縛り首で逝く年
ああまたか。
その光景を感じた時、私は誰かに問われたからという訳でもなく、静かに独白した。
私メリーさん。今、森の中にいるの。
勿論、本当に私の身体が立っている訳ではない。何故なら、これが夢だと、私はわかっているからだ。
何を言っているの? と呆れられたら、もう慣れてしまったから分かるのだ。としか返答のしようがない。
そこへ更に奇特な事実を並べるならば……。私は、幽霊が見えて。この夢は、そんな私の体質に起因する。
バカな話だと、笑いたければ笑ってほしい。けど、昔からそうだった。
道行く先にそれらは普通にいる。ただ誰も気がつかないだけ。
なんの変鉄もないコンビニの傍。
歩道橋の階段に。
スーパーの野菜売り場とか。
ひょっとしたら、誰かのすぐ後ろに。
最近見たので衝撃的だったのは、ショッピングモールのランジェリーショップにて、中年のおじさんの霊を見た時だ。
売り場の棚に全力で頭を突っ込んで、息を荒げる光景は結構な執念を感じた。あまり物事に動じないと自負する私でも、数秒くらい戦慄して、固まってしまった程だ。……そこに用事がなくて本当に良かったと思う。私は一身上の都合から、下着は殆ど通販を利用するのである。
……話がそれた。ともかく、私は特異体質を持ち合わせている。
幽霊が見える上に、それにまつわるありとあらゆる場面や情景を知覚したり。果てはそういった存在と視界を共有してしまう現象。感覚により受信し、もたらされた所謂……幻視と言えるそれは、私が物心ついた時から頻繁に発現していた。
夢……それも、白昼夢の類いに近いもの。問題は、それが全て例外なく、現実に。この世のどこかで起きているという点。これに尽きた。
「……郊外よね。どこかの、雑木林かしら?」
それなりに夜目は効く方と自負してはいるけど、そんなの関係なくなるくらいに辺りは真っ暗だ。
息を吸い込めば、濃密な木と、喉奥に貼り付くかのような、おが屑の臭いがする。肌を刺すような冷たい空気にブルリと身が震える。
現在の私の格好は、クリーム色のネグリジェと、紺色のストール。で、素足。
地面からはまるで浮遊しているかのように何も感じない。地に足が着いていないのかも。だというのに寒いのが地味に納得いかないが、夢に文句をつけても事態が改善される訳でもなく。他に暖を取れそうなものも見当たらない。
なので私は身を縮込ませながら、ゆっくりと。かつ適当に進む。
ヴィジョンを見た時は、もう現実で自分がどうなっているかとか諦めて、その夢の中でゆるりと過ごせ。
それが産まれてから十数年、心霊やオカルト現象を見つめ続けてきた、私の中での鉄則だ。
無差別に観測するとはそれすなわち、いつ何処でどんな状況かなど考慮せずに見えてしまうという事である。つまり、起きていようが寝ていようが。お風呂に入っていようが、テレビを観ていようが、何の前触れもなく起こるのだ。
起きている時は偏頭痛のような痛みと共に情景が浮かび上がり。寝ているときは、今のように夢といった形で光景が視える。後者はともかく、前者は傍迷惑なんてレベルではないのだが、それすらも今更だ。
そんな中での唯一の救いは、どうやっても確実に、向こうが私の前に現れてくるということ。だからこの雑木林にも〝いる〟か、〝ある〟筈なのだ。怪奇にまつわる何かが。それも、私のすぐ傍に。
「……て。……よ……!」
案の定。変化は、すぐに起きた。
ぎぃ。ぎぃ。パキ。パキ。と、風もないのに何かが……木が擦れ、軋むような音と一緒に、微かな声が私の耳へ確かに届く。
身体が、少しだけ硬直した。オカルトを小さい頃から身近に感じているとはいえ、それに完全に慣れたかと言われたら、そういう訳でもない。
勿論、スプラッターな光景を視ることも多いので、そういった事にはある程度の耐性はついた。けど、それでも急にショッキングな場面や、不意討ちで異音とかがすれば、私だって普通にびっくりする。怪奇やら心霊の柵を取っ払えば、一応私も女子大生なのだ。
「や……哉。…………」
