16
目が覚めて一番最初に思ったのは知らない天井。
「……そうだ。公爵家に来てたんだ」
聖女は起き上がって周りを見渡した。白とピンクを基調にした壁紙のおしゃれな部屋だ。ベッドから降りて、窓のカーテンを開けると、広大な庭が見えた。
「ひろ……」
朝を告げるように鳥達が鳴き、遠くの方で馬の嗎が聞こえた。窓を開ければ、爽やかな朝の風が頬を撫でていく。なんだか懐かしい香りに、聖女は大きく深呼吸をした。
しばらく外を眺めていると、扉をノックする音が聞こえ返事を返せば、ブルーナがカートを押して入ってきた。顔を洗うためのお盆と水差しが用意され、聖女はびっくりしながらも顔を洗い、朝の身支度を整えると今度は町できていた服とは違い、華やかな柔らかい生地のおしゃれなワンピースに着替えさせられた。
ここでは町といろいろ勝手が違い、お姫様のような待遇に聖女は焦った。
「こんなつもりじゃなかったんですけどー」
「何を言いますか、本来ならこのくらい当たり前だったんですよ。ただ領主様が聖女様がなれるまでは、町の方が良いだろうということで、あの家を用意されたようですよ」
「そうだったんですね」
確かに最初からこっちにきていたら、怖くて部屋から出れなかった気がすると聖女は思いながらブルーナから今日の予定を聞いた。
朝食の後、この庭の中にある精霊がいる場所に案内してくれるそうだ。
ブルーナに案内されながら朝食場所へと向かう。邸宅内は美術館のようで見ていて飽きなかった。ブルーナが知る限り説明をききながら、いろんな絵画や花器があり、壁紙も美しくしく「すごい」と思わず口に出してしまうほどだった。
到着した部屋はまるでホテルの朝食会場のように、白いテーブルクロスがかけられたテーブルに綺麗な花々と食事が並べられていた。
そしてクロードウィックが、町にいた時と違って貴族らしく装飾が施されたジャケットを羽織り、窓の外を眺めながらお茶を飲んでまっていた。
まるで絵画の中の王子様のように美しく、かっこいい姿に聖女は見惚れてしまい、足が止まってしまった。
室内にいた執事らしき男が、クロードウィックに耳打ちすると聖女に気付いて振り返った。
「おはようございます。聖女様、すいませんすぐに気づかずに。ゆっくり休めましたか?」
「いえいえ、お待たせしてしまってすいません。おはようございます。えと、ぐっすり眠ってしまって、遅くなってすいません! あの、クロードウィックさんのその姿、森の聖域で見つけてくれた時いらいですね」
変なことを口走ってしまったと思いながら後悔していると、クロードウィックが自身の姿を確認してから、申し訳なさそうに言った。
「普段はラフな格好をでしたから、すいません。こちらの方が好みでしたか」
「いえ、どちらも素敵です! そうじゃなくってえと、素敵です」
「! ありがとうございます」
にこやかに笑う姿が、ちょうど窓から入る朝日に照らされてキラキラと輝いて見え、聖女は思わず両手で顔を覆ってしまった。
「はう……」
クロードウィックが格好いいのは前々から分かっていたが、町にいた時はラフで質素な姿をしていたのと家の中も豪華ではなかったのが幸いして、ただ格好良い人だったのだと痛感した。
髪の毛も整えられ、背景も服装も完璧になってしまうと美しさが倍増してしまうだけでなく、ふだんはふんわりと笑みを浮かべていたのに爽やかな満面の笑み直視してしまい、目がぁ目がぁ!という状態になってしまった。とても眼福なのだが、心臓によろしくないのだ。
「聖女様?」
「……領主様、聖女様には旦那様の笑顔にまだ耐性がないんですよ。町にいらした時は極力押さえていらしたのに」
ブルーナが聖女の後ろからそう注意すると、クロードウィックはしょんぼりとした顔で席に着いてしまった。
「ブルーナさん! そんな、あの!」
「大丈夫ですよ聖女様。領主様の笑顔で倒れなかっただけ偉いです。貴族の女性は一発でノックアウトされて倒れて大変なんですから」
「え、そうなんですか」
「えぇ、あるいみ兵器です」
「ブルーナ」
「すいません。おしゃべりがすぎましたね」
