来たるべき朝
「んん……って……うおッ!?」
寝返りを打った際に触れてしまった柔らかい質感――。
寝起きは頭が馬鹿になってるにも関わらず、それが何であるかはすぐにわかった。
「おはようございます」
「……朝から人の布団に潜り込んで何やってるんですかね?」
普段の寝起きの悪さが嘘のように一瞬にして目が覚めた。
現状は俺にとってそれほどまでに異常なものだった。
「えぇーと、普通の姉弟って一緒の布団で寝たりするのかなーって……」
ちょっと何を言ってるのか分からなかったが、事情はなんとなく分かった。
しかし、俺は朝からマリを怒り飛ばせるほどハイテンションではない。
(そうか、こいつ……)
魔界の王族と言えば、最初に浮かぶイメージは醜い後継者争い。
俺のような普通の魔族とはその根本がそもそも違う。
「俺は一人っ子だから知らんが……」
「そうなんですか?」
「でも昔、よく遊んでた友達は大家族で足の踏み場もないぐらいだったぞ」
「なんかいいですね。そうゆうの……」
「やっぱ、王族ってのは違うのか?」
「私は身分の低い妾の子だったので、他と比べれば多少の自由はありましたが、それでも窮屈な生活でした」
苦労は人それぞれ違うということなのだろう。
俺はそういった意味での苦労は知らないが、小さい頃に親父が死んでからは片親だった事もあり金銭的な面で大変だった記憶がある。
それでも中流階級の出だから、貧民街の連中に比べればマシではあるが……。
「ん?」
「ちょっとだけ……」
いきなり人の二の腕を人差し指で突いてくるから何かと思えば腕枕をしろだと?
悪いが、そうゆうことは相手を選びたい。
「私じゃ、だめですか?」
上目遣いでのお願いとかマジでやめろ。優柔不断な俺とっては厳しい誘惑だ。
家では飼えないと分かっている捨て猫を持ち帰りたいジレンマに駆られるようで心が痛む。
ここは早急に話題を変えないと――……。
「朝飯は?」
「うーっ」
「腹が減ったんだが」
「んもう……あとは温めるだけですよ!」
興醒めとばかりに布団から出て行くマリ。
俺自身、今の誤魔化し方は下の下であると理解している。
しかし、模範的な断り方なんてものがあるのだろうか?
おかげで朝から食卓の場が気まずい。
「言っときますが、私は怒ってませんからね」
ピンポイントで射抜くようなマリのその一言――。
俺の内心は容易く看破されたわけだが、マリはそんな俺に視線を合わせようとはしない。
これじゃあ、せっかくの朝食も不味くなるってものだ。
「ご馳走様でした」
「おいおい、早いな」
「女には身支度というものが必要なのです」
そう言えば今日は高校の編入に必要な書類をもらいに行くとか言ってたっけ?
男なら八時に家を出るとすれば七時半に起きれば充分間に合う。
しかし女は七時に起きたとしても慌ただしくしないと間に合わないご様子。
――以上のことを踏まえて、どちらが勝ち組かは一目瞭然だ。
「おいおい、早く変わってくれよ」
食事を終えて制服に着替えた俺はいつまでも洗面所を占拠するマリを急かす。
すると、マリはようやく洗面所の扉を開いた。
「どうですか?」
「ん? どうって?」
「私の制服姿ですよ。何か感想とかないですか? かわいいとか」
「別に普通だから気にするな。さっさと行くぞ」
「うー……」
肌の露出が多い服を好む女魔族は清楚という言葉の対極に位置する存在だ。
マリとてそれは例外ではなかったが、元来の優れた容姿と相俟ってその制服姿は異様ともいえるぐらい見栄えするものだった。
思わず息を呑みそうになったが、平静を意識して軽口を叩く。
「まあ、サキュバスみたいな恰好してたら蹴り飛ばしてやる所だったがな」
「え?」
「昨日着てただろ? んで勝手に俺の押入れで寝てた」
「ああ、あれは私の“魔装甲”ですよ」
「魔装……お前戦争でもするつもりか?」
「念の為ですよ。備えあれば憂いなしと言いますし」
――だとしても物騒すぎるだろう。全然笑えねえ。
実物の魔装甲は初めて見たが、決戦用の戦闘鎧を持ち歩いてるなんて正気とは思えない。
(……まさか)
感じる悪寒は俺の脳内に警鐘を鳴らした。
上級魔族がフル装備で戦うほどの相手となると必然的に限られてくる。
「では、行きましょうか」
「ちょっと待て……」
「どうかなさいましたか?」
「…………」
「何もないのならその手を離して頂けますか?」
一見する分では争いとは無縁な平和そうな顔をしていたが、まず間違いない。
こいつはラファエルと一戦交えるつもりだ。
もしそんな事になれば天魔双方の穏健派が推し進める緊張緩和が水の泡になりかねない。
単にそれだけなら事が大き過ぎて他人事のように振る舞える自信があったが、もしも二人が戦った場合、マリは死ぬことになるだろう。
それだけはなんとしても阻止しなくてはならない! 絶対に!
「すまんが、ちょっと間ここにいてくれ」
「……理由は?」
疑うような眼差しに背筋がゾッとした。
その殺気からして説得はまず不可能。下手をすればこちらが殺されかねない。
(くっ……)
そのことで確信にも近いものを感じ取った俺は家を飛び出した。
困難だとしても二人の激突を回避できる手段があるとするのならば、ラファエルの説得をおいて他にない。
たとえ困難だとしても、俺にはそれしかできなかった。
「おはよう」
「悪いが、俺に付き合ってくれないか?」
「いいけど……」
良くも悪くもラファエルは壁を背にいつもの場所で俺を待っていた。
有無を言わさず強引にラファエルの腕をとった俺は可及的速やかにその場から離れようと試みるも、その結果は見え透いていた。




