表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/6

愛に狂う年

 幽霊は人の肉体に入り込めるか。イエスかノーかと言えば、一応イエスである。

 ただしこれは、全ての人間に幽霊が自由に入り込めるという訳ではない。

 幽霊に肉体を支配される。所謂憑依という現象は、母体となる者の素質というべきものに依存する。

 つまるところ霊感がある。とは、それつまり幽霊と近しい。即ち、肉体を奪いとられる可能性は充分あるという事になる。

 だから……。


「髪も、肌も、目も……。私とはまるで違うけど……女であることが重要よね。気持ち悪いなら、染めて、焼いて、カラコン入れればいいし?」


 幽霊が視えたりすると、こんな感じに迫られる事は度々ある訳で、日常茶飯事……とまではいかないが、いわばナンパのようなものだ。ただし、基本女の子の幽霊が多く、ついていったら最後。命が危ないという酷いものだけど。


 濁り、欲望に支配された目で此方ににじり寄ってくる亜稀さんを、私はひきつった顔で眺めているより他なかった。


「文哉さん、納得するんですか?」

「させるわぁ。文哉だって分かってくれる筈よ」


 大した信頼だ。もはや笑うことも出来ず、私はもしそうなったら、を想像していた。


 まず、オカルトなんて追えないだろう。結婚なんて言ってたし。

 嫌だな。人をどうこう言うのはあまり好きではないけど、文哉(アレ)さんに抱き締められて、愛を囁かれて、キスやら好き放題。挙げ句名前すら呼んで貰えないだなんて。……鳥肌が立つ。


 そもそも、自分の意識があるかすら分からない。それは……死と同義ではないのか。

 

「……亜稀さん、そこまでするのは、何故です?」

「決まってるじゃない。文哉への……愛よ」


 悪びれもなく、亜稀さんはそう宣い、私の方へ手を伸ばし……。


 その腕は、私に触れるか触れないかの位置で、横から出てきた別の手に捕まれた。


「……え?」


 ポカンとした顔で、自身の捕まれた手を見る亜稀さん。私は特に驚きもせず、その光景を見守っていた。

 次に亜稀さんが視線を向けたのは、横槍を入れた狼藉者だった。だが……文句を言おうとしたのだろう。吊り上げかけた目は、相手を視界に入れた時、瞬く間に凍り付いた。


「〝愛の中には、つねにいくぶんかの狂気がある〟そういう意味じゃあ、貴女は最初からおかしかった。それでも、口は挟むまいとしていたんですよ? 僕だって馬に蹴られたくはありませんからね」


 淡々と、無表情のまま静かに語るのは、つい先程。ほんの僅かにその場を離れた、辰だった。

 亜稀さんは、ただ固まっている。そりゃあそうだ。

 珍しく相棒は、その身から怒気を滲ませていた。激昂するわけでもなく、ただ静かに、炎を燃やすように。

 虫か何かを見るような目で、辰は亜稀さんを見つめていた。


「僕は聞き、貴女は答えました。文哉さんを救えて満足。他にはなく、お互いに納得した……と」

「う、あ……えぅ……」

「家まで見届けたいとも。いいんですか? さっきまで自殺を考えていた人だったのに、ほっといて」


 亜稀さんは、逃げようとしているのだろう。だが逃げることは出来ないようだ。

 そりゃそうだ。辰も男の子。単純な力ならよっぽど強い女の子でもない限り負けはすまい。

 ついでに。彼女は二、三程誤算があった。

 一つ。憑依とは実はそうそう成功し得ないという事。肉体に魂を滑り込ませるとは、本人が相当ノリノリか、あるいは極端に弱っていなければ成功し得ない。

 二つ。彼の能力の範囲を見誤っていたこと。オカルトに干渉できる事を、亜稀さんは通訳のように見ていたのだろう。だが、本質は違う。話せるように働きかけられるならば、話せない状態にすることだって出来るという事。

 そして……三つ目。


「僕はね。貴女がただ文哉さんともう一度話したい。それだけだと言ったから、力を貸したよ。でも、貴女は自ら、願いを曲げた。……考えてみたら、魂が剥き出しだから、そうなったのか……いや、正直どうでもいいけど」


 彼の片手が、握り拳を作る。それは戸惑いもなく、亜稀さんの顔面に叩き込まれた。


「あ……ごぉ……」


 くぐもった声を上げて、座り込む亜稀さんを、辰は殴った手をフリフリと振り、彼は目を細める。


「〝欲は、人を前進させる大きな力になる。そのかわりに、人を呪縛(じゅばく)し、人を狂わすこともある〟貴女は……僕の大切な領域を侵しかけた。文哉さんについてだけ狂っていたなら、僕に殴り殺されはしなかったのにね」


