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招かざる来訪者

 「おっ、大家さん今日は揚げ物かな……」

 外が暗くなりつつある時間帯に大家さんの部屋から夕飯を作る良い匂い。

 察するに料理の腕は超一流。是非一度でいいから「ちょっと作り過ぎたので、よかったら食べて下さい」とか言って持ってきてくれるシチュエーションを期待してるが、生憎とまだそうゆう話はない。

 それでも俺は来たるべき時に備えて玄関とドアは毎日入念に掃除している。

 備えあれば憂いなしってやつだ。 

 妄想するだけで上がるテンション。辛抱たまらん……。


 「ん……?」


 そんな俺の視界に入ってきたのはローブで素性を隠した何だかとても怪しい奴。あろうことかそいつは俺の部屋の前で三角座りしていた。

 これは警察を呼ぶべきか……?

 否、大家さんに迷惑を掛けるわけにはいかない。ここは俺が――……。


 「あの、すいません。ここ僕の部屋なんですけど……」


 たぶん何かの間違いだろう。そうに決まってる。

 こっちは疲れているんだから早くどいてくれ。

 ――などと思いつつも絶対に口にはしない。

 逆上して背後からバールのようなもので殴り殺されるかもしれない物騒なこのご時世では、当然の処世術である。

 「お久しぶり……ですね……」

 「へ……?」

 なぜか女の声。フーアーユー?

 少なくても俺の知り合いにそんな甘美な声の持ち主なんていやしない。


 「えぇーと……どちら様で?」


 俺がそう言うと、身に付けていたローブを脱ぎ始める女。

 ……予想外だ。

 宝石のような青い目と薄褐色の肌。それに腰まで掛かった煌びやかな銀髪。

 これは思わず眼が冴えてしまうぐらいの美女ではないか。

 「…………」

 あまりにも日本人離れした外見的特徴から考えられる可能性。

 なんだかとても嫌な予感がする。できれば関わりを拒否したいぐらいの……。

 こちとら軍から大した手当も出ないというのに面倒事ばかりふざけるなよ。


 「二百年ほど前にあなた様にご迷惑お掛けした……その……」


 いきなり何を言い出すんだこの女は? 

 視線を逸らしてゴニョゴニョ言うなんて不審者極まりない。

 今日はいろいろあって疲れてるんだから、さっさとお引き取りを……。

 ――って、ちょっと待て。今こいつ二百年前って言わなかったか?

 もしそれが俺の聞き間違いでないとすると、この女の正体は――……。


 「魔王サタンの娘、アンドロマリウスという者です……」


 その名を聞いた途端、過去を思い出して背筋がゾクッ震え上がった。

 (はああああああああああああッ!? ……嘘だろ?)

 その見た目からは親の七光りで好き勝手やっていた頃の面影がまるで感じられない。ずいぶんとまあ淑女っぽくなりましたね。

 おかげで気まずい事この上ない。

 「ああ、久しぶり……ですね」

 付け足すように敬語を加えてしまったが、こうゆう時の対処法がわからない。

 それに――。


 (あまり思い出したくない……)


 あれから二百年。月日の経過は早いものだ。

 当時の俺はこの小娘が魔王の子とは全く存じておらず、度が過ぎる悪戯好きな糞ガキとしか認識していたので俺の前で悪事を働く小娘に拳骨制裁を加えて見事に泣かしてやった。

 結果その日のうちに第一級装備の正規軍が俺の町を包囲し、犯人として狩り出された俺は即決裁判で火炙りの刑に処されるも、それを何とか持ち前の悪運で回避した。当然ながらそんな理不尽な判決を受けたことを恨みもしたが、そのあたりの感情は数年のうちに自然と消化できた。

 そんな俺を長年苦しめたのは物理的なものではなく精神的なものだった。

 ……周りが全員敵に見える状況。俗にいうノイローゼというやつだ。

 あの状態からよく立ち直ったものだと今でも思う。

 まあ、その元凶は“噂”というやつで、千里を走るうちにいつの間にか俺は魔王暗殺未遂犯になっていた。

 それを不憫に思った魔王が娘の暴挙を公で謝罪したことで晴れて俺は無罪放免の身となったはずだったが、社会の風当たりは俺の想像を絶するほどに厳しかった。

 なんと俺は魔王の娘に手を上げた不届き者として故郷で晒し上げられたのだ。

 その結果居場所を失くした俺は涙ながらに生まれの故郷に別れを告げて辺境の田舎へと引越し、俺を蔑んだ奴らを見返すべく涙ぐましい努力の果てに晴れて軍属となった。

 これは結果論だが、早い話がアンドロマリウスとの出会いがなければ俺の人生は今とは大きく違っていただろう。それだけは自信をもってそうだと言い切れる。


 「あの時は本当にごめんなさいッ!」


 間髪入れず深々と頭を下げるアンドロマリウス。

 察するに俺とは違った意味であの日の出来事を深く後悔しているのだろう。

 とは言ってもこの女の所為で辛酸を嘗めてきた過去があったのも事実。

 内心は噴火前の火山のような状態だったが、ここでキレたら俺が悪者になる。

 落ち着け俺。俺は紳士だ。

 間違いぐらい誰にでもある……よな。

 「済んだことだ。気にするな」

 「でも……」

 「今はちゃんとやってるんだろう?」

 「はい……」

 「ならそれでいい」

 我ながら満点に近い“紳士的”な対応。見事だ。

 親に怒られた子供のようにオドオドしなくても反省しているのは分かる。

 そうゆうわけで次期魔王にでもなったら俺を辺境の地の伯爵にして下さい。

 伯爵が無理なら男爵でも俺は一向に――……。


 (ん……? ちょっと待てよ)


 仮にも魔王の娘がなんでこんな所に居るんですかね?

