戦闘
「学校は真逆の方角ですよね」
先回りするように俺達の前に現れたマリ。
感じるのは肌を突き刺すような魔力。
俺の意思に反して足が戦意損失したように動かなくなった。
「お前の目的はやはり……」
何もかもが後手に回ったが、ようやくマリの“私情”ではない部分が浮き彫りになったことで俺は安堵のようなものを覚えたものの、その変化には目を疑った。
「巻き込む形になってしまってごめんなさい」
「マリ……」
髪と瞳は紅色に変化し、荒々しいその気配はまさに別人。
そして背中には漆黒の翼が左右均等に全部で八つ。
加えて手に握られた瘴気を纏った魔剣はその名を轟かせているであろう伝説的な武器に違いないと瞬時に思わせるほどの“不吉”を孕んでいた。
「まさかそちらから仕掛けてくるとはね……」
「お初にお目に掛かります。私の名はアンドロマリウス。恨みはありませんが、わけあってあなたの首を頂きに参りました」
上級魔族だけあって圧巻の魔力――。
俺からすれば、その場に立っていること自体がやっとだった。
「形質変化。それに魔力もそっくりで驚いたわ。仮に私を倒す気でいるのならば、まずはあなたの父上を超えて欲しいものね」
「現役を退いて久しい今のあなたにそれを言う資格がありますか?」
父であるサタンと比べられたのがよほど気に入らなかったのか、マリの表情が露骨に曇った。
そして、次の瞬間――。
靡く紅髪が俺の頬に触れるほどの距離まで移動してきたマリが放った一閃を紙一重で躱したラファエルは、宙に逃げるなり魔方陣から白銀の剣を引き抜く。
「友達が見ているからあまり手荒な真似はしたくないのだけど……」
「ずいぶんと余裕がありますね。それに友達……? その方は私と同じ魔族ですよ。貴女ほどの者が騙されるとは思えませんが、其れ故にそれは事実なのかもしれませんね」
――対峙する魔族と天族。
感じる魔力も天力も桁違い。いや、常識外れと言っていいだろう。
その証拠に二人の頭上には灰雲が渦巻いていた。
「御託はいいからさっさと掛かってきなさい」
「言われなくても!」
ラファエルの挑発に釣られる形で攻撃を仕掛けるマリ。
図抜けた集中力と高度な空間認識能力が必要とされる瞬間移動をさも当たり前のように駆使して激突する両名――。
縦横無尽な二人の空中戦はいくつもの建物を崩落させてもなお飽き足らず、ビッグバンを彷彿させる衝撃波が起こる度にその周囲に損害を強いる。
力、動き、技量、そのすべてがデタラメ過ぎて馬鹿らしい。
僅かに俺が理解できる事と言えば、剣同士がぶつかり合う事で生じる鈍い不協和音と斬撃がぶつかり合う事で発生する火花。そして幾多にも及ぶ衝突の果てに発生したオーロラのような空間の歪みは、両者が対極に位置する力を扱う者であることを如実に物語っていた。
(まさか……でもいつの間に……?)
俺ですら感じることができた空間の違和感――。
どちらが使った魔法かは定かでなかったが、おそらく俺が今立ってるのは人が存在しないであろう世界……つまり“並行世界”の一つ。
幸いなことに双方とも無関係な人間界を巻き込む気はないらしい。
「くそ……」
二人の戦いをただ茫然と見守る事しかできない無力な自分。
あまりに情けなくて、気付けば出血するぐらいに拳を強く握りしめていた。
(俺に力があれば……)
そんな俺の心を強く支配するのは“力”への渇望――。
渇望こそが魔族の本質なのか、求めるほどに体が疼き、それはやがて一度動き出したら止まらない暴走列車のような衝動に変わり始めた。
だが、なにも今回が初めてじゃない。過去に何度かそういった経験がある。
そうなると俺は決まって自分に言い聞かせるんだ。
落ち着け、俺が欲しいのは制御できないような野蛮な力ではない……と。
「くっ……流石ですね。熾天使ラファエル……」
短時間の戦闘の末に息を荒げ、ラファエルから距離を置いたマリは全身傷だらけだった。
やはり相手が悪過ぎたのだ。勝ち目はない。
それでもなお、マリは剥き出しとなった矛を納めようとはしなかった。
「筋は悪くない。でも自分と相手の力量差を見極められないのは致命的ね」
「殺さずしてすでに勝ったつもりとは天界屈指の名が泣きますよ?」
「出し惜しみはしなくていいわ。何か奥の手があるのでしょ?」
「……お気付きでしたか。どうやら今のままでは話にならないみたいですね」
――途端にがらりと変わる場の空気。
それは肌が粟立つ今までに感じた事のないような独特なもので、魔装甲が魔族の切り札とも謂われる所以を身を以って知るには充分過ぎるものだった。
しかし、魔装甲はもろ刃の剣。使えば取り返しのつかない呪われた代物。
最悪はその精神を蝕まれることだってある。
それがわかっているのに、俺はどうすることもできなかった。
「格下だと思って油断していると痛い目に合いますよ」
マリは本気だ。覚悟を決めたその目がすべてを物語っている。
勿体なくもボロボロに剥がれる新品の学生服は後戻りができない事を暗に示しており、マリを中心とした黒い瘴気は仕上げとばかりにハリケーンのように空高く渦巻いた。
「これが魔装甲か……」
魔界の深淵のように深く冷たい漆黒の衣。
水着のように肌の露出が著しいにもかかわらず、反して明らかに濃くなった瘴気は非物理的な力による防御力の増大を意味していた。
「それを見るのは千年振りね」
「かのハーデス戦以来というわけですか」
「彼は強かったけど、あなたはどうかしら?」
「……行きます」
ありったけの魔力を注ぎ込んだことによって異形となったマリの魔剣。
ラファエルに再戦を仕掛けたマリは、それこそ俺なんかが触れれば鎧袖一触の事態になりかねないような圧倒的な力を以って魔剣を振るう。
『ねえ、聞こえる?』
空高く斬撃の応酬が飛び交う中でテレパシーを送ってきたのはラファエル。
『彼女を助けたいのなら、手を貸して』
マリの猛攻を捌きながらラファエルはそう言った。
考えるまでもなく答えは出ている。
俺は条件反射に近い速度で返答した。
『わかった。どうすればいい?』
俺のその答えが気に入ったのか微かに口元を緩めるラファエル。
次の瞬間、何が起こったのか理解できなかった。
「嘘だろ……」
糸も容易くマリの背後をとったラファエルはマリが振り向くことを見越して、その腹部目掛けて掌打を繰り出した。
「うっ…………」
イメージする女の悲鳴とは程遠い息を吐くような微かな声――。
どうやら気を失ったらしく、マリは頭から地上に向かって急降下を始めた。
「なんてやつだ……」
ラファエルの底知れない戦闘能力。
あまりにも違い過ぎて畏怖の念を覚えずにはいられない。
どのぐらいかと言うと、正直チビりそうだ。
そんな俺の心の内を知ってか知らずか、赤子の手を捻るがごとく気絶させたマリを空中で担いだラファエルは俺の前に着地するなり、優しくマリをその場に寝かせた。