母親が変質者を拾ってきたので、全力で元の場所へ返しに行こうと思います。
私には、“私”じゃないもう1人の女の子の記憶がある。
彼女の名前は小山加奈子。
県立高校に通っていた16歳の加奈子は、いたって普通の、どこにでもいるような女の子だった。
どちらかというと勉強が苦手なのに、見た目のせいで委員長の役を押し付けられ、それを流されるまま引き受けてしまったり、先生の雑用をこれでもかというほど押しつけられやすい性質をしてはいたが。
ただちょっと付け加えるなら、外で遊ぶより一日中家にいてネット小説を読んでいる方が好きだとか、普通の音楽も聞くし好きだけれどもロボットのような声で自由に歌う系の音楽も大好き。人よりちょっと持っている漫画の数が多くて、アイドルが大好きな少女たちと同じくアニメが大好きな女の子だった。
そんな小山加奈子は、高校2年生を目前にした春休みにトラックに撥ねられて死んでしまった。
そして“私”は、そんな彼女の生まれ変わりである。
生まれ変わりと言っても、どうやら同じ魂を使っているだけで“彼女”自身がここにいるわけではなかった。
私は“彼女”の人生をすべて体験してきたかのように覚えているし、考え方や感じたこともすべて記憶している。
けれどそれは、映画を見て主人公に共感してしまったような感覚で、私が“彼女”の人格に侵されていることもなければ、どこかしら全くの他人であるという感じ方さえしていた。
そんなわけで“私”は、前世の記憶を知識としてのみ受け継いだ、“ここに生きる”普通の女の子なのである。
「フィナンシェー!ちょっとお手伝いしてちょうだーい!」
ただちょっと、この名前だけは未だに受け入れがたい。
「――…母よ、何をしておられる?」
母から呼ばれて下の階へ降りて行った私が目にしたものは、異様な光景だった。
「いやいや!“母”なんて可愛くない!ニコちゃんって呼んでっていつも言っているでしょう!?」
…いつものことではあるが、30をとうに過ぎた二児の母親とは思えない発言にひとつ溜め息を吐くと、彼女が引っ張っているモノに目を向けた。
「――…で、今度は何を拾って来たの、ニコちゃん?」
「え?ネコちゃんだけど?」
「……………」
私には、変わった趣味をしている男の子にしか見えないのだけれど…。
彼女がネコちゃんだというそれは、綺麗な少年だった。
透けるような金茶の細い髪が母が動くたびにサラサラと揺れて、美少年さを醸し出すのに一役買っている。
閉じた瞼に続く睫毛は髪と同じ色をしており、遠目からでもびっしりとつまっているのがわかるそれは女の私よりも長かった。
妹が赤ん坊だった頃を思い出させる、赤ちゃんのような薄ピンクの唇はぷるんぷるんで、全体的に世界中の女の子に喧嘩を売っているようにしか見えない顔の造りをしている。
だが、そんな彼の頭とお尻には真っ白な耳と尻尾が生えていた。
おまけに服装は半裸だしどうやら気絶しているようで、いくら見目がよくったってこれじゃただのぐったりした変態さんと見る方が普通なんじゃないだろうか。
「そこの路地で倒れているのを見つけて拾ってきちゃった♡」
ハートマークを付けてそういう彼女の発言に頭が痛くなってきた。
いつもいつも、そののほほんとした性格に振り回されている私なのだが、ここは怒ってもいいよねぇ?
「いつもいつも、落ちてるからって無闇に拾ってきちゃダメだって何度も言ってるでしょう?元の場所へ返してきなさい!」
「いや!」
これ、世間一般で言うと構図が逆なのではないだろうか。
自分の武器をわかっているのかいないのか、うるうるとした瞳で見つめてくる母。
ズキズキと痛みが増した頭に手を添えながら“こいつらどうしてくれよう…”と考えていたところへ、妹の声が聞こえた。
「ニコちゃーん!」
とててててと駆けながら家に入ってきたのは、朝方友だちと遊ぶために家を出ていた妹のアーシェで、その手には原っぱででも摘んできたのだろう花々が握られていた。
「?」
そんなアーシェが玄関に入ってきた途端、見知らぬ者を目にとらえて首を傾げる。
「ネコちゃん?」
暫く考えていたようだったアーシェが発した言葉に私は愕然とした。
“ネコちゃーん!”と言って母と不審人物の傍に駆け寄って行ったアーシェは、きらきらな笑顔できゃっきゃと笑っている。
あれ?
ネコに見えないのは私だけ?
