空中分解 01
その日、空から死体が振った光景はあっという間にニュースで取り上げられた。
「そう、死体が降ってきた」
秋桜は端的にそう説明した。これ以上もないほどに、言葉を削った説明は如何にも彼女らしい。
「死体が降ってきたってことは、もう既に死んでいたってことになるな」
「そうね」
これもまた首肯。彼女の目線は既にモニターに向かっているので、こちらから表情を窺うことはできない。代わりに、彼女のモニターには事件に関するレポートが開かれていた。左上に被害者の写真に、経歴や事件当時の内容が書かれている。
「毎回思うけど、履歴書に似てるよな」
「言い得て妙ね」
それは褒められているのだろうか。
「で、どうするの?」
くるりと椅子が回転し、無表情の秋桜の目が問いかける。その眼は円らで、だけど何を考えているのかどうしても読み取れなかった。そこに彼女の意思は宿っていない。
「選択肢はあるんだな」
「えぇ、あんな事件があった後だし」
からりとした表情は少しだけ違和感があった。だけど僕もまた同じ顔をしているのだろう。山口蒔絵を失ったことは僕と秋桜の共通した痛みだと思っている。少なくとも僕は、だけど。
「いや、やるよ。気分転換って言ったら不謹慎だけど。でもやったほうがいいような気がする」
気分転換になればいいけど、実際のところそれは嘘だ。どうあっても、こういった事件にかかわるということは、きっと山口蒔絵の幻想を追い続けることになるだろう。だからといっていつまでも何もしないわけにはいかない。
「そう」
再び椅子はモニターへと向き直る。これでまた彼女の表情は見えなくなった。しばらくして、扉近くのプリンタから数枚の資料が印刷される。先ほど秋桜が見ていたものだ。
「じゃあ、行くよ」
秋桜からの返事はない。資料が全て印字されていることを確認してから、僕は部屋を出た。
平日と違って土日でも研究生の出入りがあるためか、カフェテリアの扉は開放されている。電気も何時までかは忘れたけれども、夕方までは自動でついている。
ただし、食堂は閉まっているし、校内のコンビニも閉まっている。だから決まって食事は校外に出る必要があるし、もしくは事前に買っておく。カフェテリアの近くの自販機で珈琲を買って空いた机に座る。
周囲には何名かの研究生が固まってコンビニを袋を広げて食事をしていた。それでも席はほとんど埋まってなく、お互いが離れているので、会話の内容も全く聞き取ることはできなかった。
ただこうして見ると、平日のあの喧噪は嘘のように閑散として、どこか自分が違う次元にいるような感覚を覚えてしまう。
「って、うちの生徒関係してんのか」
亡くなったのは、年齢五十を過ぎた男性だけど、この大学に娘がいるらしい。
「だからか」
秋桜が渋った理由が少しだけわかったような気がする。僕は資料をテーブルに置いて目を解す。別に疲れたわけじゃない。だけども、まるで何か幻想を見ているかのような感覚に陥ってしまう。
結局、僕たちは山口蒔絵の幻想を追っているのだろう。彼女は僕たちの中で必要なピースだった。そのピースを今でも探し続けている。もうどこにもないのに。
僕は資料に目を戻す。腹部に刺し傷があって、それが死因と判断されている。その後ベランダから落下。落下した原因はまだ判明していないらしい。部屋に争った形跡はない。またナイフは落下した死体近くに落ちていて、おそらく刺さったまま落下していることが推測されている。
つまり抜かなかったのか、それとも抜けなかったのか。そして、何故死体を落下させたのだろうか。
「おっす、珍しいな」
反対側の机にコンビニ袋が置かれる。こうやって自然に間合いに入れる感覚はやはり生まれつきのものだろうか。
「白河か」
「何だ、またお仕事か」
白河は以前一度だけ仕事を手伝ってもらった事がある。秋桜のことも知っているが、おそらく情報として知っているだけで、面会したことはないだろう。
「そう、仕事」
「ふぅん、まぁ、食っていくには仕事をしないといけないからな」
白河は僕の境遇について知っている数少ない友人だ。と、僕は思っているが白河側がどう思っているのかは謎のままだ。
どうにも家族が亡くなっているだの、不幸話は他人に気を遣わせるだけなんだけど、白河だけはそんな雰囲気を出してはいなかった。逆に、それがどうしたというような感覚を持っている。
なんでも、過去にそういった人を何人か見てきたらしい。確か白河自身の両親は健在だったはずだ。
「資料見てもいいか?」
「ま、白河だったらいいんじゃないか」
僕が見終わった一枚目を手元に引き寄せて眺め始める。僕も二枚目、三枚目と目を通し、白河へと渡していく。
「あぁ、これか。ニュースになってたな」
報道でもどういった状態だったかは説明されていたし、一枚目を見た時点で事件の概要はだいたい分かるはずだ。何より、まだ未解決事件だし、目下警察が捜査をしているらしい。
「素人意見だと、他殺ってことだろうけど」
「けど?」
「自殺ってのもなくはない感じだなぁ」
「当時、玄関の鍵はかかっていなかったらしい」
ということは誰かを招き入れた可能性がある。
「ただ他殺の場合は、なんでベランダから落としたんだろうか。致命傷だったんだろ、この刺し傷」
報告書にもそう記載されている。ベランダから落とすというひと手間がなぜ必要だったのだろうか。
「本当に死ぬかどうか分からなかったから、止めを刺したとか」
「それなら、文字通り刺せばよかったんじゃないだろうか。俺が犯人だったらそうするけどな」
「確かに、それに夕方に事件は起きているから、死体もすぐ発見されるだろうし」
その分、逃げる猶予がなくなるということだ。
「だとしたら、自分で刺して、自分で飛び降りたとか」
「なんのために?」
「他殺と見せかけて、保険金をもらうためとか」
なくはない話だ。資料には保険がかかっていたかどうかは記載されていないが、普通であれば加入しているだろう。
「ま、状況からいろいろと想像できるけど。今ある情報で事件を解決するのは無理だな」
白河は食べ終わったサンドウィッチの袋を畳んでゴミ袋にまとめてしまう。資料もまた僕の手元へと戻ってくる。
さてどうしたものかと僕は考える。一度事件現場を見に行ってもいいが、昨日の今日なので、おそらく警察がまだいるに違いないだろう。変に嗅ぎまわっても迷惑をかけるだけだし、かと言ってこれくらいの意見ならば警察内部でとっくに挙がっているだろう。
「そもそも疑問なんだけど、こういう事件の依頼って俺たちに解決できるもんなのかな」
「まぁ、ほとんどできないだろうな」
一介の学生が解決できるほど殺人事件は簡単ではないだろう。それに今では科学技術も進歩しているから、髪の毛一本でも落ちていれば犯人を引きあてる証拠になりかねない。
「だったら、数ある事件の中でお前に依頼した理由があるんじゃないか。お前というよりも、秋桜にかもしれないけど」
「そこは考えてなかった。でも、そうだとすると理由は一つしかないな」
秋桜はとっくに気づいていたんじゃないだろうか。だからこそ、多少の戸惑いはあったのかもしれない。
それは山口蒔絵と多少なりとも被って見えるのだろう。思い出すというよりも、連想してしまうといった感覚に近いかもしれない。
「白河、ちょっと頼みがある」