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男達と馬も土砂に飲みこまれ、濁流のかなたへときえていってしまった。聖女が乗せられていた荷台は木の葉が舞うようにクルクルと濁流に流されながらも、なんとか飲み込まれずに大きな木に挟まり止まった。
「うぅうぅ、気持ち悪い」
回りすぎてフラフラする中、小鳥の鳴く声がまたした。顔をあげれば、大きな木の上で止まってないているようだった。
「光ってる……。あそこに登れって言ってるのかな?」
ー 光が導いてくれるのよ
ふと、夢で聞いた声がよぎった。
「光ってあの光る鳥のこと?」
どちらにしろ、荷台は泥水が浸水してきてい止まるのは危険だった。聖女は木にしがみつきながらなんとか上に登ると、足元で大きな音がした。
見れば岩が流れてきて、荷台を壊して流れていったところだった。
「わぁ……危なかったぁ」
勢いがおさまると森の中は、土砂で地形が変わってしまい道が消え失せていた。雨で濡れた顔を拭ってみると、べたりと手の甲についたのは血だった。
「え。どこか怪我してる? うそ」
気づくと余計ズキズキと痛み、出血のせいかフラフラとしてきてしまった。
「これって貧血? とりあえず、降りないと……」
不安定な木の枝から降りると、木の葉や枝ばかりの地面はまだ柔らかく、ぬかるんでおり踏みしめるたびに足が沈み込み泥水滲みでてきた。
「ピヨ」
光る鳥が目の前を通り過ぎ、土砂から飛び出している枝に止まった。
「こっちに来いってこと?」
聖女はフラフラとした足取りで光る鳥を追いかけた。薄暗さに顔を上げれば、曇天のせいで太陽は隠れていた。木々の影は闇のように暗く、進んでいく先はどんどん暗くなっていった。
「ピヨピヨロロロ」
早く来いと言わんばかりに鳴く鳥に、聖女は息絶え絶えに叫んだ。
「ちょっとまって! はぁ、もう、足がとられて歩きにくいだから」
泥とかした場所から脱出できても、森全体が雨でぬかるんでおり、疲れた足ではしっかりと足を上げられずに引きずるようにしか歩けなかった。
何より空腹で腹がなり、貧血のせいか目もかすみ、喉もカラカラだ。薄暗い森のなかで唯一判断できるのが光る鳥だけ。
「まって、はぁ……もう夜?」
汗を拭い、周りを見渡すと先ほどよりも暗く感じた。寄りかかろうと木に手を伸ばすも、空をかいてしまいそのままバランスを崩して倒れ込んだ。
思っていたほどの衝撃はなかったが、代わりに泥水が跳ねて顔が濡れてしまった。
「もう、むり」
ふわふわと頭上を光が飛んでいると思いながら、聖女は目を閉じた。
ぐったりとした体がふわりと浮かぶ感覚に、もう少し寝ていたいのにという思いと、息苦しさに寝返りを打つとパシャリと水音がし、目が覚めた。
起き上がれば、周りは暗く、いや光る花が周りに咲いていた。
「聖女様!!」
知っている声に振り返れば、クロードウィックが泥だらけの姿で立っていた。
「あ、クロードウィックさん」
手を差し伸ばそうとした手は宙に浮いたまま、クロードウィックに強く抱きしめられていた。ここまで走ってきたのか、やけに体が熱くそして汗ばんだ匂いがした。
「え、あの」
「よかった! よかった無事で! どこか痛む場所はありますか?」
「な、ないです。そういえば頭を怪我してたはずなんですけど」
「あぁ、よかった。綺麗に治ったんですね。ここは聖域なので聖女様の体を癒す効果があるんです」
そう言いながら、クロードウィックは軽々と聖女を抱き上げた。
「そ、そうなんですか。あの! 歩けますよ!」
「いえ、お疲れでしょうから運ばせてください」
重さなど感じないかのように歩き始めてしまい、聖女は揺れるのが怖く思わずクロードウィックの首にしがみついた。そして、微かに血の匂いがした。
「クロードウィックさんこそ大丈夫ですか? どこか怪我されてますよね?」
「怪我ですか?」
「はい、血の匂いがしますよ」
「あぁ、ここにくる途中、魔物に襲われたので、その匂いでしょう」
「え?! 大丈夫ですか?!」
「はい、これでも結構私鍛えているので、強いんですよ」
クロードウィックは笑顔で答えた。
なんだかご機嫌がよさそうな雰囲気に聖女は驚きつつも、精霊はどうなったのか聞けば、無事に仲裁ができたらしく、帰りの道すがら、濁流の方向を変えてもらい無事に帰って来れたという話をきけた。
「精霊ってそんなこともできるんですね」
「えぇ、機嫌がいいとしてくれます。とても気分屋なんですよ」
町に戻ると、木材や石材が運びこまれていた。大雨のせいで壁が壊れた場所ができたらしく修復作業に皆勤しんでいた。
「あの、エルケさんとイーノさんは無事ですか?」
