雨と子犬と、ふたりの距離
五回目のお見合いは、少し特別なものだった。
レオニウスの提案で、今日は城下町を“お忍び”で散策するという。
「外に出てみたい」と思っていたクラリスにとって、それは嬉しい申し出だった。
(……あの人と並んで歩けるなんて、ちょっと、夢みたい……)
けれど、天はその期待を裏切る。
午前中から降り始めた雨は、やがて本降りとなり、石畳を濡らしていった。
「……雨でも、行きますか?」
「ええ。傘があるので」
それだけ言って、レオニウスは従者に傘を二本用意させた。
そして二人は、しとしとと降る雨の中を歩き出す。
傘越しの世界は、どこかやわらかく、静かだった。
通りの人影もまばらで、ふたりの距離も自然と近くなる。
「……あの、伯爵様は……その……雨は、お嫌いではないのですか?」
「……昔は嫌いでした。だが、今はそうでもない」
「どうして……?」
レオニウスは少しだけ空を見上げて言った。
「……傘の下に、人がいるならば。濡れずに済むなら、それは悪くない」
その言葉に、クラリスは驚いて小さく微笑んだ。
彼は少しずつ、心の奥にある言葉を渡してくれている――そんな気がした。
邸宅へ戻る途中、突如、レオニウスが足を止めた。
そして、何も言わずに脇道へと歩き出す。
「あ……ま、待ってください!」
クラリスが慌ててついていくと、そこには――
濡れた地面にうずくまる、震える小さな子犬がいた。
「……!」
毛は濡れて泥だらけで、目は怯えきっている。
レオニウスは傘を静かに地面に置くと、躊躇いなく子犬に近づき、抱き上げた。
「屋敷に保護を」
近くに控えていた従者に短く指示を出すと、ずぶ濡れのままクラリスの方を向く。
「……戻りましょう。風邪をひきます」
「で、でも……あなたが……」
「私は、丈夫です」
その声は小さいが、どこか微笑んでいるようだった。
そして、邸宅へ戻る道。
一つの傘の下に、ふたりは並んで歩いた。
濡れた肩が時おり触れ合う。言葉はないが、心はたしかに近くにあった。
――だが、その穏やかな光景を、馬車の陰から一人の女が見ていた。
エリザ。
その瞳は、燃えるような怒りと嫉妬に染まっていた。
(あの冷血男が、なぜ……! あの子と……相合傘なんて……っ!)
拳を握る。爪が手のひらに食い込み、血がにじむ。
壊したくなる。すべてを。
エリザの中で、何かが――明確に、狂い始めていた。