 妖しく笑いながら、辰は手を振り上げる。

 直後、私達にしか聞こえない悲痛な悲鳴が、境内に響き渡った。

 彼女の誤算。その三つ目は……。少しばかり、嘘を重ねすぎたこと。

 口は災いの元。大切な人を絞首台から遠ざけんとしていた筈なのに。知らず知らずの間に、亜稀さんは己の首を絞めあげてしまっていたのだ。


 ※


「……何かこう、一気に疲れたわね」

「うん、凄い同感」


 帰り道。私と辰はほぼ同時に大きなため息をついていた。

 心労が大半だ。身内や友人ならばまだしも、他人の恋模様やら拗れ様を観測した挙げ句、何やら妙なとばっちりで攻撃までうけて。

 そりゃあ首を突っ込んだのは私達だけれども。けど、ここまでドッロドロな挙げ句、血生臭くてややこしい事案になろうとは思わなかったのだ。

 

「……愛って何かしら?」

「殺して、殺されての果てにあるなんて、漫画か小説だけの話さ。実際は……酷く曖昧な上に人それぞれなものだよ」


 ある人にはあり、ない人にはない。そんなものさと、彼は相変わらず使用した片手をプラプラさせながら苦笑いした。


「……痛む?」

「……カッコ悪いけどいいかな?」

「どうぞ」

「すんごい痛い。泣きそう」


 そりゃあ五本指全部が打撲……所謂突き指になっていたら痛いだろうよ。


「ハリボテな脅しで逃げてくれて助かったよ。あのまま居座られたら……まぁ、彼女位の霊なら何とか成仏させられただろうけど……この程度じゃすまなかっただろうなぁ」


 本人いわく、霊の成仏は文字通り骨が折れるほど大変なんだとか。だからこそ、あれだけ凄んだ上に、殴り殺すなんて物騒な単語まで吐いてのけた。結果……亜稀さんはわざと拘束を緩めた彼の手からのがれ、一目散に逃げ出した。おそらくもう、私達には関わらない事だろう。まぁ、仮に関わってきたとしても、どうこうなりそうもないけれど。


「でも、珍しいわね。辰は争い事嫌いだし。殴るなんて実力行使に出るとは思わなかったわ」

「……そりゃあ、僕だって相手は選ぶさ。今回はまぁ……しっかり釘を刺すべきだと思ったんだよ。それくらい……怒ってたし」

「……へぇ?」


 怒るのね貴方。何て感想を述べれば、何故かため息で返された。気のせいだろうか。無防備だの、危機感ないだの。自分の事には無頓着なんだから……なんて、聞き捨てならない台詞まで飛んできた。……心外だ。

 私が何よ。といった視線を向ければ、辰はやれやれ。と、頭を振る。


「いや、怒るでしょ。君が狙われた。何て最たる例だし、何よりも酷い言われようだったし」

「酷い言われよう?」


 私が首を傾げれば、彼はぶっきらぼうに自分の目を指差して。


「君の目とか。髪とか。肌。何を貶してくれてるのさって……ね」


 こんなに綺麗なのにさ。

 そう言って、辰は再び先へと進む。私はというと、暫し立ち止まり唖然としていた。硬直していたと言ってもいいだろう。それくらいには驚いたというか……。こんな口説き文句めいたストレートな褒め言葉に、私の身体は謀らずも大歓喜していた。と、言ってもそれは一瞬で、私はすぐにいつもの自分を取り繕い、彼の隣に並び立つ。

 何故かと言われたら、そこは相棒だから。で説明がつく。仮にもこんな関係になって一年。わりと空気を吐くかのようにこの男はスレスレな事を言ってのけるのだ。作為的なのか無意識なのか分からない辺り、非常にタチが悪い。だから私だって騙されてやらないし、舞い上がる様子なんて見せてやらないのだ。

 髪、肌、名前。そして……目がコンプレックス〝だった〟そう、過去形。今は違う。こうしてただ一人。肯定して欲しい人に好意を与えて貰えるだけで、私には充分だから。故に、そんな辰にこそ、聞きたいことがあった。


「……ねぇ、辰、もし私が死んじゃったら、貴方ならどうする?」


 意地悪な質問だなぁ何て、我ながら思うけど、やっぱり気になる。すると我が相棒は、少しだけ目をしばたかせてから、いつもよりは力なく笑って、「ごめん、全然想像つかないや」とだけ答えた。


「まずね。君が死ぬなんて未来を、僕は受け入れたくないんだろうさ。例えifの話だとしても、考えるだけで胃に鉛を詰められたような気分になる。だから……どうなるかなんてわからないよ」


 そう言って、辰は目を伏せる。成る程、それは、少なからず私が貴方の心を占める割合があるのだ。そういう解釈で構わないだろうか?

