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涙が往く年

 今更ながらだが、メリーとは私の本名ではない。

 といっても、渾名ですか? と聞かれたら、それともまた違うと答えざるを得ない。

 渾名とは友達や学友につけてもらうものなので、友とつくものが当時居なかった私には、自分で言っていて悲しくなるが該当しないだろう。

 また、名前を縮めたり、捩ったものでもないということを付け加えておく。


 じゃあ何でメリーなのさ。という話になるが、これはあくまでも自ら名乗るものであり、小さな頃に始めたちょっとした呪いである。というのが正しい答えだ。

 因みに本当の名前は長ったらしくて舌を噛むか、面妖さに吹き出してしまうようなギャグ一歩手前なものなので、ここは私の米糠(こめぬか)レベルのちっぽけな名誉の為に、閉口させて頂こう。


 私が自身の特異体質を自覚したのは、小学生に上がる前だったと思う。

 他人に見えないものが見える私は、その容姿も相まって、同年代は勿論、時には大人からにすら排斥されていた。

 他者と決定的に違うものは溢れてしまう。人の幼少期とはそんな傾向が特に顕著で残酷だ。

 達観なんてものを出来なかった当時の私は、随分と自分の容姿と、明らかに周りと違う長ったらしい名前を呪ったものだ。


 亜麻色の髪なんて欲しくなかった。

 風が優しく包むことなんてなく、ましてや私の胸を高鳴らせる〝彼〟なんて、当時は近くにいなかったから。


 他の女の子より明らかに白い肌が悲しかった。

 私だけ人間味がないなんて酷い偏見まじりの悪口を言われたりするものだから、いっそのこと本当にお人形さんになれたなら。何てたまに思っていた。


 名前とか、何コレ? と常々思っていた。

 そもそも、お世話になっている家の人達は純和風。メイドインジャパンを地で往く家なのに、何で私だけ洋風の名前にとってつけたような日本姓が入るのか。それに対して、お世話になっているお姉さんは悟りきった顔でこう言った。


「それはね。蒸発したあんたの両親が、ハーフとハーフだったからよ」


 ハーフ&ハーフね。と、笑われた。曲なりにも乙女をピザみたいに言うのは止めて欲しかった。

 つまるところ、私がメリーを名乗るようになったのは、そんな容姿で産んだ挙げ句、二人揃って蒸発してしまった両親へのなけなしの呪いという訳だ。

 捨てられた人形のメリーさん。酷い名前だ。だからそれを名乗る事で呪いになるだろうか。あるいは、都市伝説になぞらえて、どんなに逃げても捕まえられるように。捕まえて……どうしたいかは私には想像もつかないが。


 だから私はメリーさんを騙る。……実は自分でもこの呼び名が気に入ったというのも少しはあるけれど、それは内緒の話。

 オカルトを追う私が、都市伝説になりきる。何だかわからないけど、小さな私にはそれが素敵な事に思えて……今に至る訳だ。


 ああ、そういえばもう一つ。髪、肌、名前以外にもコンプレックス〝だった〟ものがある。それは……。



「メリー? 大丈夫かい?」

「……ん、うん」


 回想はそこまでだった。じっとお賽銭箱の前に張り込み続けて、疲れてしまったのもあるだろう。少しばかりボーッとしていたらしい。

 いけない、いけない。集中すると決めたばかりだったというのに。

 慌てて頭を振り、気遣わしげに此方を見てくる辰に「大丈夫。なんでもない」と返して、私は再び、人混みの中から目的の人物を探す。

 現状、文哉さんの姿を知るのは、私と亜稀さんのみ。見つけたら即監察、尾行という話になっているが、待つこと二十分弱。全く現れない。


「考えてみたら、初詣って何も元旦にやらなくてもいいわけだよね」

「……ちょっと。怖いこと言わないで」


 その理屈だと、今日ではなく明日。明日は止めて明後日。も、充分あり得てしまう。所轄の刑事でもあるまいし、流石に何日も神社に張り込みは御免被りたい。


「でも、ザイルを出したんでしょう? ならもう向かってきてるのは確定じゃない?」

「まぁ、夏休みの宿題でもあるまいし、広げるだけ広げて明日やろう。とかはない……とは思うけど」


 時刻は既に一時を過ぎ、人の姿も疎らになってきた。流石に心配になり、チラリと亜稀さんを見る。亜稀さん自身も何処と無く戸惑っている感じだった。


「……文哉。来て欲しいけど来て欲しくない。どうしよう……」


 途方にくれたようにそう呟く亜稀さん。

 時間だけが虚しく流れていく。

 どうするべきか。亜稀さんの案内で、文哉さんの部屋に行く?

