11 手は語る
結局その日は外に出ることはなく、家の中でエルケと一緒に夕飯の下拵えを手伝いをするにとどめた。クロードウィックが帰ってくると、慌てた様子に無事を確認されてしまった。
「聖女様、不審者が接触したと! 大丈夫ですか?!」
「クロードウィックさん。だ、大丈夫です」
「怖い思いをさせてしまって申し訳ありません」
「全然、あの子供達が守ってくれて、子供達は大丈夫でしょうか、恨まれたりとか」
「それなら、大丈夫です。あのあと大人たちを呼んだそうですから」
「そうですか、よかった」
「すいません。聖女様を危ない目に…いそいで次の安全な場所を用意しますね」
「え、待ってください。場所って」
「大丈夫です、町の者たちも一緒に移動しますから」
「はい!!?」
聖女が驚く中、クロードウィックは従者に呼ばれて出ていってしまった。
「町の人たちと一緒に? いやいやまさかね」
子供から大人まで、皆が優しく聖女を見守っている。薄々気づいてはいたが、今日はっきりとエルケとゲニラの口から言われた言葉は、皆聖女が無くした記憶を知っているようだった。その上で守ってくれている。
「私なんかのために? 聖女って言っても、何かできてるわけじゃないのに、何も覚えてないのに」
両手をなんとなしに見つめると、お世辞にも綺麗とは言い難く、記憶のないまめの跡やら傷がついていて、微かに震えていた。
思い出したいのに思い出すのが怖い、足元からじわじわと忍び寄る闇のように恐怖が湧き起こり、思わず家の中にある神の像がある部屋にきていた。
「神様、私はなんで聖女なんでしょう。何も覚えてないのに、みんな優しいし守ってくれてるのは分かるんです。でも、それがとても心苦しくって、聖女として何もできていないのにって思うんです」
聖女は思わず神の像に懺悔するように語りかけながら神の像を見上げた。
壁には相変わらず、祈る女性と戦う男性の絵があったが、ふと隣の壁をみると女性が男性に手をかざしている姿と、弓を引いて魔獣を追い出しているような絵があった。
「……弓」
壁画と同じように弓を構える。
じわりと、傷跡が思い出したかのように痛みをはっしるのと同時に、いろんな人の声が頭の中でこだました。
(へんな癖がついてるせいで、マメができるですよ)
(まめができるほど鍛錬をつんだってことっすよー!)
(焦れば焦るほどブレるんです。おちついて)
(すごいあたりましたよ!)
ぎりぎりと弓を引いて、パッと矢を離す。
祈り込めた矢は魔獣に突き刺さると、淡い光が破裂し魔獣を浄化して消失させた。
バタン という大きな音で聖女はハッとした。周りを見渡すと、神の像の部屋だった。
さきほどまで見えていたのは、過去の記憶だったのか、幻覚だったのか分からなかったが、ただ手の感触だけは生々しかった。
「私……私弓矢が使えた?」
「へー聖女様、記憶ないんだ」
「!?」
突如上から声が聞こえ、驚いて見上げるとそこには天井から顔を出している男性がいた。その人は昼間声をかけてきた男性だった。
「だ!「おっと、シーだよ! 俺を殺す気?」」
素早く男は降りてきて、聖女の口を塞いでしまった。
「ひどいなー俺と聖女様の仲でしょ、っていってもその様子だと俺のことも覚えてないか」
その言葉に聖女は口を塞がれたまま頷いた。
「いやー、まさかこんなところで匿われてるとは思いもしなかったけど。まさか、あいつ自ら守りに徹しているとはねー。そりゃー偵察部隊が戻ってこないわけだわ」
「?」
「あぁ、俺さ、金で雇われる何でも屋なんだよ。昔、聖女様も利用されたんですよー、で、まぁ。今回俺はとあるお貴族様にお金を積まれて、聖女様を探してたんだよ」
その言葉に聖女は身を固くした。また拐われてしまうのだろうかと焦っていると、その男は笑みを浮かべた。
「大丈夫大丈夫。拐わないよー。俺は縛首になんてなりたくないからね、それに元気な姿を見たかっただけだしさ」
「?」
「まぁ、また逃げ出したくなったら俺を呼んでよ。前は依頼途中で……まぁ失敗しちゃったからさ。聖女様にはただでこき使われてやるよ」
男は、一瞬暗い顔をするもまたニコリと笑みを浮かべながらも、つぐに発せられた声は真剣みを帯びていた。
「……聖女様が望めばここから連れ出してやるよ」
「ぇ」
聖女の口から手は外された。大声を出せば助けが来る。そう思うのに聖女は出せずに、ただ目の前の男を見上げた。
「逃げたければいつでも言ってくれよ」
「……逃げたいわけじゃない。……あなたも過去の私を知っているのね。私について何を知っているの? どうして貴方と知り合いなの? 私は召喚されたんじゃないの?」
「召喚されたのはかなり昔さ。あいつは何も話してないんだな、まぁ、分からなくもないが」
「どういうこと? クロードウィックさんは、私を保護してくれてる。やりたいことをやらせてくれてるし、何不自由なく……」
「でも真実は話してないだろ?」
「真実……」
「おっと、あいつが来るな、今日はここまでだ、また会いに来るよ聖女様」
そういうと、男はまた天井裏に入りいなくなってしまった。
「聖女様!」
クロードウィックが呼ぶ声がし聖女は返事をして神の像の部屋から出た。
(あいつってクロードウィックさんの事をだよね。知り合いなのか?)