 危ないと思うんですけど、護衛の方はどこでなにを……?

 なんだか途端に臭ってきやがったぜ。

 この女から疫病神の臭いがプンプンと……。

 「ところでアンドロマリウス嬢、護衛の方はどこに?」

 「…………」

 げっ、こいつ……。

 露骨に目を逸らしたってことはやはり独断!?

 これは一緒にいる俺の責任問題になるんじゃないか?

 今すぐに追い返さないと大変なことになる。マジで洒落にならない。

 「えぇと、すぐに魔界と連絡を取りますね」

 「あの、それはちょっと困ります」

 ふざけるなよ俺の方が困るっての! 勘弁してくれ!

 親馬鹿の魔王に知れたら縛り首では済まんぞ。下手したら日本で天魔全面戦争がありうるぐらいマズい。正直そんなことはどうでもいいが俺と大家さんの安全は何としても確保しないとマズい。

 とにかく情報収集だ。今は一つでも多くの情報が欲しい。

 「……では、一つだけ正直に答えてください」

 「はい」

 「アンドロマリウス嬢が人間界に来たのは独断ですか?」

 「…………」

 「答えて下さい」

 「私の独断できました……」

 予想通りの答え。こいつはまずい事になった。

 すぐにこの女を返品しないと――この世界が地獄に変わる。

 くそう、ツイてねえ……。

 テレビの占いに騙された。何がトラブルが起きても大丈夫だよ。

てんで話にならねえじゃねぇーか。

 「今のアンドロマリウス嬢なら事の深刻さはお分かりですよね?」

 「はい……」

 「では、早急に魔界へお戻りを」

 「それは大丈夫です。影武者を置いてきましたので……」

 そこまでして俺に謝りに来てくれたってのは正直嬉しいですけどね。

 でも、ご自身の立場を考えていただきたい。

 影武者とか言われましてもですよ……。


 (……っと、落ち着け、俺)


 自覚できるぐらいに心拍数が上がってきてやがる。

 割と今すぐにでも空想の世界に逃げ込みたい。

 「あの、私を……」

 何を言い出すつもりかは知らんが、嫌な予感しかしねえ。

 面倒事なら即刻魔界に送り返してやる。


 「無理を承知で言います。しばらくここに置いてくれませんか……!?」


 この人は何を言ってるんだろう。

 開いた口がふさがらないとはまさにこの事。

 「絶ッ対に無理です! 今すぐ帰って下さい!」

 「そうですよね……」

 物事は諦めが肝心。無理なものは無理だ。

 恵まれた立場をお持ちなんだから、魔界で悠々自適な生活を送ればいいんだ。

 少なくても、俺がこの女の立場なら何の躊躇もなくそうしている。 

 もし大家さんがいなければ、誰が好き好んで人間界なぞ……。


 「すぐに魔界に連絡を取りますので、汚い部屋ですがお入り下さい」


 大家さん以外を家に上げるのは気が進まなかったが、こうなった以上は仕方あるまい。天族がどこで見ているのか分からない以上はこうするのが最善。

 「あのぉー、すいません」

 突然耳元で囁く甘美な声に、俺の体は条件反射とばかりに姿勢を正した。

 なんという悩殺ヴォイス。正直たまらん……。

 油断した俺に付け入るように、背後から抱きついてきたアンドロマリウスは俺の胸元で腕を交差させ、ワザととしか思えないぐらい強調するように胸を俺の背に押し当てながらゆっくりとした口調で囁いた。


 「ご迷惑はお掛けません。日本の通貨、五百万円で手を打ちませんか?」


 そんな事よりもこの女はかなりの巨乳だ。着痩せするタイプだったか……。

 昔は色香の欠片もない糞ガキだったくせに色仕掛けなど、ちょこざいな。

 しかし、残念だったな。お前の作戦は失敗だ。

 俺には大家さんという最強の想い人がいる。簡単に籠絡できると思うなよ。


 「断るッ!」


 取りつく島も与えないぐらい断固とした拒絶。

 ざまぁーみろクソガキめ。世の中なんでも自分の思い通りになると思うなよ。

 俺の鋼のような意思。覆せるものなら覆してみろ。

 まあ、何をしようが無駄な努力だと思うがね。

 「……でしたら素直に受け取るか、魔王の娘を襲った不届き者として極刑に処されるか……どちらかお選び下さい」

 「言うに事欠いて俺を脅すつもりか?」

 「脅すだなんて人聞きの悪い。単に事実を申し上げているだけですよ」

 「貴様ッ……」

 見た目“だけ”はお淑やかに見えるが流石は魔族。中身は安定のカスだった。

 やはり俺の救世主(メシア)は大家さんしかいねえ……。

 「……わかった。俺の負けでいい」

 「そうそう、最初から素直が一番ですよ」

 見惚れそうになるほどの笑顔を前に、俺の脳内には一つの言葉が浮かんだ。

 

