対話で繰る年
「見えてます。よかったら、お話お聞きしますよ」
人込みから微妙に離れているとはいえ、さすがに何もない雑木林の入口で幽霊と立ち話をする訳にもいかず。
私達は幽霊の傍を通りすぎる瞬間にそう語りかけて、雑木林の奥へと進んでいった。
それなりに暗い雑木林は、夜目が効く私達でも、進むのは困難だ。だが、こんなこともあろうかと、持っているものがちゃんとある。
「持っててよかったペンライト」
そう呟く辰に心底同意しながら、私達は手持ちのペンライトに明かりを灯す。アクアマリンとラベンダーの細い筒から放たれる光は、小さいながらも強い。
霊感持ちが二人揃えば、予期せぬトラブルに巻き込まれることもある。そんな時の為に常備しているこれは、七つ道具とまではいかなくとも便利なツールの一つだ。
あまり奥に入りすぎない場所。かつ、それなりに月明かりがハッキリしている開けた場所を発見し、私と辰は並んでそこに立つ。
時間にして数秒。軈て音もなく私達の目の前に、女幽霊が滑り込んだ。
「……あなた達は? 私が、見えるの?」
幽霊なのにおっかなびっくりな様子で、その女性は私と辰を交互に見る。極力刺激しないよう、「そうですね。一応」と、辰が答える横で私も頷けば女幽霊は「そっか……」と、寂しげに溜め息をついた。
「どうして、私なんかに話しかけてくれたの?」
「……う~ん、話せばそれなりに長くなるんですけどね」
「貴女の生前での知り合いに、自殺をした。あるいはしそうな方とか……いたりしますか?」
ちょ、メリー! と、すぐ横で慌てるような声がしたが、気にしない。前者なら無神経さを謝るが、後者ならばあまり時間がないかもしれない。そういう意味では無駄を省くべきだ。そんな私の思考を察したのか、辰はやれやれ。というように肩を竦めた。
「君は容赦ないというか……大胆すぎるよ」
「貴方がヘタ……慎重すぎるのよ」
「……今君、ヘタレって言おうとしなかったかい?」
「嫌ね。気のせいに決まってるわ」
あくまで相棒としてだが、付き合いはそれなりに長い。サークル活動の折りに泊まりがけで旅行したり。よく部屋で手料理を振る舞い。誕生日やクリスマスにはプレゼント贈り合ったりもした。けど一向に多少のアプローチも押し倒しもしてくれないのがこの男だ。ヘタレと言って何が悪い。
私がそんなに気持ちやらを表に出さないとか。今の相棒な関係もそんなに悪くないと感じているのも原因だけれども。ともかく。
「こちらの事情を今から一方的に話させて頂きます。もしも傷つけてしまったら……申し訳ないですけど」
そう言って、私は自分が視たヴィジョンや、私のもつ体質についてを話す。生きた人間には教えるのを躊躇してしまう私の背景も、オカルト相手ならば問題ない。
最初は怪訝そうな顔だった女幽霊も、私が男の名前や風貌を話し。最後に私の視た彼女が発した言葉を伝えると、みるみるうちに顔面蒼白になっていく。幽霊なのに。
「……ああ、そんな。でも……でも……!」
惑い、目を泳がせ、最後に祈るように手を胸の前で組んだ女幽霊は、静かに息を吐き。
「きっと……きっと私の願いが通じたのね。貴女が視たっていう、おかしな夢。私が恐れていた事と、全く一緒だもの……」
何処と無く気味の悪さというか、畏怖を含んだ視線が、女幽霊から私に向けられる。
それが昔あった些細な出来事を思い起こさせ、少しの諦感に似たものを抱きかけた時。辰はさりげなく女幽霊の視線を遮るようにして「詳しく聞かせてもらっていいですか?」と、問い掛けた。
女幽霊は静かに頷き、小さく、涙声でこう呟いた。
「彼を……文哉を助けて欲しいんです」
※
女幽霊。佐々木亜稀さんは、婚約していた彼がいた。
赤羽文哉。大学の登山部にて先輩後輩として知りあったのを切欠に、交際に発展。
順調に愛を深めていた二人は、文哉さんの就職が決まると共に、双方の両親公認の元、互いの卒業後に結婚の約束までした仲だったという。
ありふれた、恋物語。だが、破局はある日突然に訪れた。
