15
揺れる馬車の中、聖女は不安で心が揺れていた。過去を知りたくて、勢いで言ってしまったと思いながらも、それでも知らずにずっと周りに守られてばかりでいるのも辛いのだから、知ることは大事だと思い直したりと悶々と悩み続けていた。
「聖女様、もう少ししたら休息所があるので、体をのばせられますよ」
「そうなんですね」
ブルーナの声かけになんとか返事をしつつも、聖女の視線はずっと窓の外に向かっていた。その視線の先には、馬上で周りを警戒しながら兵士たちと何か会話をしているクロードウィックの姿。
「……領主様と一緒が良かったですよね?」
「え?! ち、違います。私のわがままのせいでこんな大事に」
「わがままじゃないですよ!」
「でも」
「聖女様。領主様がもし聖女様の過去を巡るのを禁止されてたら、私たちが攫って巡るつもりでした」
「え?!」
「だって、聖女様には知る権利があります。それに、一番の我儘を通してたのは領主様ですよ?」
「え?」
驚く聖女にブルーナは苦笑した。クロードウィックの我儘にあの町全員が加担したのだ、もちろんんそれはブルーナ達も入る。
「……苦しいこともたくさんあったって領主様は言いましたが、それと同じくらい楽しいこともあったはずなんです。聖女様にとって過去が全部苦しいだけじゃないって私は勝手に思ってるだけかもしれませんけど」
「ブルーナさん」
「ツェツィーリア様と一緒にいた時の聖女様はとても楽しげでした」
「ツェツィーリアさま?」
「領主様の双子の妹です。とてもよく似ていましたよ」
その言葉に聖女はまた窓の外にいるクロードウィックを見つめた。
彼に似た女性。
なんとなく、懐かしいようなどこかで見たような気がするのに、まるで靄がかかったようにその先を思い出すことができなかった。
「会いたいな」
「……きっと侯爵邸で領主様からお話してくださいますよ」
「してくれるかな。クロードウィックさんは、私に過去を見せたくないって言ってたし」
あれからずっとクロードウィックの表情は硬いままで、時々辛そうな表情をしている時もあるのだ。
そのたびに、自分は間違ったことをしてしまったかもしれないと思い悩んだ。
「もう! 聖女様はもっとわがままでいいんですよ! 領主様が惚れてるんですから、甲斐性を見せるべきなんですよ」
「ありがとう」
聖女はブルーナにお礼を言うとちょうど馬車が停止した。休憩のために馬車から降りれば、お尻が固まって痛いことに気付かされる。
お尻を叩いてほぐしながら、そういえば前にもこんな経験をしたような気がした。
「……あの時は一人だった気がする」
「聖女様?」
「ううん。なんでもないよ」
きた道を振り返れば、何処までも続く草原と遠くに見える森の景色に既視感を感じ、一瞬自分が何をしていたのかわからなくなった。
「……遠い」
前に見た時は、一人で寂しかたという思いが湧き起こった。
「懐かしいね。昔俺もここを通ったよ」
「お前は黙ってろ!」
ギオスは縄に縛られた状態で簡素な荷馬車に繋がれたままだった。兵士に怒られ、舌をぺろっと出しながらも大人しく捕まったままだ。
彼は自分が聖女だと知ってしまったために捕まったようなものだ。だが、彼なら簡単に逃げられるはずだと聖女は勝手に思っていることに気づいた。きっとこれも忘れた記憶の中にある情報なのだろうと一人納得していると、クロードウィックが聖女にお茶を差し出した。
「お疲れでしょう」
「ありがとうございます。こんな大所帯になるなんて」
「これでも小規模ですよ」
クロードは小さく笑うと一緒にお茶を飲んだ。
「あと四時間ほど走らせれば公爵邸に着きます。夕方になると思うので、明日屋敷の中を案内します」
「あの、やはり馬車ではなく馬に乗った方が早くついたんでしょうか。クロードウィックさんはいつも公爵邸を行き来してたんですよね?」
「あー、私一人であればすぐに着きますが、それは森の加護をいただいているので、通れるだけなんです。なので本来の道はこれであっています」