異音と共に響く誰かの啜り泣くような声が、段々とハッキリしてくる。。
こういう時、一人きりは心細い。が、恐らく視ないと私は解放されないのだろう。ゆっくり、頭のてっぺんから爪先まで緊張しながら、私は元凶らしき場所に近づく。藪を掻き分けると、少しだけ開けた場所に出た。そこに……人影が二つ。
「止めて……文哉ぁ……! お願いだから……止めてよぉ……!」
一人は女性。デニムワンピースを着た、黒髪のショートヘア。小柄な体躯と、くりくりした丸い目。ふっくらとした頬が愛らしいリスを思わせた。
もう一人は男性。こちらは、小綺麗な女性とは対照的に、実にずぼらな格好をしていた。
髪はボサボサに乱れ、髭も伸び放題。落ち窪んだ眼窩の奥で、暗い瞳がギラついている。革のコートを着込んではいるが、この様子だと服も適当かつヨレヨレなものに違いない。
女は男の回りをぐるぐると〝浮遊〟し。
男は……前以て組み上げたのであろう脚立に脚をかけ、木の枝にくくりつけた縄に手を伸ばしていた。先端は……輪になっている。何をしようとしているのかは、もう明白だった。
「文哉……ダメ! お願いだから! やだ! やだよぅ……!」
泣きわめき、文哉と呼ばれた男にすがり付こうとする女。だが、その手は無情にも男の身体をすり抜け、悲痛な声にも男は耳を貸さない。最初から、女の姿が男には見えていなかった。
そして……。
えぅっ! と、引き絞るような低い呻き声がして。男の身体は物理的に浮遊した。
暗がりでもわかる程に男の顔は紅潮し。舌を限外まで突き出し、苦悶の呻きを上げたまま、男の身体は空中でメトロノームのように揺れ、激しく痙攣する。
鈍くドロドロした光を宿していた目は、今や完全に白目を剥き、口許に白いあぶくがコポコポと集っていた。
永遠にも感じるその時間。私はただ呆然とその光景を見守る他になく。やがて男の身体は、縄による振り子の動きを除いて、完全に停止した。絶命しているのは、誰の目から見ても明らかで。それを目の前で見せつけられた女は……〝女の幽霊〟は、長い長い。誰にも届く事のない嘆きの悲鳴を上げた。
満天の星空と真ん丸い月が輝く下。自前の絞首台で命脈を断った男は、最期の最期まで、決して女の幽霊を見る事はなかったのだ。
どれくらい時間が経っただろうか。生者が死者にならんとし。死者がそれを必死に止めるも、想いは届かず。
この場において生きている或いは肉体を持つ者は零になった。
今日もまた、いつもに増して陰鬱なヴィジョンだったな。なんて感想を抱きながら、私は目覚めの時を待つ……。筈だった。
「……っ」
不意に、女が動いた。哀しげにぶら下がる男を一瞥してから、フワリフワリと、暗い雑木林を進む。するとどうだろう。どういうわけか、見えない紐で括られたかのように、私の身体も静かに。勝手に動き始めた。
「……見届けろ。そういう事?」
果たして、その推測は正しかったらしい。
浮遊する女幽霊が雑木林をずんずんと進み、たどり着いたのは、何の変鉄もない神社だった。
本来ならば辺りがこんなにも暗いなら、人はよりつかないだろう。だが、今日に限っては、事情が違った。深夜に近い時刻と思われるにも関わらず、参拝客はそれなりにいた。
賽銭を投げ入れ、参拝する老若男女。
それを少し離れた所で見つめながら、女幽霊は静かに。祈るように手を組んだ。
「……お願いします。あの人を……文哉を死なせないで。あの人は……何も悪くないの。私が……私が死んだから……あんなに……どうか……誰でもいいから……」
懇願は、当然ながら道行く人には届かない。
そもそも、誰も彼女を見つける事は出来ないだろう。
私や〝彼〟が本当にこの近くにいたら、視れたかもしれない。けど、それでも……。
「一度死んだ人が……生き返る筈がないわ」
彼女に聞こえる筈がないと知りながら、私は静かに独白する。
のっぴきならぬ事情があるのだろう。けど、私にはどうすることも出来ず。
「時間ね」
そうして夢は、私のヴィジョンは終わりを迎える。
