10
「聖女様ー! 羊の毛洗いに行こー!」
「いくー!」
元気な子供の声に誘われ、聖女は今日やる仕事を決めた。
前に刈った羊の毛を籠にいれ、川までくると子供達が手際よく板を外していくと木枠に川の水が入り、その先にあった桶の中を渦を巻くように流れ込んでいった。
「わー自然の洗濯機だ」
桶の中に溜まっていた落ち葉や泥が流れ出たら、羊の毛を投げ入れ、木の棒で突いたり勢いで流れないように抑えたりしながら、大雑把に汚れを落とせたら、持ってきた桶に入れ直して小さなゴミをとるのだそうだ。
思わず桶の中でグルグル回る羊の毛を眺めていると、なんだか吸い込まれそうだと思いながらも目が離せなかった。
横では子供たちがとりとめない会話をしながら、飛び出した羊の毛をキャッチしては桶の中に入れて汚れをおとしている。
「俺も領主様みたいに強くなるんだー」
「えーあんたには無理よ。すぐ泣くじゃん」
「ないてねーし!」
「イタズラして怒られて泣いてたよねー」
「うるせー」
「領主様はいたずらしないんだよ」
「そうそう、優しくてカッコよくて強いんだから!」
「俺だってカッコよくて強いだろ!」
領主に憧れる男の子に周りの子供たちは一斉に声を上げた。
「「「えーー」」」
「なんだよお前らー!」
「お前がなれるんなら、僕のほうがなれるね」
「僕のほうがかっこいいよー!」
「ねぇねぇ! 今日の領主様みたー?」
「みたみたー。素敵な格好してたよねー」
「お出かけしたんじゃない?」
「今日はどこに行ったのかなー? 聖女様は知ってる?」
急に話を振られて、聖女は慌てた。皆それぞれ会話に興じているのを聞きながら、ボケーっと渦を見ていたためちゃんと聞いていなかったのだ。
「ご、ごめん。ちゃんと聞いてなかった」
「領主様の今日の行き先、聖女様は知ってる?」
「あ、今日は大きな町にいくって」
「領主様、大きな町におでかけしたの? じゃー何か買ってくるね!!」
「何かなー」
「聖女様は何がいい?」
「え、特に思いつかないかなー。それにお仕事に行ってるわけだし」
「えー領主様なら絶対聖女様にお土産を買ってくるって!」
「櫛じゃない?」
「いや、わたしはショールだと思うなー! 聖女様に似合うもん」
「口紅だよ!!」
「「きゃーーー」」
「あはは,なんだろうね」
少女たちの楽しそうに話す姿に聖女は可愛いなぁと思いながら、横で盛り上がっている少年たちも会話に参加してきた。
「俺はお土産、木剣がいい!!」
「こないだ作ってもらったじゃん!」
「俺は盾!!」
「僕は帽子がいい!」
「弓だよー!」
男の子たちも混ざって、話題はいつの間にか今欲しいものの話に変わってしまった。
子供達の話では、大きな町には色んな物が売られていて、時々領主であるクロードウィックが町の人たちに手土産として娯楽品を買ってくるらしい。
「色々あるんだね」
「そうだよー。あ! 聖女様の式典服ってあるのかな?」
「ないよ! ママが作ってないもん!」
「じゃー領主様の土産は絹の生地じゃない? あ! 聖女様、羊の毛絞るの一緒にやろう」
水を吸った重い毛を絞りながら、子供達は後から合流してきた子が持ってきた話題へと変わっていった。
「ねぇねぇ、今日町に旅人がきたらしいよ」
「えー、何しに来たんだろう?」
「何もないのにねー」
「旅人って珍しいの?」
「うん。迷子になってくる人はいるけど、この町目指してなんていないよ」
「端っこだしね!」
「何も特産品がないんだよ!」
「領主様のお家とこの町だけ!」
「そういえば領主様が住んでるのに大きな町じゃないよね」
「元々、ここは領主様の別荘しかなかったんだよ」
「え!」
「それだけじゃ不便だからって使用人が住んでー、畑作ってーとかしてたら町になったんだって」
「そうなんだ…じゃー領主様のちゃんとした家はあるの?」
「あるよーただ領主様はそこに住みたくないんだって」
「嫌な思い出があるからだって」
「そうだったんだ」
また、一つクロードウィックの事について知って、聖女はなんだか情けない気持ちが湧き起こった。一緒に暮らしているのにあまりにも彼について知らないのだ、食事の時に顔合わせるといつも自分ばかり話して彼自身の話を聞いたことがない。
聞き上手というか、楽しかった話をすると自分ごとのように喜んでくれてますます調子に乗って話してしまうのだ。街から帰ってきたら色々聞いてみようと聖女は思い直した。
今日帰ってきたら、クロードウィックに色々聞いて彼のことをもっと知ろうと思い直し、絞り終わった羊の毛を籠に入れた。
