4 クロードウィックの秘めた思い
クロードウィックは見終わった書類や本を全て、壁の中に作られた棚に仕舞い込むと扉を閉めた。鍵を閉めその上から絵画を被せれば、そこに棚があるとはわからない。
扉がノックされ、許可をするとこの家を管理する執事が入ってきた。
「旦那様。聖女様はお眠りになりました」
「そうか、ご苦労」
「明日も本邸に戻られるのでしょうか?」
「あぁ、親戚どもが五月蝿いからな。それに王都にも手紙を出さなければならない」
「左様でございますか……」
「何かあったのか?」
「いえ、些細な出来事ではあるのですが、町の子供が聖女様に旦那様と結婚するのかと聞いたそうです。近くにいた姉が気づきすぐに引き剥がしたそうですが」
「そうか……その子はどうするか聞いたか?」
「しばらくは聖女様と顔を合わせないようにさせるそうです。年齢が年齢のため隣町に移したとしても吹聴してしまうかのうせいがあるかと」
「そうか。聖女様が気にしてなければいいのだが」
「……」
「セバス報告ありがとう。下がって良いぞ」
「はい。失礼致します」
クロードウィックは大きなため息をついた。
「やはり子供連れはやめておけばよかったか。いや、町に子供が一人もいない方がおかしいだろう」
クロードウィックは顔を覆いながらぶつぶつと呟くも、また大きくため息をつくと顔を拭った。
「悩んでいても仕方ない」
そう呟くと次の日に備えて眠りについた。
*
次の日も聖女は変わらず、神の像に祈りを捧げこの地に住まう妖精たちが喜び騒ぎながら、彼女の周りを踊り回っていた。聖女にはもう見えていないのだろう。「今日もキラキラして綺麗ですね」と嬉しそうにいうだけなのだ。
「祈りが届いているのですよ」
「そうなんですか? だと嬉しいです」
聖女は今日も町で穏やかに過ごすのだろう。
朝食を済ませ、聖女は町にでかけ、クロードウィックは今日も仕事のために、必要な書類だけ持って、町民に扮している護衛と一緒に本邸へと戻った。
「公爵!! 聖女様はいつになったらお連れするのだ!」
本邸に入った途端、エントランスで待機していた叔父夫婦が怒鳴ってきた。
「叔父上。何度も言うように神の許可がない限り何人も聖女様の居住を移すことはできません」
「領内であれば問題ないだろう!」
「そうですよ、クロードウィック。双子の妹が亡くなっただけでなく、婚約者候補の令嬢にも会わず。聖女にばかり構ってどうするのです!」
「叔母上、言葉が過ぎますよ」
「何を言うのです。そもそも聖女が現れなければ、王太子との婚約は妹のツェツィーリアのままだったのですよ!」
「叔母上は侮辱罪で捕まりたいのですか?」
「なっ」
「そもそも、ツェツィーリアは体が弱いなか、派閥の者たちに無理やり王太子の婚約者にされただけです。ツェツィーリアも王太子殿下も婚約破棄がしたいとおっしゃっていたのに無視されたは貴方達だ!」
クロードウィックが怒鳴ると二人は苦虫を噛んだように顔を歪ませるも、まだ発言をしそうな空気を察し衛兵を呼んだ。
「叔父達のおかえりだ。外にご案内しろ今すぐに!」
「「はっ!!」」
「こら!! 離せ!!」
「ちょっと何をするの!!」
クロードウィックは喚く叔父夫婦を無視して、執務室へと向かった。
執務室にはクロードウィックが目を通さなければならない書類が従者達の手によって分けられ山になっていた。
そしてソファには優雅にお茶を飲む一人の男性が。
「なぜここにいるのですか。王太子殿下」
「クロード。そんなよそよそしい呼び方やめてくれ。今日はお忍びなんだよ」
「お忍びをしていいわけないですよね!」
「あははは、いやー相変わらず君の親族は大変そうだな」
クロードウィックが目配せをすると、部屋にいた従者達が一礼して部屋から出ていった。
「それで、なんのようです?」
「ひどいな元婚約者に対して」
「ツェツィーリアは死んだんです。今の俺はクロードウィックです」
「あぁ、わかっているさ……。俺の努力も認めてほしいね〜」
「……それで?」
「聖女様はお元気か?」