 いや、もしもそれで入れ違いになったらアウトだ。

 携帯の番号を聞き、そこにかけてみる? 

 ダメだ。出来るならば私も辰も、それは避けたい。自殺するかもしれない人間だ。止められるかだって、言ってしまえば確実ではない。冷たい考えだけど、そこに接点を持つのは、疚しいことがなくてもしたくはなかった。

 ならば残るは……。


「亜稀さん。文哉さんのお部屋は、ここからどれくらいなんですか?」

「え? えっと、歩いて十分くらいよ」

「成る程。なら、幽霊たる貴女なら、もっと早く着く。そうですね?」

「あ、うん。そうだけど」


 私が言う意味がわからないのか、亜稀さんは目を白黒させている。

 つまり、私の考えはこうだ。

 こちらの方は私と辰が見張り、亜稀さんはその間に部屋にて文哉さんの所在を確認。いないならばこちらに向かっている。いるならば……。様子を観察して、動くのを待つ。暫く動きそうもないなら、私達を呼びにくる。

 そんな説明を私がすれば、亜稀さんは成る程……。と、頷き、フワリとその場で浮き上がった。


「すぐに、確認してくるから。待っててね」

「流石に一晩中放置されたら帰りますけど、了解しました」

「僕らがいなかったら、逆に文哉さんが来たものだと思ってください」


 頷く私を見るや、亜稀さんは一目散に空を翔た。あの様子ならば、所在を確認するのに五分と掛からないだろう。

 その姿が完全に見えなくなったのを確認してから、私はそっと辰の方を見た。


「どう、思う?」

「……グレー。かな」


 そうよね。と、私が頷きながら参拝客に視線を戻すと、彼は「まぁ、ちゃんと信じたいって気持ちの方が強いけどね」と呟いた。


「嘘なんか言ってない。偽りなんてない。この言葉を信じるか否かは、少し時間が足りなすぎる。けど、多くの場合、こう言った言葉を使う場合、相手の目を見て話し、顔色を伺い、反応する……。つまり、視線に多少なりのブレがある筈なんだ。嘘ホントに拘わらずね」

「……亜稀さんは、真っ直ぐ。目線を逸らさなかったわ」


 私がそう付け加えれば、辰はそうだね。と、頷いて。そのまま話は続く。


「この嘘か真かの傾向に関する一例は、ここからが面白くてね。嘘をついている場合、男性は、ブレが大きくなる。逆に女性は、全くブレなくなる。という報告が多いんだ」

「それだけ聞くと、男性の方が隠し事が下手っぴに聞こえるわね」

「勿論、あくまでも事例。心理的にそう言われても、多くの人がそうである訳がない。腹芸に秀でた男性だってたくさんいる。ただ単に純粋で、話すときは真摯な気持ちから相手の目を見続ける女性もいるだろう。結局、参考程度でしかない訳だけど……」


 それでも、亜稀さんが言っている事は、少しばかり不自然で、だからこそ、この事例も絡めて、グレーなんだ。

 そう辰は呟いた。


「多分、何か僕らに語っていない事がある筈なんだけど……」

「あるいは、語りの中に偽りがあったか?」

「そう。ではそれは何か。コレに関しては、彼女が話した内容の不自然な点から推察……」

「待って。凄い聞きたいけど、それは後にしましょう。……最重要事項が、やって来たわ」


 推理やら推測してるときの真剣な目とかが結構好きだったりする。本人は妄想を膨らませているだけだと言うけれど。

 だが、そんなずっと見ていたい衝動を圧し殺し、私はそっと、人混みの中の一点を指差した。


 待ちかねていた男がそこにいた。

 革のコートを羽織り、髪はボサボサ。髭も伸びきっている。加えて、手には大きめのスポーツバッグ。あの中に、ザイルや小型の脚立が入っているのだろうか。夢に出てきた、自殺者、文哉さんがそこにいた。


