プロローグ
大国ヤトの隣に、シュトラールという小さな国がある。
山に囲まれた自然豊かなその国は、魔法使いが作ったのだといわれていて、かつてはその国民の殆どが魔法を使えるような神秘の聖域だと呼ばれていた。
しかし、今ではその神秘も失われ、魔法が使えるのは王族とそれを支えるローザ教団の人間だけとなっていた。
だからこそ、国民は魔法を使える王を誇り、彼らを崇めることでシュトラールが神秘の国であるのだと信じ続けているのだという。
シュトラールの城下町の酒場では、朝から男達が騒がしく酒を酌み交わして騒いでいた。
「あぁ……、ついに陛下が、ヴィルヘルム王の葬式が終わっちまった……。俺たちゃこれからどうすれば良いのだろうか……」
「そんなこと言ったって仕方ないだろうが、それよりも葬式も終わっちまった俺たちの心配は、次の王は誰になるかってことだよ!」
男の一人がそういうと、各々が楽しそうに次の王の名を上げ出す。
「それゃあ勿論姉であるメルセデス皇女に決まってる!」
「俺はアンディ皇子に継いで貰いたいもんだ!」
「俺も聖女ユーリア派だから、アンディ殿下に一票!」
呑気な声な溢れているが、次の王は娘であるメルセデスが継ぐことが決まっている。
王からの遺言でもあり、王の代わりに政務を努めていたのは彼女であったので、それで何の問題もないはずである。
しかし国民達はもし、自分達が意見を言えるのであれば、姉であるメルセデスではなく、その弟であるアンディに王になってほしいと思うものが大半であった。
メルセデスは母親譲りの銀髪にアイスブルーの瞳をした美少女であったが、容姿も言葉にも冷たさを感じる。
その点、アンディは王譲りの金髪にエメラルドの瞳をした感情豊かな美少年で、彼のほうがいいだろうというのが理由である。
そんな話題が挙がりつつも、結局はメルセデスが王になることが決まっているので、男達の話は不毛でしかないのだ。
「エンリッヒはどう思うよ?」
呑気な酔っぱらい達は離れて酒場の女将と話をしていた男に声をかける。
黒髪に黒い目をした、一見何処にでもいそうな男は彼らを首を振って笑う。
「どうでもいいさ。誰が王だろうと俺には関係ないからな」
「なんだよー。一人で寂しそうに飲んでるから誘ってやってるのに」
ブーブー文句を言う男達は顔を見合わせると、次の議論に取り組み始める。
エンリッヒはそれを見ながら呆れたように呟いた。
「文句を並べるのが好きな奴らだなー。しかも朝っぱらから随分と暇なんだな」
「暇なんだろうさ、また仕事がなくなったんだから」
「また?この前も施工直前で中止になったっていってなかったか?」
「その分の最低賃金は払うからってさ。それで朝から飲んだくれてんの。こっちとしては有り難いよ?でも、嫁さん連中はカンカンで、元締め連中に乗り込んでるらしいよ。いい加減ウチの亭主を働かせてやってくれって、腕が鈍っちゃどうしようもないからね」
「ふーん、そうなんだ」
興味なさそうに言う男はぐいと杯を開けると、お代わりと次を主張する。
女将は用意しながらも、関係なさそうに気楽に振る舞う若者に少し釘を指したい気持ちになった。
「……ところでエンリッヒあんたはどうなのさ?朝からこんなところで飲んでるところを見ると随分と暇してるみたいだけど?」
「俺はボチボチかな。何せ嫁もいなけりゃ子もいない気楽な独り身ですからねぇ。稼がなきゃいけないノルマもないよ」
「あんたみたいなんだったら、嫁だって直ぐに見つかりそうなもんだけどね」
「一人で遊んでる方が気楽で楽しいんだよ。嫁に叱られる生活なんて正に合わない」
「最近の若いもんの考えることはよくわからないね……」
溜め息をつく女将に、酔っぱらい達から声がかかる。
酒のお代わりと、次のつまみを注文したいと言うことらしい。
これで何杯目になるだろうかと言う酒に、男達は呂律も怪しい状態だ。
「……いいや、やっぱりアイツらみたいなグダグダの酔っぱらいを相手にするよりは、あんたを相手にする方がマシかもしれないね」
「ははは、そりゃ光栄だ」
女将は男達の元に向かうと、エンリッヒに向けた嫌味の何倍もきつい嫌味を浴びせながらコンコンと説教を始めた。
これは長くなるなと判断した彼は「また来るよ」と言い置いて酒場を後にした。
外に出ると朝日が眩しくて目を細めた。
エンリッヒにすれ違うように走り抜ける子供達や、仕事へ向かう大人達を見て、平和そのものな風景だなとぼんやり考えながらゆっくりと家路についた。