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九十五、伸ばされなかった救いの手。

 男の後ろ姿は先ほどズーハンの前で見たままのそれであり、夜の中にあって距離に関係なく焦点が合うことが何よりの答えだった。地面と平行に宙を滑りながら飛んで行く老人を追いかけるエボニーは、彼が世界にやってきた理由と、戻るための方法を知っている可能性が一番高い人物の名を、力の限りを声に変えて吠えた。


「ワルツーッ!!!」


 相手が「夢と簒奪のワルツ」と理解した瞬間に体内に溢れた熱は四肢を巡り、心臓が大きく鼓動する。

 ワルツによって誘い出されているのは彼自身分かっていたが、この世界にやってきてからの鬱憤うっぷんやストレスが意識の一番高い所に現れている現状で、正しい判断を行うことはできなかった。


「騎兵」系ではないために馬上からのスキル使用は不可能であるため、キリの背を蹴って飛び上がった彼が放つのは、攻撃力が低い代わりに絶対に命中するスキルだ。


「──ナイトメアスロウ!」


 ワルツの背に向けて放たれた投槍スキルは彼の槍に蝙蝠の翼を授け、目標目指して突き進んで行った。視界確保のために使用していたスキルと「馬呼びの笛」で呼び出していたキリは消えてしまったが、視界に残る投槍スキルの赤い残滓が投槍の跡をなぞって煌めくことで最低限の視界は補えていた。


 ワルツは空中で綺麗に姿勢を整えて回避しようとするものの、それに合わせて槍の軌道も変わる。ワルツがスキルの性質を理解した時にはもう遅い。槍がワルツの背を貫いて、地面へと神を縫い留める。

 エボニーの着地に合わせて槍が一人でに浮いて彼の元へと戻ってくるのに合わせ、縫い留められていたワルツの身体が力なく地面に落ちた。

 けれども、本気の「夢と簒奪のワルツ」と戦った事のあるエボニーが気を抜くことはなかった。

 あまりにも手応えがないのもそうであるが、ワルツが戦闘で分身を使うことを知っているからだ。


 四方へ魔光石を撒いて視界を確保した彼の「出てこい!」の声に応えたわけではないのだろう。ゆっくりと姿を見せた本物のワルツは「久しいな」と隻眼を細めて笑った。


「ワルツ、元の世界に戻る方法を知ってるか」

「ハクザンでウィリアムを見なかったか」

「質問に答えろ」

「ふっふっふっ……そうかそうか」


 繋がらない会話。互いに答える気のない空気は淀んで重たい。

 それでもエボニーはどうしても答えを聞かなければならない。戻りたい。帰りたい。その一心で彼は舌打ちを残して折れた。


「……ハクザンでウィリアムは見てない」

「手勢を集めるために本家に呼びかけたことで止められでもしたのだろう。変に真面目なのがアイツの悪いところだ。そして、己のために他者を犠牲にする。それがシーファの、本家の悪いところだな……」

「どういうことだ」

「「顕聖」が起こる前にウィリアムにはハクザンを助けるように言ってあったのだ。その代りに本家が来たということは、まぁそういうことだろう」


 魔術の名家シーファ家はハクザンで起こった「顕聖」騒ぎに何らかの形で関わる予定だったが、ウワン・クーターの後手に回ったうえ、星の民エボニーが一人で収束まで持って行ってしまった。そうすると、復興は殆ど消耗していないウワン・クーターたちが行うだろう。ならば自分たちにできることは何か。慌てて動いた結果が先日の支援物資搬送だった。


 エボニーはワルツの言いたいものが何となく分かり、自然と口を閉ざす。「顕聖」が起こると分かっていたのなら、もっと多くの命が救えたはずだ。

 ハクザン復興に当たって死者の蘇生の仕事を振られていたエボニーが見てきた、蘇生できないほどに損傷した死体のいくらかは本来見なくてもよかったものかもしれない。


 ウィリアムはワルツの手を借りて最終職まで到達していた。

 ズーハンが今挑戦している最終職「月影胞ヘカモール」である彼ならば、上手く状態異常を撒いてモンスターの侵攻を少しでも遅らせられたかもしれない。

 蘇生できなかった子供の前で泣きじゃくる親を見ることもなかったかもしれない。


 エボニーが握りしめた槍が悲鳴をあげたところでワルツは口を開く。


「さて、今の話を聞いたお前はどうする。シーファ家を潰すか。……私の名前を出せば誰にも邪魔されずに簡単に出来るだろう。「炎と旅路のドーリー」「杯と純潔のヴァイス」……星の民と両名の神との行いは既にゴールドバレーに周知されている。「ワルツ」の名を出したとて、信じてもらえない、ということはないだろうからな」


「俺は……」とワルツの問にエボニーは歯噛みした。怒りのままにシーファ家を潰すのは、ワルツの言うように簡単だった。だが、そんなことをしても死んだ人間は戻ってこない。彼の目的に一歩でも近づくことはない。だから、エボニーの答えはこうなる。


「……そんなことはしない。元の世界に戻れば俺には関係ないことだ」


 ゆっくりと自らを確かめるように放たれた言葉にワルツは頷きと共に「だろうな」と返した。


「戻ればこれまで築いてきた人間関係も全て消えてなくなる。時間の経過で薄れていく記憶を一人で抱えていかなければならない。エボニーの名を、身体能力を、繋がりを持って帰ることは不可能だ。意味のないことだ」

「だから──」

「この問答も不要だ。だが、過程に意味がないとは言わない。ついて来るといい。門までの道程を照らすぐらいはやろうとも。意味のない罪滅ぼしだがね」

「門……?」


 歩き出したワルツの背を追って、エボニーは駆けだした。

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