「間が悪いことに、入れ違いか」

「みたいね。あ、普通に参拝はするんだ」


 私達は極力目立たぬよう、雑木林の暗がりから文哉さんを観察する。

 疲れきった風貌だった。卒業間近というので、恐らくは大学四年か、院生……少なくとも二十代前半の筈だが、活力というべきものが感じられない。虚ろな目で手を合わせる様は、懺悔に来た囚人か、何らかの宗教の狂信者に近かった。


「……どうする?」

「……このまま帰るならよし。雑木林に入るようなら、尾行しようか。決定的な現場を見つけて、止める」

「自殺しようって考えている人が、他人の声に耳なんて貸すかしら?」

「そこはまぁ、やれるだけやってみよう。亜稀さんが間に合うまで、時間を稼げばいい。その後にどうなるかは……二人次第だよ」

「……一応、検証はどう結論付ければいいかしら?」

「僕の相棒は、とうとう未来視までやってのけた。ただ、未来とは……いや、よそう。文哉さんの自殺を止められてから結論は出すべきだ」


 辰はシニカルな表情で肩を竦め、そっと私の手を軽く握った。何処と無く憂いを帯びた表情が少しだけ気になって。私は思わず「ねぇ……」と、声をかけた。


「……恋人が死んで、自殺するのってどう思う?」

「愛が深いか否かってこと? 多くの人が、死んだ彼女の分まで生きろ。って言うんだろうけど、僕はその言葉だけは言えないなぁ」


 愛した人を失った事もない癖に、そんな無責任な言い分は口に出来ないさ。そう呟いて。


「愛は深いんだろうさ。間違いなく狂おしいほどに。だからこそ……何も言えないんじゃないかな」

「じゃあ、どうやって止める気?」

「それは、ほら……色々と」

「……ノープランなのね」

「そこまで酷くはないさ。言っただろう? 時間稼ぐって。やり方はいくらでもあるさ」


 そう言って辰は力なく笑う。

 視線の先で、文哉さんが動いた。ふらふらと雑木林の方……此方へ歩いてくる。私達のすぐ横を通り抜け、暗闇の先へ。

 ツンと、鼻を突く酷い臭いがして、思わず辰の方へ顔を寄せる。あの人、何日もお風呂に入っていないのだろう。


「平気? メリー?」

「……ちょっとキツイわ。貴方ので上書きさせて」

「いや、僕そんないい匂いしないだろうに」


 そんな事はないわ。とは言うまい。彼は無臭。けど、しっかり服は清潔に着るから、普通にいい匂いがするのだ。……多少相棒補正も入っているかもしれない。けど、そうでなかったら、こうして近づいたり、年越しの時みたいに膝の上で微睡んだりもしないだろう。