オカルトや心霊現象を視れたとしても。私は彼ら彼女らに働きかける事は出来ない。悲劇をこうして小窓から覗いて。胸が締め付けられるような感じと一緒に、目が覚めるのだろう。
周りの景色が白んでいく。
来世で結ばれて。なんて、傲慢かつ残酷な言葉を投げ掛けるつもりはない。
ただ、私に出来る事は、死者二人に向けて手を合わせる事。それだけだった。
※
目を開けて、最初に飛び込んできたのは見慣れた家具配置。続けてテレビ。画面では、小林幸子が凄い有り様になっていた。……ああ、そうか。今日は……。
ショボショボする目を何度か瞬きすることで解消する。
うん、そうだ。本日は12月31日。〝相棒〟と紅白歌合戦見ていたら、急に眠くなって……。
「やぁ、おはようメリー」
「……へ?」
不意に頭上からした、聞き慣れた声に、私は思わず身を強張らせた。同時に、今の自分の状況を把握し、思い出す。
……そう、私の部屋で歌合戦を見ていたのだ。ベットを背にして並んで座り、お酒とおつまみも用意して。そんな状況で船を漕いだりしたら……こうなるのは必然だったのかもしれない。
「……私、メリーさん。今、貴方にお膝枕されてるの」
「うん、気がついたらこんな状況になってびっくりしてるんだね。わかるよ」
「びっくりしてないわ」
「君の〝メリーさん〟のモノマネ、汎用性あるよね。照れ隠しに使えるんだもん」
「照れてもないっつーの」
もしかしたら今、耳まで赤いかもしれないが、お酒のせいという事にしておこう。
硬いけど、妙に安心するお膝の上で仰向けになれば、すぐ傍に見知った男の顔があった。
髪は黒に実はほんの僅かだけ、アッシュブラウンのメッシュが入れてある。長すぎず短すぎぬ、当たり障りがない伸び具合だ。身体は全体的に細身。が、ただヒョロいノッポという訳ではなく、触れてみると程好く筋肉がついているのを、私は知っている。
顔立ちは中性的ながら、整っている方。彼を見た同級生は、虚ろな美青年なんて喩えを述べたのだが、成る程。中々に的を射ていると思う。飄々とした雰囲気も、それに拍車を掛けているのかもしれない。
滝沢辰。私の所属するサークルのメンバーであり、唯一の相棒だ。
「〝眠りは、神からの唯一の無償の授かり物である〟と言うけれど、それに伴って意外な授かり物も得られたよ」
「プルタルコスね。『倫理論集』の。……意外な?」
「可愛い寝顔だった」
「……〝男の顔は履歴書、女の顔は請求書〟らしいわよ?」
「藤本義一だね。お金取るのかい? 困った。今そんなに持ち合わせがない」
「じゃあ身体で払って。このまま枕になりなさい」
「ラジャー」
いつものように、他愛ない会話に花を咲かす。大学の知り合いには、「貴方達の会話何? 検索エンジンでもついてるの?」なんて言われたものだ。
因みに膝枕続行は動くのが面倒だとか、起きるのが妙に気恥ずかしいとか。理由はその辺。一割くらいちょっと離れがたいから。もあるけれど。
再び横向きになり、テレビを見る。歌合戦は終盤だ。もうすぐゆく年くる年が訪れようとしていた。
「……何か、視たのかい?」
不意に辰が問い掛ける。長いようで短い付き合いだけど、お互い相棒と認め合う間柄だ。当然ながら、それぞれの体質やら色々な事は知っている。だから私は、別段隠すことなく、彼の膝に頭を乗せたまま、小さく頷いた。
「けど、追うに追えないものよ。たぶんもう、終わってしまった事だから」
現場に行った所で、そこには幽霊が一人増えているか増えていないかだろう。男の方は未練も無さそうだから、女だけ残されている可能性が高いかもしれない。
どのみち、私達が出来る事はない。所属するサークルの関係上、ここは興味をもつべき場所なのかもしれないが、この年明けに首吊り死体を見に行こうとは、オカルトの類いが好きな私でも生産的とは思えなかった。
そっか。と、辰が話を切り、そのまま二人でテレビに没頭する。紅組か白組か。会場内で投票がわりにピカピカ光るライトスティックが振り回され、それをどこぞの大学にある野鳥観察会のメンバーが黙視で数えていく。