「これはどこに干すの?」
「おばあちゃんのところに戻って、干すんだよ」
籠にズッシリと重く、一人では持ち上げられないほどだ。子供達と一緒に持ち上げたところで見知らぬ男が声をかけてきた
「おーい、村の子供達ー」
「村じゃないよ! 町だよ!!」
男の子が反射的に答えるも、子供達に緊張が走った。いつもと違った様子に、聖女も緊張した面持ちで声をかけてきた男を見ると、薄汚れたブーツにラフなシャツとズボン姿の無精髭を生やした男だった。
男との距離はまだかなりあるなか、子供たちはコソコソと話始めた。
「誰だろう?」
「知らない人だ」
「誰かきいた?」
子供達が警戒するなか、一人の少女が聖女の手を握って言った。
「お姉ちゃん、私わすれものしちゃったの一緒に来てくれる?」
「え? うん」
「リヒト、あのおじさん何か面白い話が聞けるかもしれないから聞いてきたら」
「えー…あ! わかった! おい、ジークも行くぞ!」
「おう! 行ってくる!」
「僕たちもー」
「エレナ、メヌエットおばあちゃんに伝えて」
「うん! オリビア早く行ったほうがいいよ」
「それじゃー行こう! お姉ちゃん」
テキパキと指示をすると、オリビアは聖女の手を引っ張って歩き出したのだ。男の子たちは見知らぬ男性の元へ、エレナは駆け足でメヌエットおばあちゃんの元にむかった。
他の子供達は「じゃーここで待ってるからねー」といって手を振って聖女を見送った。
聖女が後ろを振り返ると、男はこっちに来ようとしている様子だが、男の子たちが腕にしがみつき質問攻めにしていた。
「どこからきたの!! おっさん!」
「これって剣?! 見せて見せて!」
「こらこら、危ないだろ。ちょっとそこのお嬢さん!」
「お嬢さんだって! なになに、おじさん貴族?!」
「ち、ちがうよ」
わーわー騒ぐ様子は離れても聞こえていた。
そして、聖女の手を掴んでいる少女、オリビアの表情は緊張した面持ちだ。
「ねぇ、大丈夫かな?」
「大丈夫。あれだけ騒いでれば大人たちがくるから」
「そ、そっか。不審者だよね。あの人」
「うん。でも大丈夫私たちがお姉ちゃんを守るから」
「……」
オリビアの言葉に聖女はもしかしてと思っていたことが当たり、申し訳な息持ちでいっぱいになってしまった。
「頼りなくて、ごめんね」
「え?! 違うよ! お姉ちゃんは狙われてるんだよ」
聖女の言葉にオリビアは驚きながらも、歩みを止めずに領主の家にまでくると、げニラがちょうど玄関を掃き掃除していた。
「あら、どうしたのオリビア」
「ゲニラさん。忘れ物しちゃって、お姉ちゃんときたの」
「! そうだったのね。さぁ、中に入ってちょうだい」
中に入ると、すぐにゲニラは扉を施錠しベルを鳴らした。すると、ブルーナが吹き抜けの2階から顔を出した。
「2階の戸締りは大丈夫よ」
「一階をおねがい」
「わかった!」
「聖女様とオリビアは私と一緒に居間にいてください」
居間にいると、しばらくしてエルケがお茶菓子を持って現れた。
「エルケさん!」
「聖女様お久しぶりにです。復帰がてらお茶菓子を持ってきたんですよ」
「わー! エルケおばちゃんのお菓子美味しくて好きー!」
「オリビアには、はい。手土産用のあげるよ」
「わー! 今みんなに持って行ってもいいかな?」
「えぇ、行ってらっしゃい」
「うん! それじゃ、聖女様。またねー!」
「あ、オリビアちゃん。ありがとう」
「ううん!」
クッキーがいっぱい入った紙袋を持ってオリビアは元気に部屋を後にした。
「オリビアちゃん、すごいしっかりした子ですよね」
「ふふふ、領主様に頼られているそうですから。本人も張り切っているんですよ。聖女様、前回は不覚を取りましたが、今回は大丈夫です」
「エルケさん。私のせいで」
「違います。私たちは聖女様に助けられた者たちばかりなんですよ」
「え?」
「だから、今私たちの方が聖女様に恩返しをしているんです」
「おんがえし? でも私何も」
何もした記憶がない聖女にエルケは手を握り、聖女と目線を合わせて力強く言った。
「私たちは領主様に命令されたから守るのではなく、皆が聖女様を守りたいから守るのですよ」
「……」
「そうですよ。守らせてくださいね」
ゲニラまでそういいながら、聖女を抱きしめたのだった。
「わたし…何も知らないのに」
「無理に思い出さなくていいんです」
「いっぱい傷ついた聖女様は幸せになるべきなんです」
その言葉で、聖女は二人とも記憶のない自分自身の何かを知っている事に気づいたが、二人の辛そうな表情に何も聞けなかった。