「辰は、平気なの? あんな異臭」

「そりゃあ、顔しかめちゃうくらい酷い臭いだったけどさ。まぁ、僕はあまり。相棒がいい匂いするからね」

「……貴方、きっと前世はイタリア人に違いないわ」

「酷いなぁ、本心なのに」


 雑木林が暗くてよかった。きっと今は、顔が紅いだろうから。


「お喋りはここまでよ。追いましょう」

「合点」


 音を立てぬよう、注意深く動く。聞き耳を立て、僅かな月明かりを頼りに、私達は文哉さんを追う。そして――。


「……いた」


 彼が声を潜めつつ、前方を指差す。

 開けた場所に、カチャカチャと硬質な金属音がする。見ると、文哉さんが今まさに脚立を組み立てて終えて、今度はそれに登り、ザイルを木の枝に巻き付ける所だった。


「……行こう。もう何をしようとしているかなんて明白だ」


 それに頷きながら、私はほんの少しだけ感覚を研ぎ澄ます。亜稀さんの気配は、まだない。だが、ここはそれほど奥地ではない。見つけようとすれば、すぐ見つかるだろう。


 パキリ。と、辰がわざと地面にある小枝を踏み折った。

 静かな空間にて、それは嫌に大きく響いて。その瞬間、文哉さんは弾かれたかのように此方へ顔を向けた。


「……誰だ」


 怯えたような。それでいて、底冷えのする、低い嗄れ声。

 それに応えるようにして、私と辰は文哉さんの近くに歩み寄った。距離にして十メートルあるかないか。そんな絶妙な位置だ。

 文哉さんの目が、せわしなく動く。

 ギョロリとした目が、私を爪先から頭の上まで無遠慮に眺め、同様に辰の方も。最後は繋がれた私達の手に。

 表情はよく見えない。だが、暗がりの中で、唸るような声が確かに聞こえた気がした。


「……何だ。あんたらは?」


 質問が変わる。誰だ? から、何だ? に。それは、私達に身に覚えがないからだろう。

 それに対して、辰はのんびりとした口調でこう返した。


「今晩は。僕らは、そうですね。通りすがりの霊能者コンビです」


 空気が固まるのを感じた。

 案の定、文哉さんは最初の危うげな空気はなりを潜め、今やポカンとしていた。

 成る程、確かに。確かに時間稼ぎにはなりそうだ。けど……相棒よ。それはちょっと胡散臭すぎやしないだろうか?


 夜風が肌を撫でる中で、生者三人が集う。

 もはや話がどう転んでもおかしくないそんな中、辰は更なる爆弾を落としていく。


「実は僕らは……亜稀さんから依頼を受けてここに来たんですよ。貴方を……死なせないでくれって」


 文哉さんの、ザイルを弄る手は、ピタリと止まっていた。効果は語るまでもない。ただ、底面過ぎるのも困り者だった。


「ああ……あ、あっ……あんたら、な、何を……いや、亜稀? そんな……いや……あり得ないっ……!」


 文哉さんは、目に見えて震えだした。顔面は暗い中でもわかるくらい蒼白に。額には、脂汗まで滲んでいた。

 尋常ではない怯えように、私は勿論、辰もまた、眉を潜める。

 何というか、恋人が死んで気落ちした割には……ずいぶんと。


「見えるのか?」


 文哉さんは、歯をカチカチ鳴らしながら私達に問う。見える?


「何を……」

「霊能者なら、見えるんだろう? あの……怪物は、やっぱり亜稀なのか!?」

「怪物? 何を……」

「嫌だ! もう嫌だ! 嫌なんだ! 俺が……俺が……! 畜生! 俺が死ねばよかったんだ! そうしたら……ああ……!」


 涙ながらに、文哉さんは宙へ手を伸ばす。枝に引っ掛かるザイルに指が引っ掛かる。不味い、何だかわからないが、亜稀さんの名前は禁句だったらしい。これでは……。


「見えてる? 何が見えるんです?」

「化け物だ! きっとアイツは、俺を……ひぃ!?」


 彼の質問に、文哉さんは、答えきる事が出来なかった。身体を縮こまらせ、カッと目を見開き。私達のすぐ後ろに、目が釘付けになっている。


「あ……ひ……。き、た……」


 か細い、声にならない悲鳴が響く。

 その時だ。私は背筋を伝い上るような、ザワザワとした寒気を感じた。少しずつ。指先から凍りつかせていくような威圧感。それは、私達のすぐ後ろに突然現れた。


「フ、ミ……ヤ……」


 消え入るような、弱々しい声だった。

 やがて、ズルッ、ズルズルッ! と、何かを引きずるような音が聞こえてきて。同時に、噎せ返るような腐臭が漂ってくる。


「ヨカッタ……マニ、アッテ……」


 すぐ横、斜め下を大きな何が通りすぎた。荒い息遣いを繰り返しながら、それはのそのそと、文哉さんの方へと這っていく。


「シナナイデ……フミヤ」


 それはなるほど、端からみたら確かに怪物だった。


「コンナトコデ、シナナイデ……」


 人間だったのは間違いない。だが、その身体はあまりにも醜く肥大していた。巨大な芋虫。いや、昔図鑑で見た、女王蟻。それを連想させるような……肉の怪物。人相など分かる筈もない。けど……。


「ワタシヲ……ワスレナイデ……!」


 懇願するような涙声。

 それを聞いた時に気づいてしまったのだ。

 コポコポとした湿り気はあれど、その声は確かに亜稀さんのものだった。

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