ブルーナは一礼すると壁に並んでしまった。聖女は、食事する姿も美しいクロードウィックに終始顔が暑くて仕方なかった。朝食の味はさっぱりわからないなか、食べ終わると、そのままクロードウィックと外出することになった。
「え、馬ですか?! しかも前に座るんですか?」
「はい、馬車では移動しにくいので馬での移動になります」
聖女は、二人乗りするなら自分は後ろでしがみつきたいと言いたかったのだが。すでに用意された鞍の雰囲気的に二人乗りよう。さらに用意された馬は軍馬らしく、クロードウィックの身長よりも大きい馬。もちろん乗るためには、台が必要なほどだ。
無理だと振り返った瞬間、クロードウィックに腰を掴まれ軽々と馬の上に乗せられてしまった。そして、彼もそのまま馬上の人になると、聖女を抱き寄せ座る位置まで調整した。
「足はここに引っ掛けてください。手はここに」
聖女は横乗りの状態で、鞍にしがみつくような状態だ。視界の高さで怖いのに不安定な馬上で怖さ倍増である。クロードウィックはゆっくりと馬を走らせ始めた。背に感じるクロードウィックの体温と、顔のすぐ近くに顔があるのも心臓に悪い。
「聖女様、顔をあげてください。空が綺麗ですよ」
「それどころじゃ……わぁ」
ないと言いかけて、クロードウィックに軽く抱き寄せられた反動で見上げた先には、美しい青空と風に揺れる木々と花々。新緑の季節で全ての色が鮮やかで美しい自然豊かな景色だった。
「綺麗」
ふと、前にも同じように馬で二人乗りで駆けたような気がした。少し横を見れば、クロードウィックの顔が見える。風にたなびいた髪、ふと前は長い髪の毛を三つ編みにしていたような気がした。今の彼は髪の毛は短くがっしりとした男らしい顔つきだ。
「……」
過去の記憶なのか今の感情なのかわらかないものが入り混じり、聖女はぼーっと周りを見渡した。
目を瞑れば、笑い声が聞こえる。
少女たちの笑い声、誰かが注意する声。
「……変わらない」
聖女がふと呟いてしまった言葉をクロードウィックは聞き、少し寂しげな顔をしながらも頷いた。
「……ここは変わりません。精霊が住んでいるんです。ずっとこれからも」
辿り着いた先は、教会のような建物。
その中には石の棺が並べられていた。歴代の公爵家の人間が眠る場所。
読めない文字のはずなのに、聖女はある墓石の名前だけ読むことができた。
「私、この文字だけ読める」
「……」
「ツェツィーリア……」
愛称はセシルというのよ。頭の中で響いた女性の声に聖女は文字に触れながら呟いた。
「あぁ、そうだ。ツェツィーリア、愛称はセシル」
「双子の妹です。政権争いで亡くなりました。……この先に霊廟の奥に精霊が来てくださる場所があります。行きましょう」
聖女は双子と言われて、何かひっかかりを覚えた。もやもやとする思いのまま、クロードウィックについて奥へと進むことにした。
奥には白い石で覆われた部屋の中に、水が湧き出ていた。湧き出る場所には淡いピンク色の花が遊ぶようにゆらゆらと一輪咲いていた。
「おはようございます」
クロードウィックが声をかけると、花からふわりと美しい精霊が現れた。
「おはよう。聖女を連れてきたのかい?」
「はい。聖女様、この方がこの地域を収める精霊です」
「は、初めまして!」
「ふふふ、はじめましてではないよ。貴方とは前に何度か会っている」
「そうだったんですね。あの、私、今過去の記憶がなくって、知りたくてここまで連れてきてもらったんです」
「ふむ。過去の記憶ね……。知ってどうするんだい?」
「それは、みんなが私によくしてくれるです。でも私は何も知らなくて申し訳ないですし、私のせいで危険なことが起きてるみたいだし」
「皆好きでやってるのだから、気にせず暮らせば良いだろう」
「そういうわけには……」
「ふ、はははは! おもしろいな。記憶を失っているというのに本質は変わらないようだ」
「精霊様、聖女様をあまり揶揄わないでください」
「おや、君が全部過去を話せばいいだろう?」
「……私は、全てを知っているわけではないですから」