「えぇ、報告書は見られたのでしょ? あぁ、そうだ。ちょうどいいので今回お送りする報告書です」
カバンから取り出して王太子に渡すと大きなため息をつきながら、叩くように手紙を受け取った。
「ったく。お前は相変わらずだな。……そうか聖女様は記憶がないか」
「……」
「神力の方はどうだ?」
「微弱ながら祈りは届いています」
「癒しは?」
「試していないので不明です」
「なら、無いと言うことにしておこう」
報告書を読み終わると王太子はジャケットの内側に無理やり捩じ込んだ。
「報告書なんですけど。それ」
「あぁ」
「王にもちゃんと見せてくださいね」
「おう」
「はぁ……次の婚約者は大切にしてくださいね」
「気の強い御令嬢だから平気だと思うけどねー」
「そういう慢心がもたらした結果をお忘れですか」
「痛いとこをつくなぁー。わかったよ俺は退散するよ……。また神の怒りを買いたく無いからね」
「えぇ、買わぬようにしっかりと他の貴族の首輪を締めといてください」
「あぁ」
やっと部屋から出て行った王太子にクロードウィックは大きなため息をついた。
昔は幼馴染として、そして協力者として頼もしかった親友との関係は、大きな亀裂が入り表面上は元通りに見せてはいるが内面では深く割れたままだった。
「溜まった仕事。片付けないと」
やっと執務の椅子に腰掛けると紙の束から一枚抜いた。無心に、目の前にある仕事をこなしていく。
15年前まではこの地位にいるとは思っても見なかった。当時、公爵家の後継である兄がいた。そしてその頃のクロードウィックは娘として育てられていた。
お家争いを危惧した母親によって女の子として育てられていたのだが、成長とともに父親にバレた。本来ならそこで男として育てられるはずだったのだが、当時すでに娘として認知され、親族から王太子の婚約者候補として推薦までされ、最終候補というよりも決定になっていたのだ。
今更破棄なのできる状況でもなくなり、急遽双子の兄がいて体が弱く領地で療養していたという話を作り、同時に男性名であるクロードウィックの名が授けられつつ、娘も同じ病にかかり体が弱く、婚姻はいかがなものかという訴状をあげるも、その時になったら考えよという返答がきただけで、続いてしまったのだった。
なにより、美しい銀髪のツェツィーリアは中世的なせいか、令嬢からも人気があったのだ。だがずっと女装し続けるわけにはいかない。喉仏も小さいながらでき始め、首元を隠すデザインや装飾をして誤魔化しながら、一方でいつでも男として戻れるように、騎士としての訓練も始まっていたのだ。
幸いにも婚約者である王太子にバレた時、彼も婚約者探しに嫌気がさしていたので、いい人が現れるまでは風除け的な意味でツェツィーリアを利用したいと打診され、婚約者として続いていたのだが。
一変したのは国に聖女が降臨した時だ。
光る蓮の泉から現れる聖女。制服なる不思議な衣服を身に纏って現れた少女は、神聖さが滲み出るほど淡く光っていた。
国の歴史上、聖女は王と婚姻を結んできた。今代の王と婚姻を結ぶか、王太子とするか、もちろん貴族達の議題にあがり紛糾した。
王妃は息子と同じ少女なのだから王太子と婚姻すべきと宣言し一見落ち着いたかと思ったのだが、そうもいかなかったのが違う派閥だ。
「ツェツィーリアが婚姻することで一族がでかい顔をできるからな」
「兄上止めてくださいよ! 僕は男として生きていきたいんです!」
「わかってるさ。ただ、お前はいいのか?」
「なにがです?」
「ツェツィーリアとして聖女と仲良くなってるじゃないか」
「そ、それはもちろん、王太子の婚約者として聖女様とお茶もしますし、相談ものっていますから、彼女は聖女として一生懸命奉仕活動を行われてるんですよ! 先日なんて地方を巡っていらして」
「あーわかったわかった! お前が聖女大好きなのは知ってるよ。ただ、お前も令嬢の鏡と言われるほどに、生活してただろうが。だからこそ止めれたらとっくに止めてるよ。父上だって親族会で毎回怒鳴ってるんだぞ」