ほんの些細な喧嘩だった。今にして思えば、積み重ねた年月や喧嘩のパターンを省みるに、少しのクールダウンで仲直り出来るものだったという。が、そのクールダウンが問題だった。
部屋を飛び出した亜稀さんは、事故により帰らぬ人となり。最愛の彼女を失った文哉さんは……狂ってしまった。
自分のせいで。と、自身を責め続けた彼は、彼女が死んでから何週間も部屋に引きこもってしまったという。
一方、幸せの絶頂から奈落に叩き落とされた亜稀さんはというと、未練の強さからこの世にとどまっていた。
何度も文哉さんに話しかけようとしたものの、声は届かず。時間だけが虚しく過ぎていく中で、ある日文哉さんはこう呟いたという。
「……ああ、死のう。そうだ。約束したあの場所の傍で……懺悔と祈りと共に死のう」
そう言って、文哉さんは丈夫な登山用のザイルを取り出したのだ……。
「つまり、貴女が死んでしまったのを苦にして、文哉さんは自殺を決意。思い出の場所が……この神社と?」
「はい。ここで丁度去年に初詣の帰りでプロポーズされたんです。でも……まさかこんなことになるなんて……」
「ここには、どうして一足先に?」
「もう、どうにもならなくて……。きっと私が傍で叫んでも、あの人は、め、目の前で死んでしまうんだわ! だから……。だから、もう、ここで、誰かに助けを求めるしかなかった! もしかしたら、私が見える人がいるかもって」
顔を手で覆い、項垂れる亜稀さん。それを辰はじっと見つめながら、質問を続ける。
「彼は、今は? ここに向かってるんですか?」
「はい。きっと」
「彼が豹変した事を、知っている人は?」
「いない、です。ずっと借りてるマンションの部屋にこもりきりで……」
「……彼以外に、貴女は何人くらいに話しかけましたか?」
「この神社で、ひたすら。数えきれないくらいに。誰にも届かなくて……」
成る程。と、辰は目を細める。私は、何も言えなかった。時折亜稀さんが、何処と無くビクビクしながら、せわしなくこっちを見るからだ。
チラリと、辰と目を合わせる。考えていることは、同じらしかった。
きゅ。と、辰の手を握りつつ。私は頷く。この件については、私達の方から踏み込んだ方がよさそうだ。
「彼は、文哉さんは、貴女が説得すれば、自殺を止めてくれますか?」
「……きっと。話せるなら。でも……」
「勿論、僕もメリーも協力します。貴女の願いがメリーに伝わったから、僕らはここに来た。貴女が望むなら……力になれます。文哉さんと貴女が話す架け橋に、僕らはなれる」
亜稀さんは、ただ呆然と、辰を見つめていた。よくもまぁ、こんな台詞が出てくるなぁ。何て思いつつ、私は彼の横顔を一瞥してから、再び亜稀さんに視線を戻す。
その目には、すがるような光が宿っていた。
「……本当に? 文哉と、私が、お話しできるの?」
「出来ます。貴女が僕らに語った事に、偽りがないならば、文哉さんも貴女と話したいはず。彼は……そんな力があるから」
辰の言葉を代弁し、私が亜稀さんにそう話せば、亜稀さんはゴクリと、唾を飲むように喉を動かした。幽霊なのに。という突っ込みは、今はしなくてもいいだろう。出来る幽霊は出来るのだきっと。
「話した事に……偽りはありません。私は文哉を助けたいんです! お願い……辰君、メリーさん。助けて……欲しい」
目線を逸らさず。真っ直ぐと私の瞳を見つめたまま、亜稀さんはそう言った。それを聞いた辰は、よし。と、手を叩いた。
「わかりました。じゃあ、とにかく、急いで神社に戻りましょう!」
「懺悔と祈り。って言ってたなら、多分参拝はするだろうしね。思い出の場所……なんですよね?」
私の手を引き、辰は亜稀さんを先導する。「え? どうして戻るの?」と、首を傾げる亜稀さんに私は手招きしつつそう告げて。
私達は雑木林を急いで引き返した。
ペンライトが照らす光の中で、辰は私の小指の関節を軽く引っ掻いた。
ちょっとした、ハンドサイン。当然ながら、亜稀さんは気づいていない。
そっと、辰の人差し指をなぞれば、もう言葉は要らなかった。
今は文哉さんが現れるのを待ち、その悲劇を止めるのに集中しよう。