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九十三、雌伏の終わりの始まり。

 ズーハンの耳に地を蹴る蹄の音が聞こえてきたのはちょうど空から雲が消え、天を埋め尽くさんばかりの星々が姿を覗かせる頃だった。フルからの「ズーハン様!」の声がかかる距離までに戦闘態勢に入っていた彼女の緊張はひとしおであり、胸が締め付けられるような痛みがあった。


 それでもやることは変わらない。杖を持って、スキル名を発声するだけだ。

 月と星とが照らす地に走る、四つの影。先頭を走る一際大きなそれを避けて「しるしの杖」を振るう彼女の目が捉えたのは、狼にも似た黒色の四足獣であった。


「……カース」


 相手の耐性を下げるためのスキルを唱え、自らに注意を引くためにアイテムポーチの中から魔光石を取り出す。「呪術兵」の彼女の魔力のステータスは高く、それに比例するように魔光石の輝きも強いものだった。

 引き連れるモンスターをズーハンへと押し付けるように進路を取ったフルとのすれ違いざま、ズーハンによって投げられた魔光石は簡単に避けられてしまうものの、ターゲットは無事に彼女へと切り替わった。


 三匹に周囲を囲まれる形で身動きが取れなくなってしまったズーハンであるが、元より足の速さでモンスターに勝てるとは思っていなかった。

 最終職になるためにハクザンの訓練で学んだのは、「呪術兵」らしい戦い方で捕まらないこと。普段は前衛で戦っている人たちへの立ち回りを自分中心に行うことであった。


 三匹の一匹に向けて「パラライズ」を放って行動を縛り、動けない一匹に向かって走り出した彼女は、自身の背後から二匹が追いかけてきているを確認する。

 時間をかけて状態異常で倒すのは簡単であるが彼女が望むのは短期的な戦闘であり、そのために用意されたと言わんばかりのスキルを彼女は知っていた。使い勝手が悪く、実際の戦闘では使うことはまずないそれは、ダメージを受けていることが前提のスキルだった。

 プレイヤー側で残り体力を簡単に調整できないこの世界で使うのは無謀であり現実的ではないが、小型モンスター相手であれば少々のダメージでも問題なかったのだ。


 防具に引っかかったモンスターの爪がそのまま皮膚を裂き、体重を乗せた体当たりで簡単に体が浮く。

「痛い」の言葉よりも先に口から息が漏れる。走って、転がって、飛んで、「カース」と「パラライズ」を始めとしたデバフスキルを挟みつつ、彼女が待ち望んだその時は来る。


 脚に伝わる地響きはそれの主が怒っていることを如実に示し、彼女の杖を握る手に力を与えた。


「──……手負蛇ておいへび!」


 スキルの発声と共にモンスターの首が何かによって締め付けられ、宙を泳ぐようにモンスターたちがもがき出す。自身の被ダメージ量によって強さが変わる特殊な状態異常攻撃は「パラライズ」と合わさることで抵抗を許さない即死コンボとなる。

 泡を吹いて倒れるモンスターたちを最後まで見ることなく回復につとめていたズーハンの目に映っているのは、エボニーが連れてきた「単眼の巨匠サイクロプス」だけだった。


「ズーハン大丈夫か!?そっち持ってくぞ!」


 エボニーの言葉に彼女は返事をしなかった。口から細く鋭く吐き出した息と、サイクロプスに向かって歩き出すことで答えとし、杖を構える。


「魔術兵」から派生する「呪術兵」には直接的な攻撃スキルが少なく、自身から積極的にモンスターを攻撃するとなると、どうしても格の低い「魔術兵」のスキルにも手を出す必要がある。となれば、必然狙う場所は限られた。


 エボニーがサイクロプスの単眼を属性矢で射抜いて一撃で倒したように、弱点をつけば少ない手数で効率的に勝てる。それを実行するための集中と実力を、彼女はここで発揮しなければならない。


「こんなでも……「ボトムライト」のリーダーだからね」


 己を鼓舞する彼女は、怒り心頭といった様子でエボニーを追いまわしているサイクロプスに近づいていく。

 巨人種には状態異常が効きにくく、走っている途中を「パラライズ」でこかして・・・・終わり、というわけにはいかなかった。近づいてわかる圧倒的な体格差と、自らの攻撃スキルの貧弱さに眩暈を起こしそうになりながらも、彼女は確かに一歩を踏み出した。


「いくよエボニーさん!!……ファイアーボール!」


 杖先から空を走った火球はサイクロプスの側面をついて、エボニーしか見えていないサイクロプスにぶつかって弾けた。衝撃を受けてよろめき、顔を歪めてズーハンへと向き直ったサイクロプスの単眼は充血し、大きく開かれた口からは汚らしく唾が飛び散った。大きいスケールで人間の口が付いている巨人の不快感は凄まじいものであった。


「目玉にサンダーで終わりだ!」

「はい……!」


 ファイアーボールを受けて尚、威嚇だけでズーハンの方を見ないサイクロプスを見て叫んだエボニーが伸ばされた手を避け、どうにか攻撃のチャンスを作ろうと位置取りを考えて動きだす。

 防御されれば一撃では倒せないが、かといって動きを止める状態異常が素直に通るわけでもない。離れてしまえば防御の時間を与えてしまうために距離を空けることもできず、近すぎると攻撃の巻き添えをくらう可能性がある。


 ズーハンの心臓の鼓動は自身の耳にまでしっかりと聞こえるほどに大きくなり、エボニーの五歩後ろを維持するために走り回った脚が震えだしても、集中は途切れなかった。


(来た!!)


 蚊を叩くように両手を左右に開いたサイクロプスを見て、ズーハンは前のめりで息を吸った。

 手を打つ攻撃を避けたエボニーの背の影から駆けたサイクロプスに、彼女は叫ぶ。


「────サンダー!!」


 空気の破裂音と一瞬の雷光が、今、単眼を貫いた。


手負蛇ておいへびは、江戸時代の奇談集『絵本百物語』にある蛇の怪異譚。

Wikipediaから引用

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