……凄いな。野鳥の観察を極めればこうして紅白にも出れるのか。そんなどうでもいい感想を抱いていた時だ。不意に私の脳裏に、さっきのヴィジョンが思い出された。
神社に参拝客。それを寂しげに見つめる女幽霊。
それは、ほんの思い付きだった。
「ね、辰。よかったら初詣……一緒に行かない?」
私のその言葉に、辰は少しだけ呆けたような顔になる。が、すぐにいつもの、ユルユルとした雰囲気を身に纏い「それは、君の視たヴィジョンに関係があるのかい?」と、興味深げに微笑んだ。
「普通に言えば、ノンよ。ただ、初詣に行きたいなって思ったのは、私が視たものが切欠。だから、半々ね」
「フム、今から?」
「今から。年が明けて夜中に行ってみるのも、オツなものだと思うのよ」
今年もいい年であるように。誰もがそう願うのは必然だ。漠然と思うだけな人もいれば、何か違うことに挑戦する為に行動を起こす人もいる。新年の迎え方はまさに十人十色だろう。そんな中で私達……〝オカルトサークル(大学非公認)〟たる私と辰が何をするべきか。そう考えたら、初詣がいい。そう思い立ったのだ。
ざっくり言うならば、ザ・神頼み。
スピリチュアルで、いかにもオカルティズム。年明け最初のサークル活動として相応しいではないだろうか。辰と一緒に冬の寒空の下で甘酒を飲みたいって下心が少しはあるが、第一の目的は初詣。ここでお願いしたことがちゃんと叶うか。一年かけた検証という奴である。
甘酒の件は口にせず、そう宣えば、彼は楽しげに「いいね」と、呟いた。
思い付いたら即行動。タブレットを引っ張りだし、比較的に近くて手軽に行けそうな神社を検索してから、手早く身支度を済ませ、私達は並んで部屋を出る。
ドアを開けて外に出れば、冷たい冬の空気がマンションの廊下を吹き抜けてきて、思わずうなじがピンと強張った。
「厚着したけど、わりと寒いわね」
「うん。けど、何だろう。初詣は多少寒い方がいいと思うんだ」
「……なんでまた?」
「寒い中で頑張ってたどり着いた方が、お願い事は叶いそうじゃないかい?」
「ならコートも脱いでく?」
「それは止めとこう。僕はともかく、女の子が身体冷やすのよくない」
願いより君の身体だよ。と、言ってのける相棒は自身の手に息を吹き掛けながら、スリスリと擦り合わせていた。
手袋装備の私には死角なし。けど、ホッカイロくらいは道中で買ってもいいかもしれない。
寒さを凌ぐべく、心なしか寄り添うようにして二人で歩く。目指す神社は、まだ先だ。
「そういえばさ。切欠はヴィジョンって言ってたけど、一体どんなものだったの?」
そんな中、不意に辰が思い出したかのように口を開く。
ああ、そう言えば、説明してなかったな。と今更ながら思った。
「聞きたい? あまり気持ちがいいお話じゃないわよ?」
「構わないさ。聞かせてよ。君の素敵な脳細胞と視神経で、一体何を視たのか」
「感覚って言ってよ。実際に目で視ているのかは、曖昧なのよ?」
どうにも相棒が私の目をこう称するのは、未だに慣れないやら気恥ずかしいやら。だが、私のそんな細やかな抗議も「でも目で見て認識しているのにはかわりないだろう?」という言葉で流される。ここまではお約束だ。だから私も訂正などせず、話の本題へと入っていく。
といっても、今回の話は大したものではない。
単にこの世で誰かが命を断ち、それを嘆き悲しんだ存在がいた。そんな残酷にもこの世にありふれている、悲劇の話だ。
「そうね。有り体に言えば……。ゆく年くる年で、自殺を見届ける事になっちゃったのよ」
何気ない。だが随分と酷い話の切り出しだった。
けど私は、この時思いもしなかったのだ。私が視たヴィジョンが、新年早々に私達が奔走し、最後には震え上がることとなる事件の引き金になるだなんて……本当に、想像がつかなかったのである。
事のあらましを、私が全て話終えた時、彼は怪訝そうな顔でこう呟いたのだ。
「……メリー。君が視たその状況……少しおかしくないかい?」