 (美しい花には棘がある……か)


 それはまるでこの女の為にある言葉のように思えてならない。

 「では、さっそく約束のお金です。これで取引成立。裏切りはナシですよ」

 ローブの内側から取り出された五つの札束。

 それを見てしばらく生活に困らないと安堵する気持ち。

 なぜかはわからないが、自分のことが嫌いになりそうだ。

 「そういえば、こちらでのお名前は?」

 「二条祥馬」

 「じゃあ、私は二条……」

 ちょっと待て、俺と家族設定とかあまりにも無理があり過ぎるだろ。

 俺とは違ってアンドロマリウスはどう見ても日本人には見えない。

 それに俺だって選ぶ権利ぐらいはある。

 「待て待て。なぜに家族?」

 「じゃあ恋人にします? 私はどっちでもいいですよ」

 「……知り合いでよくね?」

 「家族か恋人で」

 「じゃあ……家族で……」

 まさかのゴリ押し。満面の笑みなのがちょっと怖い。

 絶対に無理ってわけじゃないから今回ばかりは俺が折れるが、今後はそういった協調性のない行動は慎んで頂きたいものだ。

 てか、次やったら強制退去決定。今そう決めた。

 「下の名前はどうしましょうか?」

 「アンドロマリウスだからマリって名前でどうだ?」

 「あっ、いいですね。それでいきましょう」

 マリなら日本人でも外国人でも珍しい名前ではない。

 単に本名からもじっただけだが、本人が納得してるならそれで充分。

 俺にしてはなかなか良いセンスだ。

 「お腹空いたので食事にしましょう。料理が得意な主婦の記憶を読み取ったので、料理には自信があります」

 「じゃあ、任せる」

 「いろいろと勝手に使わせてもらいますね」

 俺も元料理人の記憶を読み取ったから料理には自信がある。

 まあ、そうゆう気分を害するような事を言う必要はないが……。

 「……そう言えば、こっちでの年齢は何歳に設定したんだ?」

 「十七歳です」

 「マジかよ。俺は十六にしたから姉貴になるわけか」

 「ダメですか?」

 「ダメじゃないけど……実年齢は?」

 「……女性にそれを聞くとか死にたいのですか?」

 「いえ、すいません……」

 なんだろう。立場的に俺が兄貴って設定の方がよかったな。

 (ん? 待てよ……)

 俺を兄貴だとするのなら、マリは双子という設定をねじ込んだとしても高一でないと辻褄が合わないわけだ。

 あのプロポーションで学生服は客観的に見て大人のコスプレにしか見えねえ。

 なら年上で正解か。

 それでも奴のガキの頃を知る分、俺の内心は複雑だった。

 「ずいぶんと良質の肉を買いましたね」

 「まあ……たまには贅沢もいいかと……」

 くそう、なんてタイミングで買いもの袋を漁るんだ……。

 ラファエルに買わせたなど口が裂けても言えん。

 下手したら墓穴掘って詰みそうなこの流れ……。

 「経費からですか?」

 「いえ、自腹です」

 「へぇー……そうですか」

 やめて下さい。これ以上の追求は本当にやめて下さい。

 俺は元々嘘が苦手なんですよ。

 心が痛むというか……ホントやめて。

 「料理は私がやりますのでテレビでも見ておいて下さい」

 ――なぜだろう。

 マリが台所に立って料理をつくる後姿は悪くないと思ってしまった。

 性格悪いのに……。

 でも、そのギャップが……って、俺のバカ野郎!

 俺は大家さん一筋だ。揺れるわけがない。

 「フフッ、なんだか夫婦みたいですね」

 「へ……?」

 「いえ、なんでもありません」

 聞こえなかったわけじゃない。心臓が止まるかと思っただけだ。

 状況的に新婚か……って、やかましいわ!

 俺の相手は大家さんだけだ。

 これ以上の誘惑は看過しない。次やったら即刻追い出してやる。

 「味見してみます?」

 「いいのか?」

 「もちろん」

 黄色く濁った汁。日本特有の食べ物だ。

 それが味噌汁であることは知識として知ってるが、実際に飲んでみるのは今日が初めて。俺が読み取った記憶では美味なものだという認識だったが、俺の舌には合うだろうか……。

 少し緊張しながら俺はおたまの上の黄色い汁を啜った。

 「うまい!」

 「あら、たしかにおいしいですね」

 二人の魔族が咄嗟に手を取り合う程の感動がそこにはあった。

 見た目が黄色いのは少し気持ち悪いが、味噌汁おそるべし。

 是非ともこの食べ物を魔界に持ち帰りたいと思った。

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