 そんな事を思ったら、私はほんの少しだけ、亜稀さんが言っていた言葉が頭に思い浮かんだ。……いけないな。これはきっと、いけない。この感情に飲まれるのは、宜しくないだろう。

 会話が途切れ、私達はただ、帰り道を歩む。何も言わない私に、思うことがあったのだろうか。

「そういう君はどうなのさ?」なんて問いが投げ掛けられた。

 私はそれに少しだけ考える素振りを見せる。答えなんてきまってるけど、それを即答したら、流石の辰も後ずさりしてしまいそうだし。

 だから私はじっくりと間を取ってから包み隠さぬ本心を述べる。


「そうね。例えば貴方が死んでしまったり、何らかの形で私と引き離されるような事になったなら……」


 きっと、私は――。


 ※


 以上が新年早々、私達渡リ烏倶楽部が遭遇した、小さな一騒動だった。

 蓋を開けてみれば、少し拗れたカップルの愛憎が絡み合った悲劇であり、それらを回避したとしても、別の悲劇が既に完了していたという。何とも嫌な幕切れだったけれども、現実なんてきっとそんな感じの物語に溢れている。

 彼らがいかにして愛し合い。

 いかにして一方がもう片方を害するなんて破局を迎えたのかも。

 その後霊と殺人者な関係となり、いかなる日々を送ろうとしたのかさえ、私達は窺い知ることはなかった。

 あれ以来、ヴィジョンが二人を映すことなんて、一切なかったのだから。 

 ただ、結論だけ述べるならば、文哉さんは後日、近所の人の通報で、逮捕される事となった。

 ニュースでは殺人と死体遺棄。そんな罪状が述べられていた。

 まぁ、ここまでは、普通の人から見たらありふれた事件だ。けど、私達の……ほんの少しだけ関わった側からの視点では、そうは問屋が卸さない。

 状況を聞いた時、私はパズルに最後のピースが揃うのを感じた。

 おかしいとは思ったのだ。文哉さんに殺されたのはわかる。だが、どうしてあんな肥大し、腐乱した肉の怪物となって出て来てしまったのか。

 答えは、私自身が既に出していたのだ。


 文哉さんが雑木林に入る直前。私はふと、文哉さんが漂わせていた臭いに、こう推測した。何日もお風呂に入っていないのだろう。……と。だが、正解は似ているようで違う。彼は、入らなかったのではなく、入れなかったのだ。

 ニュースいわく、住民はあまりの異臭に通報したとのこと。現場にやってきた警察は、さぞ震え上がったことだろう。

 文哉さんの部屋のお風呂には、膨張し、もはや見る影もない程に醜く爛れた、亜稀さんの死体が安置されていたのだから。


 取り調べや、動機については、難航しているらしい。

 文哉さんは言動が支離滅裂な上、頻繁に誰もいないところへ、愛しげに話し掛けるのだそうだ。


「大丈夫、どこまでも一緒だ」

「留置所なんて問題ないよな」

「亜稀、亜稀……愛している」

「ああ、そうだ。身体なんて関係ない」


 それらがあまりにも〝らしい〟ので、近々彼には精神鑑定が実施されるのだそうだが……果たしてそれだけで測れるのか、甚だ疑問である。というのが、私達二人の見解だ。


 因みに私は、二人の奇妙な絆には共感できない。が、否定しきれず、笑い。嘲り。蔑めない確かな理由があった。

 それは……私も多分、〝同じ〟だから。


「私ならきっと、狂ってしまうわ……か」


 いつかの夜に口にした言葉を、私は静かに反芻する。

 なんの変鉄もない、休日の昼下がり。

 私の部屋にて、いつの間にか始まった昼寝(シエスタ)。そこから目覚めたら、辰の腕の中にいました。なんて状況に浸りつつ、私はただひたすら、目の前の相棒の寝顔を見つめていた。記憶の限りでは、互いに背中合わせで寝た……と、思うんだけどな。何て思いながら。


「……ああ、そっか」


 そこで、私があんな言葉を発してしまった意味を理解した。私はただ、彼に気づいて欲しかったのかもしれない。

 貴方がいないと狂ってしまう。それは、裏を返せば貴方を愛してると言っているのも同義なのだ……と。


「……ちょっとだけ」


 お洋服の胸元にあるボタンを、二つばかり外してから、私は再び、辰の胸に顔を埋めた。行動には、意味がある。起きた彼が、少しは狂ってくれないかな。なんて、淡い期待と。私自身の心に芽生えた、恐怖を拭うために。


 想像すれば想像するほどに、私は思うのだ。〝もしも〟があれば、私もきっと、狂うのを躊躇わない。私じゃない私になってしまいそうで。


 愛は確かに人を狂わせるのだろう。けど……忘れてはいけない。〝狂気の中には常にまた、いくぶんかの理性がある〟ことを。


 その事実が、ただ恐ろしかった。


 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