうなサークル名だ。
「うぃーす」
白河はノックもせずに扉を開ける。まるでここが自分のサークルであるかのようだ。
「お、白河じゃん、おひさー」
机は全部で4台。部屋の中央に向き合ってそれぞれにパソコンが備わっている。その向こうの壁際にはもう随分と古そうなソファーが設置してあり、正面に木製の本棚が備わっている。
「って、おや新顔? どんなサークルを探してるのかな」
正面の彼女はどうやらサークル部員らしい。
「いや、別件で。春秋、ここが案内所ってわけ」
「ってことはこのサークルも偽名ってことか?」
「そんなことないぞー」
目の前の彼女は否定する。
「毎日、グーグルマップで旅行してるもん」
「そ、ここはグーグルマップで観光名所を回って、さも行った感覚に浸るサークルってわけ」
「間違ってないけど」
サークルの名前と実態は間違ってないが、それって意味あるのだろうか。
「簡単に言うと、アニメの一話と最終回だけ見て、全話見た気になるのと一緒かな」
「一緒じゃないだろ、それ」
「で、評論するの。あそこ面白くなかったとか、人少なかったとか」
「評論ってか、批評ばっかじゃないか」
「ま、評価するところは評価するんだけどね」
評価していったいそれが何に反映されるのだろうか。そもそも論を持ち出すと、さっきのサークルだって存在意義を感じないのだけれども。
「ただ白河君が言ったように、ここは案内所みたいなもの。新しいサークルを探すもよし、同じ興味を持ったサークルを探すもよしだよ。各サークルの名称が名称なだけに、迷所を明所にして名所に案内するというね」
確かに当人にとってはそこは名所なのかもしれない。
「で、君はどこに案内すればいいんだい?」
決まったとばかりに彼女はずいっと椅子をこちらに引き寄せる。
「ここだ」
「え」
その疑問符は果たして、僕か彼女か。
白河は今何といったのだろうか。確かに此処だといった。
「それは、つまり」
「そう、ここが白河の案内先だ」
だとしたら、もう答えは簡単だ。
「もしかして君は、椎名奈津江さん?」
「え、そだけど?」