「森の加護?」
「はい、公爵家の直系にだけ与えられた、要は近道への通行権みたいなものですね」
「そうなんですね」
すごいな、と聖女が関心しているとクロードウィックは何か言いかけようとして、兵士に呼ばれて離れていった。
「……森の加護かー」
聖女は改めて不思議な世界だと思いながら残りのお茶を飲み干した。
しばらくしてまた馬車に乗って移動だ。
少しずつ建物が増え、羊や牛をみかけるようになってくると、城壁が遠くの方に見えてきた。ブルーナ曰く、公爵家直轄の街の壁らしく、魔獣や森の獣の侵入を防ぐためにあるものだと。
道にも人がちらほらといて、馬車や馬で移動している人が多くなっていた。
街に入れば人々で賑わっており、大通りは少し渋滞もしている。
「すごい」
「ここ数年で人が増えたんですよ」
「そうなんですね」
「魔獣討伐の功績者ですからね」
その言葉の通り広場を通り過ぎる時に見えた銅像にはクロードウィックの姿があった。
「あ、銅像」
「領主様は嫌がったらしいですけど、建てられちゃったそうです」
「クロードウィックさんは確かに嫌がりそう」
街の奥へと進んでいくと、大きなお屋敷が現れた。門から屋敷までも距離があり、庭もかなり広く。聖女は開いた口が塞がらなかった。
「広い」
「本邸ですから」
「貴族の本邸ってこんな感じなんですか?」
「えぇ、領主様はあまりこちらで住まわれずに、聖女様と暮らしていた家にばかり住んでますが、パーティーシーズンになったらもっと華やかですよ」
「そうなんだ」
空はもう夕暮れ色に染まり、屋敷に着くとすぐに部屋に通された。食事も部屋でブルーナと一緒にとると、ずっと座ってばっかりだったと言うのに、眠くなってきてしまった。
「もうお休みになりましょうか」
「でも、クロードウィックさんに挨拶が」
「領主様がお疲れならすぐに休んで良いとおっしゃってましたから大丈夫ですよ」
ブルーナに背を押されベッドに横になれば、ふかふかで心地よいベッドの感触にあっという間に夢の中へと誘われてしまった。
*
ガタガタと揺れる馬車の中、昼間見た景色を眺めながら今きた道を振り返る。
「セシル……これで自由になれるよね?」
あぁ、これは夢だと聖女は思いながら、頬から流れ落ちる涙をぬぐった。
「いいのかよ。俺なら聖女さん一人攫えるよ」
馬に鞭を打ちながら、御者に座っていたのは使用人に変装しているギオスだった。
「ギオス、ここまで連れてきてくれてありがとう。大丈夫だよ。王子とも仲がいいし、いい関係は作れるよ」
「でもよ、聖女さんが好きなのは別の人なんだろう?」
「……どうしてそう思うの?」
「勘だな……ってきいうのは冗談で、貴族の政略結婚で嫌というほどそういう女を見てきた。聖女さんの顔はまさしくそんな顔してる」
「あははは。そうなんだ。……わかんないや。ていうか私の顔見えてないじゃん」
「そうだな……。ツェツィーリア様は悲しむんじゃないかなーって思っただけさ」
「あなたにセシルの何がわかるって言うの」
「そうだなー。友人が自分のせいで望んでいない道を進んでるっていうのはわかるさ」
「……」
「聖女様が貴族のいざこざに巻き込まれる必要はないんじゃないか? そういうのは大人達がなんとかするもんだろ」
「でも……」
「ちゃんと公爵家の人とも話なよ。聖女様」
「……」
「あの人たちは皆誠実だよ」
「わかったよ」
見えてきた街の壁はところどころ汚れていたり、蔦がはっていた。
街の中の人は活気にみついているが、夢の中と現実とでは人の多さが違い、夢の中の街は人が半分ほどしかいない印象だった。
屋敷の前で降ろしてもらい、門を開けて中に入れば馬に乗って迎えにきたのは……顔がわからなかった。
ー だめ、これ以上はだめ!
後ろから叫ばれて、思わず振り返ると、そこには自分自身が立っていた。
「え」
そこで夢は途切れてしまった。