「えぇ、彼らは無事ですよ。ただ、イーノが怪我を負ってしまいしばらく自宅で療養するために、エルケがつきそっています。なので今、屋敷には元騎士だった女性に待機させていますから、ご安心ください」
「よかった二人とも無事なんですね。あの、お見舞いに行っても大丈夫でしょうか?」
「んー聖女様を攫う者が現れたので、しばらくは外出は控えた方がよろしいかと」
「そ、そうですよね。あの……私この町にいてもいいんでしょうか?」
「もちろん。不安でしたら警備のものを増やします」
「いえ! そうではなく、あの、普通もしかして王都とか教会とかにいった方がいいのかなって思って」
「……神は聖女様が心安らぐ場所で過ごされることをお望みです。この町が不安でしたら別の場所に移動することも可能です」
「あ、いえ、なんというか」
クロードウィックの言葉に聖女は戸惑っていると、家に着いてしまった。彼が言った通り、スラリとした女性と引き締まった体の女性が二人いたのだが、二人とも軽々と薪の束を持っていた。
「「あ、領主様おかえりなさいませ」」
「あぁ、ただいま戻った。聖女様の着替えをお願いできるか」
「かしこまりました」
着替えと言われて、自分の服を見ると泥だらけのままだった。傷は治っても汚れは残るのかと聖女が思っていると、まさか女性にそのまま抱き上げられて浴室に連れてかれてしまった。
「あ、あの私重くないですか?!」
「いえ? 鍛えていますからご安心ください」
一人で洗えると言う前に、服は脱がされ泡だった石鹸で体を洗われてしまった。今回きた女性二人は、ブルーなとゲニラという名で、もともと貴婦人につく女騎士だったが、結婚後に退職し再就職としてこの家に勤めることになったそうだ。
「じゃー旦那さんも騎士なんですか?」
「私の夫は騎士ですが、ゲニラの夫は文官なんですよ」
「へー」
「しかもゲニラは最初、夫君を振ったんです。文系は苦手で話なんて合わないから嫌だと」
「文官っていうからには、小難しい話ばかりする人だったんですか?」
「えぇそうなんです! 最初はイタズラかと思ったそうですよ」
「ブルーナ! また人の恋愛話で盛り上がらないでよ、貴方と旦那さんとの恋愛話の方が面白いでしょ!」
「ブルーナさんの恋愛もすごいんですか?!」
「貴族の次男坊をコテンパにして、自分より強い男じゃなきゃ嫌って言ったら、そいつが騎士団に所属して強くなっちゃったんですよ」
「おーー!!」
二人とも気さくで恋愛話が大好きなようで、あっという間に聖女と打ち解け、二人の旦那さんとの馴れ初め話で盛り上がってしまった。
「すごいなー。愛ですね! 愛!! 憧れる〜!」
「聖女様こそ、どうなんです? 誰か気になる人はいないんですかー?」
「そうですよー。この町の男性達も結構いい男多いですよー」
「うんうん」
「そ、そうですか?! 全然気づかなかった。クロードウィックさんがかっこいいからなぁ」
後半思わず呟くと、二人はニヤリと笑みを浮かべた。
「まぁー領主様は美形ですから致し方ないですね」
「幼い頃は、男女共に熱狂的なファンがいたとか聞きますからね」
「あーわかる気がします! 絶対可愛いですよね! あんなの綺麗なんですもん」
「そうなんですよー。ちなみに独身ですよ。聖女様」
「ふぇ!?」
「うんうん。綺麗なお顔されてるだけでなく、結構鍛えていますから、男らしいでしょ?」
「お、男らしい?!」
二人の言葉に、ふと抱き上げられた時のことを思い出してしまい聖女は顔が真っ赤に染まった。
「そうですよー聖女様。領主様は美しい顔をしていますが、れっきとした男ですから」
「うんうん」
「そ、そ、そんなふうに見てないですよ!!」
「あははは、まぁまぁ冗談ですって」
「そうですよー。町の男性達もよく見てくださいね。結構いい男いますから」
「二人とも既婚者でしょ!!」
「あばはは、聖女様可愛い〜」
二人は笑いながら聖女に抱きしめて頭をなでなですると、そそくさと部屋を出ていった。
「もう! 二人とも! ってクロードウィックさん?!」
振り返ると、いつの間にかクロードウィックが壁に寄りかかっていた。
「ふふふ、もうあの二人と打ち解けられたんですね」
「いや、なんと言うか気さくで、楽しい二人なので」
いつからそこにいたんだろうと聖女が焦っていると、くしゃくしゃにされた髪の毛をクロードウィックが手櫛で整え始めしまった。
「あ、あの自分でできます〜!」
「もう直りましたよ」
そういうも、クロードウィックは1束手に持ったまましばし、見つめていると唇に髪の毛を当てて小さくつぶやいた。
「……かわいいですよ」
「へ?!」
至近距離からクロードウィックの顔と甘い声に聖女の思考はフリーズした。そして、とうのクロードウィックはご機嫌な様子で部屋を後にした。