そんなふうに固まっていた私は第三者の登場で我に返る。
「すみません、遅くなりましたか?」
すまなさそうに玄関へ入ってきたのは、隣に住むライトム・テンリーだった。
彼の弟がアーシェと同い年で、休日の今日、弟くんと遊びに行ったアーシェのお守をしてくれていたのだ。
「あらあらライくん、今日はありがとね~。まだお昼ごはんも作れてないから大丈夫よ~」
笑顔でそう返す母とは打って変わって、不審人物が目に入ったのだろう、目に見えて固まったライトが呟いた。
「……変質者?」
その言葉に、思わず抱擁を交わしたのは言うまでもない。
ここ王都で司書をしている父親が帰って来て、今までついててくれたライトと一緒に食卓を囲みながら、客間で眠り続ける変質者の話題を振った母に父はこう答えた。
「いいんじゃないかな?」
はいでましたー、いつもの常套句。
ニコニコの母にデレデレの父は、楽しそうにのたまった。
「路地で横たわっていたなんて事情がありそうだし、本人が目覚めれば帰りたがるかもしれないし。ちょうど部屋も1つ余っていることだし、それまで預かるくらい家族が増えて楽しいじゃないか」
「猫耳ついてんだよ?半裸なんだよ?それでいいのお父さん!」
「僕の服でサイズ合うかなー?」
「そういうことじゃないし!」
すっとぼけた父親だな!!
いや、前からそんな気はしてたんだけどね?
この家に、私の味方はいない。(遠い目)
「大丈夫なんですか?」
突然、それまで黙々と食べているだけだったライトが口を開いた。
「見た目は少年といっても彼だって男ですよ?ジンさんは朝から晩まで仕事で家にいないのに、その間ニコさんたちの4人きりにしてしまってもいいんですか?」
そうだそうだ!もっと言ってやれ!!
と突然、背筋が凍る冷ややかな空気を感じた。
「僕の奥さんに手を出したらどうなるかってところはしっかり教育するつもりだから大丈夫」
……笑顔が怖いです、お父様。
それと、私と妹のことも忘れないでお父様。
食事も終わり、“そろそろ帰るよ”と言ったライトのお見送りとして一緒に玄関まで行くと、ライトは心配そうな顔を私に向け言った。
「大丈夫?」
どこまでもただただ私を心配してくれる彼の気に触れ、私は笑顔を向けた。
「うん。さっきはありがとね、反対してくれて。私の味方はいつでもライトだけだよ」
「…気を、付けるんだよ?いいね?」
「大丈夫大丈夫、夜はお父さんが家にいるんだし、朝になれば私は学校じゃない」
「そりゃそうだけど…。でも、フィーナが“気を付ける”って言ってくれなきゃ安心して帰れない」
珍しい、ライトがこんなごね方をするなんて。
ライトとは幼馴染で同じ学校に通っているんだけど、同い年にもかかわらず彼はいつも私の“兄”としての領分を発揮していた。
家族と仲が悪いわけではないし、家族の愛情も十分感じているのだけれど、目に見えて気にかけてもらえる存在というのは酷く私に安心感を与えてくれた。
それは年上の兄がいたらこんなふうなのかなと思えるやさしさで、とても温かい視線に素直にさせられる。
「…わかった、気を付けます」
そう言えば、ライトは苦笑した。
頭に手を置かれてくしゃくしゃと撫でられる。
「…また明日」
「うん。明日、学校でね」
そう言って去って行くライトの背を手を振りながら見送ると、自分の部屋に戻る前に客間の様子を窺っておこうと踵を返した。
何がどうしてこうなった。
「くんくん」
押し倒された状態で、首元に顔を近づけにおいを嗅ごうとする少年を呆然と見つめながら只今絶賛後悔中。
なんで私、様子なんて見ておこうと思っちゃったんだろう。
客間に立ち寄った数分前の自分を呪った。
いやだってまさか、開けた瞬間跳びかかってこられるなんて思わないし。
「いいにおい」
ほにゃりとした笑顔に思わず脱力しそうだ。
とりあえず身の危険がないことを知った私は交渉してみることにした。
「あー…、えっと、退いてくれないかな?」
「やだ」
いた!ここにもいちゃったよ!全然聞く耳持ってくれない子が!
「――…くぴー…ぴるるるる……」
「ちょっ!」
なんか私の上でまるまって本格的に寝入り出しちゃったんですけど!
え、あれ?寝付くの早くない?
私、あんたの座布団でもクッションでもないんですけど!!
どうしよう、と思っていたところで開きっぱなしの客間の入り口に現れた救世主。
見つめ合って固まる数瞬。
「え、ちょ、見捨てないでえ!」
わざわざ扉を閉めて出て行こうとする父親を慌てて呼び止めるのだけれど。
「大丈夫、危険はない」
いい笑顔で娘を見捨てるなぁあああ!!
結局少年を引き剥がすのに1時間もかかってしまった私は、くたくたになりながら自分の部屋に戻った瞬間布団の上に倒れ込んでしまった。
もう、絶対、客間に近づいてなるものか。
そう新たな決意を胸に私の意識は底なし沼へと沈んでいった。
その時の私には、この変質者の正体がネコ科の幻獣と呼ばれる一種であることも、平民である私が彼のお世話係として王宮に住み込むことになることも、宿題を忘れていたことも知らない。
知らないって、幸せ…。
影響されてないと言いながら言動が染まっている少女の話。