当時、兄に相談するも、娘が息子だったと王に進言するのはかなり危険すぎたせいか、病弱な令嬢というカードを見せても親族も納得せず。
婚約破棄は決定事項に近い状態だったにもかかわらず、とうとう聖女に手を出す貴族が現れてしまったのだ。
「聖女様が狙われた!?」
「即刻とらえて処刑した。君は、ツェツィーリアとして聖女を慰めてくれ。男の人を怖がってるんだ」
「わかりました」
王太子に言われ、ツェツィーリアとして聖女に会いにいくと、泣きながら謝られてしまった。
「ど、どうしたのですか?」
「私が来たせいで、ツェツィーリアさんが婚約破棄することになったって。私が来たせいで」
「違います! 寧ろありがたかったんですよ?! 私と王太子の間に愛なんてありませんし。持病を抱えていますの、結婚なんて無理なんです。できれば今すぐにでも、領地に引き篭もりたいくらいです」
「そうなんですか? でも」
「聖女様、誰に何を聞かされたのか存じませんが、私は聖女様の親友です。聖女様が王太子と結婚したく無いと言うのなら、おっしゃってください」
「えっと、結婚とかは全然考えられなくって、でも彼はいい人だよ」
「でしょ!」
同意しながらもクロードウィックは胸がちくりと痛んだ。こんなに相談にも乗って仲良くなっても、所詮女友達なのだ。今更男だと告げることもできず、良き相談相手として聖女と接することしかできなかった。
しかも聖女が危険に晒されているのが、自分たちの派閥だと言う状態だ。このままではいけないと言うことで、ツェツィーリアが病で倒れたと言うことで領地で静養することになった。
「聖女様?!」
「えへへへ、きちゃいました」
まさか、聖女の仕事として領地に来るだけでなく、療養地である屋敷にまで来るとは思いもしなかった。急いでツェツィーリアになるようにと言う手紙がきて、慌てて女装したのだが。
「ツェツィーリア、日に焼けたね! あ、貴族はダメなんだっけ? 健康そうな肌になったから、病気はどう?」
「あ、えぇ、田舎の空気があっていたのか。体調が少し良くなってますわ。毎日町に出てお散歩しているから日に焼けてしまったみたい」
「そうなんだ! でもここの町いい雰囲気だよね! 私もこんな街に住みたいなー」
「あら、王都よりもですか?」
「王都は王都で楽しいけど、出歩くのが大変じゃない? ここの町の人たちは気さくでいいよね」
「もしかして誰か失礼な態度を?!」
「ううん。そう言うのじゃ無いの! 私が聖女って名乗らなかっただけなの、聖女の侍女としてお見舞いに来ましたーってえへへ」
「まぁ! 聖女様は意外に悪い子でしたのね」
「そうみたい」
クロードウィックはしょうがないなぁと思いながら、久しぶりの聖女との交流を楽しんだ。王太子との関係は恋人というよりもビジネスパートナーとしかやっぱり思えず、王太子のほうもそんなもんだろうという感じらしい。
「まぁ! 今度私から怒りのお手紙をお送りしますわ」
「いいよー。だってお互い好きとかわからないもの。ただ、私の力がこの国には必要でしょ? お祈りするたびに、結界が強化されて魔物達が侵入できなくなるんだもん。それに精霊達が元気に飛び回ってるのを見るの好きだし。
そう言いながら、周りを見回した。
「この町って大きな山が近いせいか、精霊も多いよね」
「あぁ、この近くに森の聖域があるんです」
「森の聖域? 私が来た森とは別の?」
「はい、この国には4ヶ所森の聖域があるんです、王都の近くと各公爵領の中に3つ」
「そうなんだぁ」
「えぇ、入るためには森の精霊の許可が必要ですけど」
「いいよー。王都の精霊はすぐ脅かしてきて大変だったし」
「ふふふ、そうでしたね」
「ねぇ、ツェツィーリア。王都には戻らないの?」
「今は戻れませんわ」
「だよねー……」
「すいません。貴族達の争いに巻き込んでしまって」
「いいのいいの。ツェツィーリアのご家族にはとても良くしてもらってるし!」
手を振って気にしないでと笑顔を向ける聖女が最後に見た姿だった。
