異質
最近読んだ物語とか小説とか漫画とかで、これ書きたいと思った時に書いた短編小説を「投稿すっか」と思い立って投稿しております。パロの場合もありますし、書き方とか台詞の言い回しとかもありますので、そういうものが苦手な方はこの前書きの時点で読むのをお止めください。
一応、今後も影響受けた作品があったら書くつもりです。
ちなみに今回影響を受けたのは、太宰治さんの「人間失格」という小説をテーマ(って言うのかは分かりませんが)にした某ライトノベル(1巻目が2006年初版だったはず)でした。詳しくは、活動報告の
ところで宣伝します(笑)。
私は、ただの道化でした。
私は、酷く道化でした。
例えようもなく、道化でした。
私は人の気持ちが理解できませんでした。こうしたらどう思うとか、ああしたら怒るだとか、泣くだとか、喜ぶだとか__自分にとって、気持ちや感情__主に喜怒哀楽だとか云ったものは、全く理解の出来ない、まるで野獣のように、目をギラギラと光らせ、涎を垂らすような、牙の生えた恐ろしいものと同義でした。
ある時、動物園で飼育されていた兎が死ぬまでを追ったドキュメンタリー番組を見ました。確か、道徳の授業であったと記憶しています。
母兎の胎内から生まれ、生暖かく濡れた、小さな命。序盤の映像だったというのに、私の友人であった少女は既に泣いておりました。何故泣いているのか、と尋ねると、彼女は涙の光る、黒黒としたその瞳を瞬かせて、こちらが居心地の悪くなるくらいジッと見遣りながら、「命は、尊いものよ」と、さも当たり前のように、まるでキリストの修道女のように厳かに、やはり泣き濡れた目を徐々に赤く腫らしながら、云いました。
母兎に、兄弟兎に、飼育員に、客に__愛でられ、慈しまれながら、大切に、大切に、成長していく白兎。何度も何度も毛が生え変わり、やがて白くふわふわだった毛が、ハリもツヤも失って黄ばみ、最期には呆気なくパッタリと息絶え、「今までありがとう」と涙ぐまれながら送り出される。
そんなシーンを見ながら、既にクラスメイトは泣いておりましたし、彼女も矢張り、十何枚目かのティシューを目許に当て、ただシクシクと泣いておりました。
その中では私は異質で、一切目を赤くすることなく、心の中を悲しみや嘆きが埋め尽くすこともなく、ただ呆然と、「何故泣いているのか」「何故嘆き悲しんでいるのか」と、心の奥底でひんやりした気持ちを押し隠して、少しの冷たさを以て見ているだけなのでありました。
その時には、自分の異質さを理解しておらず、ただ呆然とその様子を「あぁ、彼らは悲しいんだな」と享受して思うだけで、矢張りひんやりした心で辺りを見回していたものですから、回りはきっと「何で悲しまないのか」と思ったことでしょう。実際、当然ながら疑問に持たれたようで、そう、一人の少年から尋ねられました。何度も繰り返すようで申し訳ないのですが、私はその時、本当に、自分が他者とは違う、他者から見れば自分のこれは異質であると、ほんの一寸、ほんの一欠片とも思ってなどはいなかったのです。ですから、当たり前のように「私には皆が悲しんでいる理由が全く分からないのです」と馬鹿正直に答えてしまったのです。その時、少年は一瞬不審げに、そんな人間を見るように、どこか軽蔑的な視線を私に向け__恐らく無意識だったことでしょう__、「ふーん」と何の気も無いような声で、ただそう、私に云ったのです。
それ以外でも、私の異質さは悉く発揮されました。困ったことに、それは相手が皆であっても、グループであっても、1人であっても発揮されたものですから、クラスメイトは私と徐々に距離を置き始めました。
異質なものには近付かない方が良いというのは、酷く当たり前のことで、ある意味では人間の本能とも云えるでしょう。人間の本能は異質なものを悉く嫌い、排除する傾向があるのは、少なくはない自分の人生を生きてきた上で、何となくにではありましたが理解しておりましたし、私は漸く、やっと、そこで私が異質であると知ったのです。