「ならば、お前は外に出ておれ、聖女と二人っきりで話す」
「……わかりました」
「え!?」
クロードウィックは会釈すると退出してしまった。
「捻くれ者がますます捻くれたな」
「あの、精霊様。クロードウィックさんは、その、私にはあまり過去を思い出して欲しくないみたいなんです」
「そりゃーそうだろうさ。過去の恥ずかしい話も話さないといけない。まぁーそれだけじゃないだろうがね。それで何が聞きたいんだい?」
「それは……過去の私は何をしてたんでしょう。聖女として魔獣の討伐をしていたような夢は見たんですけど」
「夢の通りだよ。君は魔獣の討伐に参加していた。ここにきたのも、公爵領での魔獣討伐のさいに私の力を借りき似たときに来たんだ。ツェツィーリアと一緒にね」
「ツェツィーリア……セシル。私、あまり彼女のことを思い出せなくって」
「とても仲が良かったよ。まるで恋人同士みたいだった」
「恋人?! えっと彼女はお姫様ですよね?」
「あぁ」
そう言いながら何故か精霊はニヤニヤした顔で聖女を見た。
「僕からも質問いいかな? 君はクロードウィックとはどういう関係ないんだい?」
「え? 関係って、保護してもらっている立場なので。関係といっても……」
聖女がんーと悩んでいると、精霊はおかしそうに笑った。
「いやー面白い。やっぱり人は面白いね」
「何が面白いですか?」
「ふふふ、さぁ。それよりも君は過去を知りたいだよね。他には?」
「……私は聖女としてこの世界に呼ばれたのだとしたら、その前はどこにいたんですか?」
「それは僕も知らない。ただ言えるのは、この世界に呼ばれる聖女は皆一度死んでいるということだけさ」
「死んでいる?」
「そう、何かしらの事故、事件で亡くなったものがこちらの世界に呼ばれている。僕があった歴代の聖女はみんな死んだ時の記憶があったよ。それでこの世界でがんばって聖女としてのお役目を全うしてたね。神も残酷なことをするよね」
最後の一言はつぶやくような声だったが聖女の耳にも届いた。
「……元の世界には戻れない」
優しい笑みを浮かべて精霊は聖女に告げた。
「そう。だから記憶を取り戻す必要はないんじゃないかな。死んだ時の恐ろしい記憶なんて知らない方がいいよ」
「でも、でも……知らないと、私を狙う人たちをどうしたらいいか」
「クロードウィックが君を守るさ。そのために彼は勇者になった。その試練を乗り越えたんだから」
「勇者?」
「あれ? 話してないのか。へー……勇者は聖女を守る者だよ。聖女をずっとね裏切ることは許されない。宿命。何よりも君が拒絶しない限り、彼は君を絶対守るだろう」
「クロードウィックさんには領主としての仕事もあるんです」
「へーそれで?」
「え?」
「僕は精霊だからよくわからないけど。あいつは君を守るために勇者になった……」
そういった後、精霊はクルクル回りながら考えるポーズを取ると、ぴたりと止まって聖女を見ていった。
「それって君が望んだことでもあるんじゃない?」
「私?」
「んー……ん〜!! 周りの精霊どもが煩い!煩い! 僕のところに来たんだから僕が好きに答えるだよ!」
「ど、どうしたんです?」
「もうー僕はね。面白いことには手を貸す主義なの」
「は、はぁ」
「君はクロードウィックのこと好き?」
「へ?!」
顔を真っ赤にして声を詰まらせる聖女に精霊は大きなため息をついた。
「人間って本当面倒だよね。好きなら好きって伝えなよ」
「そ、そういうのは」
「また後悔するよ」
「え」
聖女が驚いていると、精霊はぽちゃんという音と共に姿は消え、水の上にあった花は萎んで水の底へと消えてしまった。
『ちょっと周りの精霊がうるさいから殴ってくる。またね』
精霊の声が頭に響くと同時にクロードウィックが部屋に戻ってきた。
「精霊様! ほどほどにしてくださいよ!!」
『そういうのは周りの精霊どもに言えよ』
「えっと、どういうことですか?」
「すいません。聖女様、ここにくる精霊は少々やんちゃなんです。ですが人の言葉を話してくださるので意思疎通もしやすくて良い方ではあるんです」
「へー」