あの時一泊させればよかったと後悔しても遅く、夜半に慌てた騎士が町にきて伝えたのは。
「公爵様ご家族並びに聖女様が襲われました!!」
急いで騎士を連れて屋敷に戻れば、争った後が残るエントランス、そして床に倒れている物言わぬ使用人と騎士。赤茶色に染まる床からは、錆びた鉄の匂いに似た湿った嫌な匂いがたちこめていた。
屋敷の奥に進めば、血だらけの兄が聖女を庇うように覆い被さっていた。
「兄上!!!」
「クロード……聖女を深淵…っの森にお連れ……しろ」
「何を!!」
「早くしろ! まだ微かに息がある。だが、このままでは死んで、しまうだろう」
「兄上は!!」
「俺は、はぁ……もう、無理だ。すま…ない、後始末をたの…んだ……」
兄は息絶え絶えに伝えるとクロードウィッグの腕に重く沈み込むように倒れてしまった。まだ微かに息はあったが、兄の腹には深々と折れた剣が突き刺さっており、抜いても抜かなくても致命傷の場所だ。
聖女は頭から血を流し、気を失っているが微かに息がある程度。腕や足には浅い傷がいくつもあり出血がひどかった。
クロードウィックは歯を食いしばり顔を上げると、連れてきた騎士に命令した。
「お前達は兄上の治療と父上を探せ! 残党がいた場合すぐに殺せ!」
「「はっ!!」」
「俺は聖域の森に行く」
来た道を急いで戻りながら、腕の中ではどんどん冷たくなっていく聖女に恐怖が湧き起こった。
「だめだだめだめだ。絶対に死なせない」
落としてしまわぬように、マントで聖女を包み片腕で強く抱きしめながらひたすら馬をかけた。夜の冷たい風が喉にしみ、涙で視界が歪んでしまっても、ただただひたすらに駆けた。
朝日が昇る頃、森の入り口にたどり着くと、濃い緑のベールを被った妖精が立っていた。
「助けてくれ!!」
クロードウィックが叫ぶと妖精は頷き、森の奥へと導いた。
震える足を叱咤しながら、聖女を抱きしめたままその後を追いかけた。
真っ暗な森の聖域は普段なら恐れ多く、吸い込まれてしまいそうな深淵のような暗さに足を踏みこむことも躊躇してしまう場所だが、クロードウィックはそんなことも忘れ足を踏みしめた。
ただただ、真っ直ぐに目を向け淡い光を放つ妖精の後を必死に追いながら辿り着いたのは、蓮が咲く黒い泉。
振り返った妖精は泉を指差した。
「ここに寝かせろと?」
コクリと頷いた。
クロードウィックは静かに泉の中に入った、水底は泥のようで足がもつれそうになりながらも、妖精が刺した場所まで行くと、恐る恐る聖女を寝かせるようにおろすと、ふわりと泉の上に浮かんだ。
「神様お願いです。聖女様を、楓をどうか救ってください。必要なら私の命も捧げます、どうか!」
クロードウィックはズボンが汚れるのも気にせず、跪きながら祈った。
「お願いします。お願いします」
何度も何度も口にしながら祈っていると、ぴちゃん、と雫が落ちる音が大きく響いた、驚いて顔を上げると、ゆっくりと聖女の体が泉の中へと沈んでいった。
「待ってくれ、楓をどこに!?」
思わずその体に触れようとするも、精霊が手を差し出して止めた。そして首を横に振ったのだ。
『神の怒りが落ちます』
「この声は精霊様?」
『貴方は待てますか?』
「何を……」
『貴方は待てますか?』
同じ質問がされ、クロードウィックは聖女、楓が飲み込まれてしまった泉の闇を見つめた。
「待てます」
『時が来たら神から告げられます』
その言葉と共に突風が吹き荒れ、思わず顔を腕で庇うと風が止んだ。周りを見渡せば、森の入り口、そして陽は上がりとっくに朝を迎えていた。
唖然としながらも、もう一度森に入ろうとするも外に追い出されてしまった。
「待つしか無いのか……ならばずっと待ち続けよう」
屋敷に戻れば、兄と父親は棺に入れられていた。
生き残った公爵家の子供はクロードウィックのみ、自動的に公爵家を継ぐことになった。そのあとは、クロードウィックにとってただ流されるままに、全て処理をすることだけだった。
まずは今回の事件を起こした貴族の静粛。そして神からの怒りというのは、クロードウィックが聖域にいた時に落とされていた、王国をあっという間に暗雲が立ち込め事件を起こした貴族の家々に雷が落ち燃えたのだった。