知った後、私にとって幸いだったのは、その年が小学校を卒業する年であったことと、親の転勤が理由で、私が引っ越す予定であったことでしょう。また、素晴らしいことに私は普通より幾分かは頭が良く、例え感情がなくとも、ある程度、この時は悲しめば良い、その時は笑えば良い、と、判断が出来たことでしょう。その御蔭で、私は中学に入学してからは、「明るくて、剽軽で、馬鹿で、からかい甲斐のある奴」として認知され、まるで普通の少女のように、誰かと接することが出来たのです。感情を理解できない自分は、その仮面を被っている間だけは、「普通の」少女としてならば、そこにいることが出来たのです。
なのに、どうして、何故、出会ってしまったのでしょう。私が、道化のように愚かで、嘘や虚飾で覆い隠された、そう、まるでお化けのような異質であると、気付いてしまう存在に。
ここでは、その彼のことを、Nと呼びましょう。Nは賢くて、寡黙で、静謐な森のように美しくて、でも柔らかく透き通った、水鏡のような人でした。感情を爆発させるような人ではなく、いつも物腰柔らかで、紳士的、なのに人好きのするような性格の、私の理想でもあり、少しだけ私に似ていた人でした。
私はそう、似ていると思ったのです。こんな異質な、自分に。感情がまるで無いかのように、常に優しく、自分の道化の仮面のように、いつも穏やかな笑顔を浮かべていたから__。
私は、一抹の期待を持って、Nに話しかけたのです。
今でも覚えています。
放課後の、蜂蜜を流し込んだような金色に輝く教室、外ではサッカー部が練習をするときの、あの威勢の良い掛け声や、陸上部の歓声が絶え間なく響いて、夕陽に照らされた横顔は、相も変わらず静謐でした。
「貴方は私によく似ている」
そう云った私に、彼は瞬時に表情を消して、
「僕は、君とは、違う」
そう、一字一字、丁寧に区切って、云ったのです。
「僕は、君のように道化を演じたりしていないし、これが素だし、ありのままの自分を常に曝している。だから、君と、僕とでは、全く、違う」
私は愕然としてしまって、ああどうしよう、異質さを見破られてしまっていた、と、どこか冷静に考えておりました。
云いたいことを云って満足したのか、彼はさっさと帰ってしまいましたし、私もその日はどこか夢見がちな歩き方で、帰りました。
その日から、私はNに付き纏うようになりました。異質さを知ってしまったNを監視するためです。最初の内は、彼はいとも面倒臭そうに応対しておりましたが、月日を重ねるごとに、年を重ねるごとに、まるで、友達のように接してくれるようになったのです。__そう、本当に、最期の時まで。
◇◇◇
今、私は彼を看取りました。彼は私の生涯で唯一、私の異質さに気付いた人です。結局、彼は私を置いて、遠く遠くへと逃げてしまいました。そのくせ、最期の時には「僕よりもずっとずっと、遅くおいで」なんて云ったくらいにして、ああ、なんて「憎たらしい」んでしょう。私の体だってガタがきてるのを知っているくせに、もう、思い残すことなんて何一つ無いことも知っているくせに、彼は、「ずっとずっと遅く」と云ったのです。分かっているくせに、知っているくせに。
彼を悼むかのようにどんよりした雨雲が鎮痛そうな表情でしとどにこの街を濡らしている中、私はぼんやりと考えておりました。
「プレゼントだよ」
彼は最後の最後に掠れた声でそう云い、にっこりと、よく見ていた穏やかなあの笑顔を浮かべ、何も持たない手で私に「何か」を渡しました。
その正体を知りたくて、ずっとずっと、私は考え続けておりました。
綺麗な文章を書くことがとても上手い訳ではありませんが、それでも楽しんで読んでいただければ、私は嬉しいです。結構前回の投稿が前々回から見ると2ヶ月ぶりということもあったので、時々そういう話を挟んで何とか音信不通状態を無くせればと思っています……。そんな手慰みの話でも、いつも読んでくださる読者の方々のお暇つぶしになれば幸いです。それでは。