そう思いながらクロードウィックの元に向かうと、彼は聖女を見つけるや否や、彼女の手を握りしめてホッとした様子を見せた。
「よかった。昼間の男がこちらに向かったという報告を受けて、もしかしてと思い」
「そうだったんですね。私は大丈夫ですよ」
聖女は思わずそう返してしまった。
「今日は部屋の前に侍女をつけますので、何かあったらすぐに声をあげてくださいね」
「はい、ありがとうございます」
聖女は返事をしながらも、視線を下ろした。その先には握られた手。クロードウィックの手は、美しい見目と違って、大きくゴツゴツしていると思った。
(そういえば、いつも手袋をしてたのに今日は外してたんだ)
「あ、すいません。不快でしたよね?」
「え? 全然不快だなんて思ってないですよ。男性的な手だなって、あ! その深い意味はなくって! 綺麗だなって、あの、えっと」
聖女は自分の発言に焦ってしまい、自分でも何を言っているのか分からなくなり顔が熱くなってしまい、両手で頬を抑えると、手の方がひんやりとしていた。
「……ふふふ、聖女様が不快に思われてなくてよかったです。綺麗な手ではありませんから」
「そんな事ないですよ!」
「そうですか?」
「はい! 指も長くて綺麗です!」
何を力一杯言っているの!? と聖女は心の中で叫びながらも脳内ではパニック状態で、もう口から勝手に言葉が出てるような状態だった。
「ふふふ、それはよかった。でも、私の手は……綺麗ではないので、素手で触れてしまって申し訳ない」
「綺麗ですよ!」
「……いいえ」
否定するクロードウィックの表情は暗く、なんだかそのまま距離を取られそうな気がしてしまい、聖女は慌ててクロードウィックの手を掴んだ。
「綺麗です!」
「聖女様……」
「だって、この手は私を導いてくれた手ですよ! 何も覚えてない私に何不自由ない暮らしをさせてもらえてますし、クロードウィックさんにはいつも感謝しているんです」
「それは、よかったです。ありがとうございます」
「こちらこそありがとうございます! クロード」
「!」
「聖女様、お部屋の確認が終わったので一緒に部屋に戻りましょう」
「ブルーナさん! では、クロードウィックさん。おやすみなさい」
「はっ、はい。おやすみなさい」
聖女はクロードウィックから離れ、手を振ってブルーナと一緒に廊下の奥へと消えた。
聖女が握ってくれた手の感触が消えていくのを寂しく思いながら、自身の手を見つめた。
「……私の手は、昔と違って真っ黒に汚れているんですよ」
令嬢として暮らしていた頃は、白くスラリとした指先だったが今は剣ダコができ、皮膚も分厚くなって男らしくなった。それだけではなく、魔獣を狩り、聖女の安全を脅かす者たちも排除してきた。
「本当は……」
全て話して、聖女自身に選ばせるべきだと分かっているのにクロードウィックはあえてそうせずに、昔聖女が語った、やりたい事を全て叶えるべくこの場所に匿った。
そしてあわよくば、ずっと自分のそばにいてほしいと願ってしまうのだった。