答えの無い問い掛け【side 元婚約者兄】
弟には辛辣な言葉を投げ掛けたが、見捨ててしまった俺にも瑕疵はあるだろう。
12歳で高位貴族令嬢に見初められ、しかもその令嬢が跡取りで、子爵家次男でしかない弟が婿入りする形となるプレッシャーは半端無かっただろう。
最初は喜びよりも戸惑いの方が大きかった事は、弟の様子を見ていたら分かった事だ。
『兄さん、どうしよう。僕でいいのかな……』
自信無さげに俯く弟を見て、侯爵令嬢はコイツのどこが良かったのか、と当時は思っていた。
『自信が無いなら勉強頑張れ。お前に足りないのは自信と度胸だよ』
そう言ったからか、弟は暇さえあれば本を読み漁り、机で資料を拡げた。
時折交流目的のお茶会も開かれた。
その時の様子を見ていたら、弟はずっと侯爵令嬢を見ていた。
令嬢は弟が好きで好きでたまらないというように、ずっとニコニコして話し掛けている。
それから目を離さないように、弟は話を聞いている。
(何だ、上手くいってるじゃないか)
最初の頃は二人仲良く、手を取り合っていけるんじゃないかって。
そのときはそう、思っていたのに。
いつの間にか弟は暇さえあれば机にかじりつくように資料を読み本を読みあさる。
両親が心配しても、「大丈夫だから」と笑って。
真面目で手を抜かない姿勢は良いが、あれでは身を崩してしまう。
「おい、あまり無理をするな。たまには外に出て気分転換しろ」
「うん、ありがとう。でも僕は大丈夫。彼女に追いつくにはまだまだ足りないから」
そうやって自分を追い込んで、周りを遠ざけて。
──婚約者すら遠ざけて。
「大丈夫だよ。あと少しだから」
そうやっていつも笑っていたから。
あいつの本当の奥底を分かってやれなかった。
誰に見放されても、誰もが目を背けても。
俺だけはあいつを見放しちゃダメだったのに。
ノックも無しにあいつが使っていた部屋に入る。
妻との間に二人目の子を授かったのを知り、あいつは、領地を本拠地とする為この部屋を譲ると言った。
止めても「僕は行くよ」と、慌ただしく。
もう、ここには戻らない。
だからその当時のまま。
机の上に書きかけの手紙。
誰かの碧い瞳のような鮮やかな色をした便箋。
傍らにあるインクは蓋すらされておらず、中身はすっかり乾いてしまっている。
誰に宛てた手紙なのか、なんてちらりと見えた文章が物語っている。
『今日は孤児院に行って来ました。
あの時小さかった子もすっかりお手伝いの一員として頑張っています』
生真面目な性格に合った丁寧な文字は、あいつそのものだと思った。
(以前は小さくて弱々しい文字だったのに)
最近のあいつは活き活きとして領民たちに慕われている。
領地の事に関わりだした頃は頑固で融通が利かなくて、何度も衝突した。
でも絶対解決するまで粘り、徐々に信頼されるようになり今では子爵領になくてはならない存在になった。
精力的に動くから体力も付いてきてひょろかった体型は段々逞しくなって、女性たちから秋波を送られる事もあった。
だがただ一人を想い、独身を貫いていた。
良い仲になりかけた事もあったみたいだが、最終的に忘れられない初恋を引き摺って、自然と話は消えていた。
「どうしても比べてしまうんだ。
相手にも失礼だし、僕も心に残したまま手を取れない」
時と共に気持ちは穏やかになり苦しむ事も少なくはなっているが、それでも時折泣き笑いのような顔をするあいつの幸せを、願っていたんだ。
クローゼットを開ける。
普段着ていた服が何事も無かったかのようにきれいに並んで掛けられ、今にもあいつが戻って来そうな気がした。
ハンカチやスカーフが並べられた場所の一番目に付く所にそれはあった。
クローバーと、あいつの名前が刺繍されたそれは、ヨレヨレになっても常に身に着けていた。
「このクローバーに触ってたら、勇気を貰える気がするから」
丁寧に取り出し、刺繍を撫でる。
それを持ち、他にも何か無いかと探してみた。
辺りはしんとして、カタカタと音だけが鳴り響く。
(弟の部屋を漁るとか……)
小さく溜息を吐き、机に置き去りにされた手紙を見て、引き出しを開けてみた。
そこには宛名の無い手紙の束があって。
封はされていないから中身を検める。
「これ……は……」
俺はすぐさま開いた手紙を封筒にしまった。
これは他人が見ていいものではない。
これは……
この手紙は、あいつの想いそのものだと思ったからだ。
どんな思いで書いたのか。
「──……っ……」
時折、思う事がある。
あの時あいつを見捨てずに強制的にでも引っ張り上げてやれてたら。
今頃侯爵家に婿入りして、互いに愛し合い支え合える夫婦になれていたのでは、と。
あいつも、真の意味で幸せに、なれたのではないかと。
手紙の束を持ったまま呆然としていると、扉を叩く音がした。
「リロイ、準備はできた?」
お腹が迫り出してきた妻のクレアが心配してかやって来た。
俺は手紙を元の場所に戻し、向きを変える。
「ああ。……結局これだけ」
差し出したのはあいつがいつもしていた、クローバーの刺繍が入ったスカーフ。
「ああ、これは……。エヴェリーナお姉様が刺した……刺繍だわ……」
クレアはそれを受け取り涙を浮かべた。
それをしていたあいつを思い浮かべ、ぎゅっと目を瞑る。
「なあ……。……公爵夫人が幸せなら、あいつも喜ぶかな……」
問い掛けて、けれど答えは出ない。
ここに弟はいない。
「ずっと、あの子はお姉様の幸せを願っていたわ。
それに、あの子は笑っていた。
きっと喜んでいるわ」
クレアの言葉に俺も目を瞑る。
せり上がるものを呑み込んで、長く溜息を吐いた。
「そろそろ時間だな。……行こうか」
「ええ」
書きかけの手紙に振り返る。
もう少しだけ、このままで。
現実を受け入れるにはまだ、早すぎるから。