*
「失礼します。旦那様」
「……っなんだ」
声をかけられ、クロードウィックはハッとした。夢中になって書類に目を通していたことに気づき、時計を見ればもう昼を過ぎていた。
「軽食と、お手紙です」
「ありがとう」
軽食をつまみながら、手紙の束を紐解いた。
見合いの打診が半分、残りの半分は王都への復帰を説得する内容の手紙だ。
それもそうだろう。聖女の再臨時に神は聖女が望まぬ限り、その地から離れぬことを許さないと告げたのだ。
そして再臨したのは、あの日クロードウィックが連れて行った深淵の森の聖域。
侍女の話では、体にうっすらと傷跡が残っていると言う話だ。あの泉の中で体を癒したのだろう、でも再臨した聖女は何もかも忘れていただけでなく、光り輝く神力が衰えていた。
「これ以上彼女を巻き込ませるわけにはいかない」
あの事件以来、クロードウィックは王都には貴族の義務として最低限にしか出仕せず、ずっと領地に引きこもり、聖女のために準備して過ごしていた。
何より、町で平穏に暮らし、子供達と楽しげに戯れる彼女の幸せを壊したくなかった。
「楓……何も思い出さないでくれ」
思い出せば、恐怖や辛い思い出までも蘇ってしまう。何よりも、ツェツィーリアの存在はあの事件の時に、死んだことにしたのだ。
心優しい彼女が思い出せば、ツェツィーリアの話になってしまうだろう。だからこそ、思い出させてはいけないのだ。
貴族達に丁寧な断りの手紙を何通も書いて、クロードウィックは使用人達に二度と叔父夫婦を屋敷に入れないように言明し、聖女が住む町へと戻った。
「今帰った、聖女様は?」
「おかえりなさいませ、聖女様はお休みになられました」
「そうか、今日も変わりなく?」
「はい」
その言葉を聞きながらも、クロードウィックは聖女の部屋に入った、すやすやと眠る聖女の顔を見るたびにホッとするのだ。
また、闇の中に取り込まれて自分の目の前から消えてしまうのでは無いだろうかと。
「ただいま戻りました。聖女様」
眠る聖女に声をかけて、クロードウィックは部屋を後にした。
翌日、楽しそうな声でクロードウィックは目が覚めた。
居間に降りると聖女と侍女頭が何やら楽しげに会話していた。
「聖女様〜それは猫に見えませんって」
「えーうそー!」
「狐に見えますよー」
「何をしているんだ?」
「あ、クロードウィックさん! おはようございます」
「おはようございます。旦那様、ちょうどパンケーキが焼けて、遊んでいたんです」
そう言って見せてくれたのは丸いパンケーキの周りに切ったパンケーキやフルーツで動物の顔を作っている最中だった。
「朝から……」
何をしているんだ、と言う言葉は、聖女がウキウキ顔でクロードウィックを見つめてきたため、思わず飲み込んでしまった。
「これは……きつね?」
「ねこですー!! もうー」
「そうなんですね、私はお腹が空いたので朝食を食べたいのですが、デザートだけというのはちょっと」
「あ、そうですよね」
「いますぐ用意いたします!」
二人が慌ててテーブルに朝食を並べ始めた。表情がコロコロ変わり始めた聖女の様子にクロードウィックはホッとしていた。ふざけられるほどになったのだと思うのと同時に少し寂しくもあった。
「聖女様も朝食を作られていたのですか?」
「何ができるかわからなかったので、いろいろ試してみようと思ったんです!」
「そうでしたか、あまり無理をなさらないでくださいね」
「大丈夫です!」
にっこりと元気に笑う聖女にクロードウィックも思わず顔を綻ばせた。
王都にいた時の聖女はどこか緊張した面持ちで、聖女として責任感からか、いつも周りに気を配っていた。息抜きに出かけても、楽しそうに笑っていても、ふとした瞬間どこか寂しげな瞳をしていた。
記憶を失った聖女からは、その寂しさは消え純粋に楽しんでいる姿を見るだけでクロードウィックは幸せを感じていた。
(これからは、ずっと笑顔で過ごしていてほしい)